♯44 蒼炎の覚悟

 フィオナの蒼炎はひときわ大きくなり、うねりを上げて氷結の世界を覆い尽くす。そこは一瞬で炎の世界に変貌し、蒼がすべてを飲み込んでいた。


 エステルは氷結の魔力でもって即座に防御態勢を取りながらもたじろぐ。常に冷静だったその表情が崩れかけていた。


「こんな……! なんて魔力、なの……! これは、もう――!!」


 フィオナの放出する魔力量は、それほどまでに異常だった。

 とても自身の魔力のみで補えるレベルではない。『蒼き炎』は魔力を極限まで練り上げた証であり、クインフォ族ら高位種の魔族ですら扱える者は少ないことをエステルは知っていた。

 エステルの“常識”において、今の状態のフィオナがここまでの魔術を使えるはずがない。常識では測りきれない力が行使されている。


 だからエステルは察した。


 フィオナが、言葉通りに生命を燃やしていること。

 そうまでしてクレスの元へ駆けつける覚悟があるのだと。

 クレスのために、すべてを投げ出すことを躊躇わない。

  

 何よりも――決して引くことのないフィオナのその固い意志こそがエステルを怯ませた。


「くぅっ……!」


 氷結の魔力を最大限に放出して自身を守ろうとするエステルだが、限度など知らないフィオナの熱量には到底耐えきれない。もはや抗えぬほどの魔力差に、エステルは飲み込まれる覚悟を決めかけていた。


 そのとき──


「……!?」


 困惑と驚愕に目を疑うエステル。

 フィオナの蒼炎はエステルを飲み込むことはなく──彼女をかわすように周辺にのみ広がっていく。


 まるで、最初から氷壁だけを融かすのが目的であるかのように。


 その直後――フィオナが膝から崩れおちた。

 フィオナの身体はとうに限界を超え、燃えさかる魔力が揺らめき、蒼い炎は途端に弱まり鎮火していく。



「……クレス……さん…………いま、すぐ……いきます、から……」



 胸元を押さえて倒れるフィオナ。その頭部からクインフォ族の耳が消える。


 エステルの背後――そこにあった厚い氷の壁は見事に融解されており、廊下から涼風だけが吹き込む。


 エステルは呆然と立ち尽くした。


「……フィオナちゃん……貴女は…………」


 そのとき、フィオナの背後の氷壁もまた大きな音を立てて破砕した。



「――フィオナ!!」

「――フィオナ先輩っ!」



 そこから中に入ってきたのは、セリーヌとリズリットの両名。

 二人は倒れたフィオナの身を起こし、意識を確認する。


「…………セリーヌ、さん? ……リズリット……?」

「しっかりなさい! いきなりどっか行ったと思ったらこんなとこで何をやってんの! ああもうわけわかんない!」

「た、たいへん……フィオナ先輩、魔力欠乏を起こしてます! と、とにかく周囲の魔力をっ!」


 エステルの氷壁が破壊されたことで、遮断されていた外界から新しい魔力が取り込めるようになる。フィオナはそれを少しずつ体内へ取り込むように浅い呼吸を繰り返した。


 二人はフィオナを介抱しながら、エステルに視線を移す。


「どこの誰だか知らないし、一体何が起こってるのかもよくわからないけどさ! うちの後輩を可愛がってくれたお礼はキッチリするわよ……!」

「こ、これ以上……フィオナ先輩を、いじめないでください……っ!!」


 臨戦態勢に入る二人。

 セリーヌの周囲にしゅるしゅると魔力の糸が出現し、リズリットの持つ星の杖が煌めきを放つ。


 ──そこで、フィオナが二人の手を掴んで止めた。


「……だめ、です。エステルさん、は……みかた、で……」

「ハァ!? どうみたってあんたがやられてるじゃないの! 後輩に手を出すようなヤツは敵よ!」

「そ、そうです! フィオナ先輩をいじめる人なら、わ、私……!」


 フィオナは、弱々しく首を横に振る。


「……ちがうん、です…………エステル……さん、なら…………わかって、くれる、から……」


 二人を止めようと、必死に笑顔を作ろうとするフィオナ。

 そんなフィオナの姿に、セリーヌとリズリットの昂ぶりが静まっていく。



 ほぼ同時に――エステルが自身の魔力を拡散させた。



 途端に、彼女が作り上げていた氷結の世界が大きな音を立てて完全に砕け散る。

 残ったのは、キラキラと光る美しい結晶の欠片のみ。


 フィオナたちが驚愕する中で、エステルが静かに息を吐いた。


「──それが、貴女の気持ちなのね」


 エステルはそのままフィオナたちの方に歩み寄り、警戒するセリーヌとリズリットを一瞥しながらフィオナのそばにしゃがみ込む。

 そして、フィオナの額に手を当てる。すると、エステルの手を通して良質の魔力がフィオナの中へ流れていった。


「……エステル、さん…………」

「まだ、何が真実なのかよくわからない。聖女様のお言葉に嘘はないはず。けれどそれ以上に──貴女がクーちゃんを想う気持ちは本物だわ。貴女がクーちゃんを危険に晒すはずがない。何か、特別な事情があるのでしょう。それは、簡単に口に出せないことなのね」


 冷たく――けれど優しい魔力を譲り受け、フィオナは心地良い感覚に息をつく。

 フィオナの身体に魔力を送り続けるエステルは、フィオナがいかに無茶で危険なことをしていたのかがよくわかっていた。フィオナの体内は魔力の高まりに耐えきれず、筋肉、細胞、神経までも悲鳴を上げている。エステルは氷結の魔力でそれらの回復も同時に行っていた。


「高出力の魔力量にまだ身体がついていけてないのね。扱いきれない魔力でこんなボロボロの状態になり、あまつさえ私を気遣うなんて、甘い子ね。信用する相手は選びなさい。魔術師として未熟もいいところよ」

「……はい」

「……試すような真似をしてしまったけれど、許して頂戴。、貴女を信じることにしたから」

「え……?」

「私を説得するために、を見せてくれたのでしょう?」

 

 エステルがフィオナの頭部を優しく撫で、乱れた前髪を整えてから、二人は目を合わせる。


「一緒に行きましょう。クーちゃんのところへ」


 フィオナは、軽く唇を噛んで声を震わせる。


「……わたし、信じる人は、選んでいます」


 エステルが、淑やかに微笑んだ。

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