♯43 フィオナvs.エステル

 フィオナがエステルの瞳を見て震えた瞬間――フィオナを囲む氷壁が形を変えていき、鋭利な氷柱となってフィオナ目掛けて降り注ぐ。


「――っ!」


 フィオナは既に練り上げていた自身の魔力を炎熱の力に変化させて纏い、襲いかかる氷の矢をすべて融かし尽くす。


「エステルさんやめてっ! こんなことをしてる場合ではないんです! クレスさんを助けに行きたいんですっ!」

「今のやりとりでどうして貴女を信じられるというの」


 エステルが左手を振り払う。

 その手から輝く氷の粒子が散りばめられ、その氷晶はやがて氷の牢獄を反射して縦横無尽に飛び回る。凄まじい速度の氷晶は触れるだけでフィオナの肌を容易に切り裂いた。


「やめて──くださいっ!!」


 全身を激しく発火させるように炎熱の魔力を放出するフィオナ。それによってすべての氷晶は蒸発して消え去る。

 だが、その間にもエステルは氷の壁をより厚くして巨大な氷柱を幾本も生みだし、フィオナは身動きが取れなくなる。少しでも動けば、この柱に串刺しにされるのは間違いなかった。


「はっ、はっ……はぁ、はぁっ…………!」


 次第に呼吸が浅くなっていくフィオナ。

 その息は、口から出ると瞬時に結晶化してパラパラと砕け散る。

 顔色も、徐々に悪くなっていた。


 エステルはそれを静かに眺めながら腕を組み、口を開く。


「私はアカデミーの出身ではないけれど……魔術師の先達として、復習授業をしましょう。フィオナちゃん、魔術師は何を糧に魔術を扱うかわかるわね」

「……多くは、自然界の、魔力です」

「そう。自然界の魔力――『マナ』とも呼ばれる力は膨大で、いつも私たちに寄り添ってくれている。けれど、その量には限界があるわ。だからこそ、通常の魔術師戦においては先に空間の魔力を支配した方が勝つ。基本ね」


 エステルの言いたいことを、フィオナはとうに理解していた。


 この氷結の世界は、既に彼女の支配領域と化している。

 大気中の魔力の“手綱”はすべてエステルに握られており、フィオナは自然界の魔力を利用出来ない。つまり、フィオナは自身の体内に残された魔力のみで戦わなくてはならなかった。当然ながら、その量は自然界のそれと比べるべくもない。ゆえに、長くは保たない。


「はぁ……はぁ…………うぅ……っ……!」


 まだエステルと対峙してそれほどの時間は経っていないが、かなり消耗して苦しげな表情を浮かべるフィオナ。それは、この氷の世界で動くために全身から常に炎熱の魔力を放出し続けているためである。そしてそれを止めることは出来ない。


 既に、ここは死の世界だ。


 ただ呼吸をするだけで肺は痛みの悲鳴を上げ、手先、足先から感覚が消えていく。もしも魔力を押さえれば、すぐに凍りついてしまうだろう。

 

 もはや、この場でフィオナが勝てる見込みはほとんどなかった。


「貴女なら解るでしょう。これは【クリスタ・リウム】という多重展開魔術。とりわけ待ち伏せの罠として使うと効果が高いわ。魔術師相手なら外界の魔力も遮断することが出来てなお効果的よ。以前のクーちゃんくらいが相手だと、そうは保たないけれど」

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「このまま抗い続ければ、いずれ貴女の魔力は尽きる。そうなる前に本当のことを話して。でなければ、氷像になるだけよ」

「…………」

「本当にクーちゃんを守りたいと思っているのなら、ここで死を選ぶのは愚策だわ」


 諭すような言い方をしながらも、全身から発せられる高濃度の魔力がびりびりとフィオナを威圧する。フィオナの身体は冷え切って、ついに視界が霞み始めた。


 フィオナはフラフラと瞳を揺らし、唇を結んで、まぶたを閉じる。

 

 そっと、左手の指輪に触れた。



「……えへへ」



 そして。

 極限状態の中でフィオナが見せた優しい表情に――エステルは我が目を疑った。



「……なぜ、笑うの?」



 そうつぶやくエステルに、フィオナは返した。


「……ありがとうございます。エステルさんも……ヴァーンさんも……クレスさんの味方で、いてくれるんですね……。今でもずっと、クレスさんの、大切な仲間で、いてくれるんですね……」

「……何を、言っているの? なぜ、なぜ笑えるの」

「嬉しい、です。だって、エステルさんなら……きっと、わかってくれるから。クレスさんの助けに、なってくれるから。クレスさんが幸せに笑える未来が視えるから……本当に、嬉しいんです」


 微笑むフィオナの頭部から、クインフォ族の耳が現れる。


 エステルが目を見開いた。



「わたしは、誓ったんです」



 フィオナの瞳が輝きを増して蘇る。



「生命をかけて、すべてを尽くして、あの人を──守ると!!」



 途端に、その身体から炎熱のオーラが噴き出した。猛る熱によってこの氷の牢獄そのものを融かそうとする。


「──!! やめなさいフィオナちゃん! それ以上身体の魔力を捻出すれば本当に命がないわよ!」


 フィオナの煌めく銀髪――その切っ先が蒼い炎で燃え上がり、全身を纏う魔力の色も蒼に変化する。炎の“質”が変貌を遂げていた。

 轟々と激しさを増す蒼炎の魔力はフィオナの心に呼応するように強まり、もはや身体に収まりきらない膨大な魔力がフィオナの銀髪から粒子となってとめどなく溢れ出す。

 

「この命は、クレスさんが守ってくれた大切なもの。だけど……クレスさんを守るためなら、いくらだって、命の火を燃やす。たとえそれで、わたしがどうなろうとも──!」


「──っ!!」


「そこを──退いてくださいっ!!」

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