♯46 禁忌魔術

 そして、両刃が交錯するその刹那――



「――やめてくださいッ!!」



 コロシアム中央の戦場へ続く控え室から、フィオナが飛び出してくる。

 その姿を視界に入れ、クレスもヴァーンも同時に動きを止めた。


「──フィオナ!?」

「んなっ――!?」


 突然のことで、そのまま場に静止する二人。

 駆けるフィオナは勢いよくクレスに抱きつき、声を上げた。


「ダメですっ! それ以上戦ってはいけません! もう力を使おうとしないで!!」

「フィオナ……なぜ、ここに……!」

「お願いします…………もう……やめて、ください…………」


 弱々しく震えたフィオナの声に、クレスはやがてそっと剣を下げた。そのときにはもう、ヴァーンも武器を下げている。


 さらに、フィオナの後からエステル、セリーヌ、リズリットも姿を見せた。

 一体何が起きているのかわからない観客たちが騒然とする。



『――皆さま、どうかご静粛に』



 響いたのは、拡声器による声。

 すると、逆側の控え室から聖女ソフィアがその姿を現した。


『神聖なる試合を中断させること、誠に申し訳ありません。ですが、これは非常事態です。もはや傍観出来るものではありません』


 聖女は、拡声器を持ったメイドを従えてゆっくりと前に進み、クレスたちの元へやってくる。



『――フィオナ・リンドブルーム・ベルッチ。早急にその方からお離れなさい』



 穏やかに、しかし威厳と威圧さえ備えるその声に場内がスッと静まる。


「待ってくれ。これはどういうことなんだ!」


 クレスはフィオナを庇うように前に立ち、聖女と向き合う。

 聖女は聖杖を地面にシャンと突き立て、その大きな瞳でフィオナを見通す。


 そして、言った。



勇者クレス様・・・・・・。その少女は、あなた様にとある魔術をかけています』



 クレスはハッと息を止める。


『クレス様のお命は、その魔術によって支配されている。その力はお二人が近づくほどに強まり、何か特別な力を発しているように視えます。ゆえに、もう止めに入るしかありませんでした。戦いを妨げること、お許しくださいませ』


 聖女の発言に、その場の――コロシアムにいるすべての人間が言葉を失っていた。


 だがそれは、フィオナの魔術についてではない。



 ――『勇者クレス』。


 聖女ソフィアが、確かにその名を口にしたからだ。



 誰もが知る英雄、クレス・アディエル。

 魔王を倒して奇跡の生還を果たしたものの、その後に命を落としたと思われていた彼が生存しており、この聖都──聖闘祝祭セレブライオの場で再び戦いを繰り広げ、そしてフィオナの夫になろうとしていた事実。


 この場には、フィオナの両親やアカデミーの関係者はもちろんのこと、聖女を信仰する教会の者たち、大陸各地に繋がりを持つ貴族や街の有力者さえもが集まっている。

 そんな衆人環視の中で明かされてしまった事実に、観客たちは混乱に包まれ、すぐに収拾もつかない状況に陥ってしまう。もはや大会を続けられる状況ではなかった。


 聖女はそこで再度杖をつき、その音で場内を鎮める。


 そしてすべてを明らかにするためか、あえて拡声器を使ったまま話し続けた。


『申し訳ございません、クレス様。あなた様がその名を隠していたこと、存じております。しかし、この場を収めるにはあなたの身分を明かす他ないと判断しました。ご容赦くださいませ』


 丁寧に頭を下げる聖女。その行為こそがまた、クレスの身分を証明する。

 彼女は続けて話した。


『クレス様。先ほどそちらのヴァーン様が仰ったことは事実です。わたくしが、ヴァーン様にお願いしたのです。クレス様に勝利し、強引にでもクレス様とその少女を引き離してほしいと。そうでなくては、あなたの命が危ないのです』


「……そういうこと、だったのか」


 ヴァーンの方を見るクレス。

 ヴァーンはため息をついて頭を掻き、乱暴にその場に座りこんだ。


 クレスは視線を移し、聖女に問う。


「聖女様。お言葉ですが、なぜ、その“事実”があなたにわかるのです?」

『この瞳です』


 聖女は、堂々と目を見開いて言った。


 彼女の瞳の中で、綺羅星の輝きが瞬く。

 星の力を宿した『神聖宝セフィロト』――『天星瞬く清浄なる瞳プリミティア・ライラ・オクルス』は、真実を見通す聖なる力。


『歴代の聖女と、そしてわたくしの瞳にも、魔力を見通す力があります。まだ不安定で、とてもお母様やお祖母様のように上手くは扱えませんが……それでも今、しっかりと視えております。クレス様の心臓に宿る“魔力の灯火”。あなたの命は、その蒼き炎に包まれているのです』

