♯45 燃える魂



◇◆◇◆◇◆◇



 ――クレスは、鮮明にそのときの記憶を蘇らせていた。


 古城で魔王と戦っているとき、クレスは既に限界だった。


 長い旅での疲弊と、戦闘による消耗。

 仲間はいない。たった独りだ。それを望んだのは、これ以上仲間を失いたくはなかったから。


 自分よりも強い相手。常に死が寄り添う緊張と恐怖。

 一体どれだけの時間が経ったかもわからない。それほどまでに集中していた。

 研ぎ澄まされた感覚、磨き上げた武の才、今までに積み上げたすべてがクレスの身体を限界を超えて動かし、意識すら朦朧とする中で戦い続け、そして、最後は『聖剣ファーレス』による渾身の一撃を浴びせた。

 確かな手応えがあり、気付いたときには魔王の姿はなかった。配下の魔族たちも誰一人いなくなっていた。勝利を掴んだと知った。


 それからクレスは、聖都を目指して進んだ。

 皆の元へ戻ろうと、進み続けた。


 どこまで来たのかわからない。


 途中、ついに倒れた。


 意識が薄れていく。


 ――ここで終わりなのか、と知った。


 それでもクレスは満足していた。

 やり遂げた。

 成すべきことを成した。

 平和な世界を取り戻すことが出来た。


 これからきっと、世界は変わる。

 悲しい思いをする人たちも減る。

 幼い頃に亡くなったあの優しい母にも、顔向けが出来る。

 師匠も、少しは褒めてくれるかもしれない。



 そして最期に思い出したのは――かつて魔物に襲われていた村で救った、幼き少女。



 背中におぶった彼女の言葉が、なぜだかふいに頭をよぎった。



『……あなたのことは、だれがまもってくれるの……?』



 答えられなかった。

  


 すると少女は言った。



『じゃあ……あなたのことは、わたしがまもってあげる』



 強い子だと思った。

 涙に濡れた顔で、家族を失ってなお他人を思いやれる心。


 クレスの心は、あのとき確かに救われた。


 けれど情が湧かないよう、名は聞かなかった。それでも常に心のどこかに彼女はいた。



 ──今はどうしているだろうか。

 ──しっかりと食べて、立派に成長しているだろうか。

 ──幸せになってくれていればいい。



『…………あの子も、きっと……あたらしい、せかい…………で――』



 それだけを思いながら、クレスの意識は無に沈む。



 世界との断絶。



 それは眠りに落ちるのとは違い、どこか冷たく暗い感覚の伴うものだった。


 ――いつしか、暗闇の中で声が聞こえた。


 誰かの声。


 こちらを呼ぶ声。


 不思議と安心する声。

 

 暗闇の中に、かすかな光が生まれる。



 その光を見たとき、クレスの意識は再び――――



◇◆◇◆◇◆◇



「…………うっ」


 現実に意識を戻したクレスは、軽いめまいを覚えながら頭を押さえる。


 あれ以上の記憶は、ない。もう、そこで終わったと思っていたから。


 だからクレスは、聖都で目覚めたとき大変に驚愕した。

 後に聞いた話によれば、倒れていたところをキャラバン隊の商人に発見され、聖都まで運ばれたらしい。

 そのときのクレスは心臓が止まっており、もはや死んだものと思われていたらしかった。それが奇跡の復活を遂げたため、聖女の尊き祈りが命を救ったとも、勇者の偉大な力が彼を救ったのだとも噂されたようだ。そして、むしろそんな奇跡の物語こそが『勇者クレス』の伝説を揺るぎないものへ昇華させた。


 それからしばらく休養を取った後、クレスは聖都で聖女から表彰を受け、世界を救った『英雄』として祝勝の宴に参加した。

 その後、勇者の力を失ったことを知ったクレスは、自分が死んだことにして姿をくらました――。


 ヴァーンが言う。


「お前、目覚めたときにはもう力を失ってたろ?」

「……なぜ、わかる」

「そのときにはもう、フィオナちゃんがお前に魔術をかけていたからだ」

「……!」

「お前が今のようになったのは、魔王に何かされたからとかじゃねぇ。力を使い果たしたわけでもねぇ。フィオナちゃんの魔術が原因なんだとよ。あの聖女サマが言ってんだぜ? 他に考えられる理由があるか? 精霊王の加護すら失うなんて普通じゃねぇだろ!」


