♯42 氷の牢獄
◇◆◇◆◇◆◇
クレスとヴァーンが戦いを繰り広げている頃。
観客席を離れたフィオナは、場内をひた走っていた。
「はっ、はっ……なんで、どうしてっ、ヴァーンさんが、あのこと…………!」
息を切らすフィオナの瞳には、切なげな光が宿る。
「――うぅん、そんなことより今はっ、早く、クレスさんのところへ……! このままじゃ、きっと、クレスさんは…………!」
一刻も早く、という思いがフィオナの足を前に前にと進ませる。
自分のことなどどうでもいい。
彼が、自分のために戦うことが恐かった。
そんなフィオナの前に、一人の人物が現れる。
「――止まりなさい」
フィオナの足が、凍りついたように動けなくなる。
観客席と控え室を繋ぐ、幅広の廊下。
そこを塞ぐよう中央に置かれた、不自然な『氷の椅子』。
そこに腰掛けて待っていたのは――フィオナの見知った女性だった。
「……エステル、さん…………」
周囲の温度が急激に下がっていき、フィオナの吐く息が白くなる。
エステルは、足を組んだまま返す。
「一応警戒していたのだけれど、本当にこうなってしまうのね。悪いけれど、クーちゃんのところへは行かせられないわ」
「……なぜ、ですか」
「それは貴女もよくわかっているのではないかしら」
エステルが冷たい視線を向けると、その足元から床が――壁が、天井までもが凍りついていく。
「……!!」
フィオナが振り返ったときには、もう二人を囲むように氷の部屋が出来上がっている。引き返すことも、そして前に進むことも封じられた。
――閉じ込められている。
エステルの意図を理解したフィオナは、一度自身の胸に手を当ててから言う。
「……エステルさん、通してください。このままではクレスさんが危ないんですっ」
「危ない?」
「そうです。ヴァーンさんは、本気でクレスさんを倒して連れていこうとしています。でも、それはダメです。ダメなんです!」
訴えかけるフィオナの声を、エステルに冷静に聞く。
「ただのケンカならよかった……。ヴァーンさんと、楽しく試合をしてくれるなら。でも――今のような戦いはダメなんです。クレスさんに本気を出させないで。クレスさんを、連れていかないでください!」
「連れていけばどうなるというの」
「そ、それは…………」
言いよどむフィオナ。
その反応を見て、エステルが長い髪を払いながら静かに立ち上がる。
「もうわかっているでしょう。私もヴァーンも、ある方から信頼のおける話を聞いた。それは、貴女がクーちゃんに特別な魔術をかけているということ。クーちゃんはその魔術のせいで力を失った可能性があり、勇者ではいられなくなったこと」
「違うんですっ! 確かに、わたしはクレスさんに………………だけど!」
「……そして」
さらに一歩、前に足を踏み出すエステル。
「――クーちゃんの命が、今も燃え続けている。貴女の魔術による縛りで、クーちゃんの命は支配されている。これも、間違っている?」
「…………!」
フィオナは、その場で顔を伏せる。
「その方は言っていたわ。貴女がそばにいてはクーちゃんが危険だと。だから私たちに協力を求めにこられたの。ヴァーンもきっと、多少強引にでも優勝して貴女からクーちゃんを引き離すつもりでしょう。まるで乗り気ではなかったけれどね」
「…………そう、ですか……」
エステルの話を聞いて、フィオナはことの成り行きを理解した。
クレスが勇者であることを見抜き、そこまでの事情を知ることが出来る者など、そうはいない。そしてフィオナの中で心当たりは一人しかいなかった。
「……聖女様、なのですね」
フィオナのつぶやきに、エステルは何も応えない。
聖女の瞳――『
だから、ヴァーンやエステルにそんな話を出来るのは彼女しかいないのだろう。
果たして、フィオナの予感は当たっていた。
◇◆◇◆◇◆◇
――決勝が始まる前。
エステルがヴァーンの治療を終えたあと、二人は控え室の外で話していた。
『助かったぜエステル。わざわざ悪かったな』
『冷やしただけよ。それにこのくらいの傷、貴方なら何の問題もないでしょうに』
『へへ、せっかくクレスとやれるんだから、気兼ねなく全力でやりてーだろ? あいつは相手の負傷部分なんて絶対に狙わねぇからな。あー楽しみだぜ! 最後にやってからいつぶりだったかな!』
ヴァーンは子供のように無邪気な顔で喜び、エステルはわずかにだけ口角を上げた。
『それじゃあ私は席に戻るわ。せいぜいボコボコにやられてきなさい』
『おいおい、勝つのはオレだろうが! オレの応援もしろ! 一応は旅の相棒だろうが!』
『冗談は顔と声と姿形だけにして』
『ほぼ全部じゃねーかあああああ!』
そうしてエステルが戻ろうとしたとき、二人に声が掛かった。
『――あの! お待ちください!』
二人が振り返った先にいたのは――聖女ソフィアである。
『うおっ!? 聖女サマ!?』
『せ、聖女ソフィア様? なぜこのようなところに……』
突然のことに驚愕する二人。
ソフィアは走ってきた足を止め、必死に呼吸を整える。その背中を傍らのメイドが優しくさすっていた。
『あ、あなた様は、クレスくんの――いえ、ク、クレス様の、次の、お相手の、方っ、ですよね?』
『あ、ああ、そうだが。――ん? 待て。あんた、なんでクレスのこと知ってる!?』
動揺するヴァーンに、聖女は息を切らしながら話す。
『クレス様が、あ、あぶない、のです! どうか、わ、
聖女による懇願。
ヴァーンとエステルは、呆然と顔を合わせた――。
◇◆◇◆◇◆◇
フィオナの前で、エステルは言う。
「彼女は、クーちゃんの真実の姿を知っていて、私たちに必死の助けを求めた。あの言葉が本当なのだとすれば、やはり貴女をこの先に進ませるわけにはいかない。そして、彼女が私たちにそんな嘘をつく理由も考えられない」
「…………」
「フィオナちゃん。貴女は、クーちゃんに何をしたの」
シン――と一切の音が止む。
フィオナが、ゆっくり口を開く。
白い息が、凍りついて砕け散った。
「…………答えられません」
「なぜ?」
「
「……そう」
エステルの長いまつげがゆっくりと降り、まぶたが閉じられる。
一拍を置いて開かれたとき――
「残念だわ。貴女のこと、とても気に入っていたのに――」
美しい瞳が、魔力を帯びて冷たく揺れた。
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