「魔力の……灯火……」


 自身の胸元に触れるクレス。

 もう先ほどのような熱さは消えており、密着するフィオナと同じ鼓動を打っていた。


『そして、その魔術を行使しているのは――そちらのフィオナ嬢です』


 びく、とフィオナの身体が震える。クレスにもその震えが伝わっていた。


『私が未熟なせいもあるのでしょう。それが一体何の魔術なのか、詳しいことはまだ視えません。ただ、通常の魔術では到底ありえないほどの恐ろしい魔力濃度です。そんなレベルの魔術を常に他人へ行使し続けることは普通では考えられません。何より人の命に直接作用する魔術などありえない。――唯一、“禁忌”を除いては』


 ざわ、と会場が再び騒がしくなる。


 ――“禁忌魔術”。


 おそらくは、その場のすべての者の脳裏にその言葉がよぎった。


 それは、人の理を外れた魔術を指す。

 人命を操るもの。新たな生命を生み出すもの。不老不死を創るもの。やがてすべての魔術が行き着く果て。

 かつて多くの魔術師が望み、臨んで、凄惨な最期を遂げた。人が人の命を操ることなど許されない。生も死も、神の下に定められなければならない。それは聖教会の掲げる理であり、迂闊に手を出す者は決して赦されない。ゆえに禁忌とされる。


 聖女は杖を握りしめ、告げた。



『――フィオナ・リンドブルーム・ベルッチ。あなたには、この場で真実を告げる責があります。神の僕たる聖女の前において、嘘偽りは赦されません』



 静かで穏やかな、しかし有無を言わせぬ強制的な命令。



『答えなさい。あなたは、クレス様に一体どのような禁忌の魔術をかけているのですか』



 場内が、恐ろしいほどに静まり返っていく。


 クレス。聖女ソフィア。ヴァーン。エステル。セリーヌ。リズリット。

 フィオナの両親やアカデミーの関係者、教会の聖職者たち、そして全観客。コロシアムにいるすべての人間の視線が、フィオナの元へ集中した。


 もはや、この場から逃げることは不可能であろう。


 極度の緊張や不安からか、クレスに寄り添うフィオナの呼吸が浅く、早くなっていく。

 今にも倒れてしまいそうなその小さな身体を、クレスが支えた。


「――フィオナ」


 呼びかける。


 揺れるフィオナの瞳が、クレスを映した。


 その瞳を見つめながら、クレスはゆっくりと口を開く。


「……俺は、母が好きだった」

「…………え?」

「君は、そんな母にどこか似ているのかもしれない」


 その言葉が予想外のものだったのか、フィオナは呆然とする。


「俺が冒険者になろうと……魔王を打ち倒す勇者を目指そうと考えたのは、母を守りたかったからなんだ。父は俺が生まれた直後に亡くなり、ただ生きていくだけで精一杯だった。母は決して身体の強い女性ではなかったが、それでも、いつも明るく、優しく、笑ってくれていた」


 突然語りだしたクレスに、フィオナはただ何も言えずにいた。


「母が亡くなったのは、俺がこの“聖闘祝祭セレブライオ”で優勝して、聖剣を手に村へと戻ったその日の――前日だった。今でもよく、覚えている。俺は今まで何をしていたんだと。誰のために戦えばいいのかとわからなくなった。そのとき、母の言葉を思い出した」



──“わたしはこの世界が好き。大切なものがたくさんあるから”


──“だからクレスも、わたしの好きなこの世界を──大切なものを、守ってね”



「……母は、この世界を大切に思っていた。だから俺は、母の好きだった世界のために戦おうと思えたんだ」


 クレスは、遠い日を思い返すようにうっすらと微笑む。

 そして、またフィオナと目を合わせた。


「誰かに話すのは初めてなんだが、少し気恥ずかしいものだな。けれど俺は、君に俺のすべてを知ってほしいと思っている。だから、これからも話したいことはたくさんある。そして、君の話もたくさん聞きたいと思っているよ。たとえ、それがどんなことであろうとも」

「……クレス、さん…………」

「俺は、君のすべてを受け入れる。だから、俺を信じて教えてくれないか。フィオナ」


 クレスの瞳を見て、フィオナは徐々に落ち着きを取り戻していった。


 フィオナは今にも泣きそうな顔で、震えを必死に押さえる。


 静寂の中で呼吸を整えて。


 ついに、口を開いた。




「…………魂を結ぶ魔術、《結魂式メル・アニムス》――です」



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