 観客席の方を見るクレス。


 そこに、フィオナの姿はない。

 この場で、フィオナから答えを聞くことは出来ない。


 だが、


「フィオナちゃんがなんでそんなことしたのかは知らねぇ。何かの間違いならそれでいい。それならオレが彼女にいくらでも土下座して終わらせてやる。だがよ、彼女がお前に何か特別な魔術をかけてることは事実なんだとよ。彼女がお前に近づいたのもそれが理由なんじゃねぇのか? お前に隠していることがあるんじゃねぇのか? それをわかっていてあの子と結婚するってのか?」

「…………」

「女ってのは怖ぇもんだ。もうわかったろ。あの子とは別れろ。オレたちと来い! そうだ、また精霊王にでも会いに行こうぜ? そうすればお前の力を取り戻してやれるかもしれねぇ!」


 膝をつくクレスに、ヴァーンが手を伸ばす。



「――断る」



 クレスは即答した。


 ヴァーンの手を拒絶することはなく、しかし自身の力のみで立ち上がったクレスは、剣を支えにして前を向く。


「誰に何を聞いたかは知らないが、それが真実だとは思わない」

「いいからオレについてこい! そうすりゃあお前を救えるかもしれないんだ!」 

「ヴァーン」


 名を呼ばれ、ヴァーンはうろたえて後ずさった。



 クレスが――爽やかに微笑んでいたからだ。



「ありがとう」

「……アァ?」

「お前は、仲間だ。たくさんのことを教えてもらった。疑うつもりはない。フィオナと引き離そうとするのも、俺のことを考えてくれているんだろう」

「お前……そこまでわかってんならっ!」


 必死の説得を試みるヴァーンに、クレスは弱々しい笑みを浮かべて話す。


「俺は、フィオナと再会するまで透明だった」

「なっ……」

「俺は誰でもなく、過ぎていく空虚な日々を見送っていた。ただ生きていることは、生きていることにはならない。俺が俺を取り戻せたのは、フィオナに、出逢えたからだ。彼女が、クレスを受け入れてくれたからだ。いつまでも優しかった、母のように」


 ヴァーンは何も言えない。


 クレスの身体から、闘気が溢れている。

 剣を支えに、ゆっくりと立ち上がっていく。


「やめろ……もう立つんじゃねぇ……! 今のお前にオレが倒せねぇことくらいわかんだろうがッ!」

「やってみなければ、わからない」

「わかんだよッ! お前にはもうあのときの力はねぇんだ! そこまでして戦う必要なんてねぇだろ! ふざけんなッ!! オレはこんなクソみたいな戦いを望んでたんじゃねぇ!! オレらについてくりゃあ、お前は――!」


 ヴァーンは再び声を失う。

 

 乱れた金髪の奥で、クレスの光が宿った瞳を見たからだった。


 クレスは言う。


「“お前みたいな不器用なヤツに出来るのは一つだけだ。いつか好きな女が出来たら、死ぬまで愛し抜け”──。ヴァーン、いつかそう教えてくれたな」

「……お前!」

「今の俺には、もう皆を守れる力はない。そんな自分を卑下もしていた。だが、今はそれでいいと思える。彼女さえ守れるなら、何度でも立ち上がろう」

「…………っ」

「真実がどうであろうと構わない。俺の心は俺が決める。フィオナは――俺の妻だ。彼女を生涯愛し抜くと誓っている」


 クレスは自身の耳飾りにそっと触れて――上手く動かない右手から左手に剣を持ち直し、強く握りしめた。


 全身に満ちた闘気が、高揚が、身体を突き動かす。


 燃えているのではないかと錯覚するほど熱い心臓が、血を昂ぶらせる。


 力が蘇るべく叫ぶ。

 

 世界が、明るく見えていた。

 

 クレスは震える右手で胸元を掴む。



 そこに──青白い炎の魔力が宿っていた。



「――不思議だな。彼女のことを想うと、胸が熱くなる。力が湧く。何だって出来ると思える。誰にも負けないと信じられる。彼女が“ここ”にいてくれる。それで、十分だ」



 ヴァーンは、ギリリと強く歯を食いしばった。


「フィオナと別れるつもりはない。それでも俺を止めたければ、俺に勝て。ただし――」


 動かなくなっていたクレスの右手が、再び剣を握り締めた。



「俺は、強いぞ」



 断言したクレスに、ヴァーンは髪をかきむしって笑う。


「……ハハ、ハハハハハハハッ! ああそうだなバカヤロウッ!! てめぇはそういうヤツだよ!!」


 ヴァーンもまた槍を構え直す。

 その目は、クレスを正面から捉えていた。


「しばらく目覚めねぇこと、覚悟しとけッ!」


「負けるつもりは――ないッ!!」


 二人の戦士が、駆ける。

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