♯11 勇者のお嫁さん

 男がすべてを覚悟したそのとき――少年たちの足が止まる。


「――って、そんなはずねーか!」


 そう言った活発そうな方の少年は、腕を組んでうんうんとうなずく。 


「クレスはもっと髪が長かったし、身体もがっちりと大きくてさ、なんかこう、見た目からすげーカッコイイ勇者感あったんだ! なによりクレスは魔王を倒したかわりに死んじゃったんだし、もし生きてたとしてもあんなに弱いはずねーもんな!」

「まぁ、普通に考えたらそうだよな。クレスだったら、あんなヤツ一撃で倒してただろうし」

「だよなー! ごめんにーちゃん! けど、にーちゃんもクレスみたいなすげー騎士目指してがんばれよ! オレもクレスを目指すからさ!」


 呆然としていた男の腕をポンと叩き、歯を見せて笑いながら親指を立てる少年。

 友人の子が呆れたように言う。


「おいなんだよお前。アカデミーの卒業式典見たときは魔術師になるって言ってたじゃん」

「やっぱオレはクレスが好きだからさ! このにーちゃんを見てて思い出したんだっ。クレスは勇気があって、すげーかっこよくて、誰よりもつよかったんだぜ! どんな敵にも負けない無敵の勇者だったんだ! だからオレも、いつかクレスみたいに強くなってみんなを守る! そのためにいつか聖女さまから聖剣もらうんだ! お前は魔術師になってオレのサポートな!」

「はいはい。お前、ほんとガキのときからクレスの大ファンだったもんな。せいぜいがんばれ」

「おう!」


 キラキラと目を輝かせて夢を語る少年。

 彼を見て街の人々は笑いだし、これからの平和を守るために力を合わせようという思いを口々にした。


 そんな状況を目の当たりにして――男の背中がわずかに震えた。


 隣に寄り添う少女が、男にだけ聞こえるようにつぶやく。


「幼い頃、今の両親に教わりました。『勇者』とは、強く正しい心を持つ者だと」

「……え?」

「だから、あなたはいつまでも立派な『勇者』です。わたしの、みんなの『勇者』さまなんです。わたし、ずっとずっと、そう思っているんです」


 少女は優しく、朗らかに微笑む。


 男は気付いた。

 先ほど、彼女が自分のサインに応えなかったのは、きっとこうなることを期待していたからなのだと。

 すべてから逃げていた自分を、彼らを向き合わせてくれた。


 男は、うつむき加減につぶやく。



「…………ありがとう」



 少女は、静かに笑ってくれていた。


「てゆーかにーちゃんさ、なんでこんなとこに暮らしてんだ? ――あっ! ひょっとしてフィオナのコイビトか!」


 突然飛び出した少年の発言に、その場の全員がざわつき始める。


 フィオナは街でも非常に名の知れた才女だが、浮いた話は何一つない完璧な優等生だった。そのあまりにストイックな学生ぶりから、男に興味がないのではないかとさえ噂されていたのである。

 その彼女が、一人暮らしの男の家に上がり込み寄り添っている。そう思われるのも無理はなかった。


 男が慌てて否定しようとすると、少女は男の隣に並んだまま穏やかに返した。


「いいえ、違いますよ。恋人ではありません」


 ホッとする男。


「ちぇっ、なんだやっぱちがうのか。フィオナにコイビトが出来たらすげぇ大ニュースだったのにさ!」


「はい。わたしはお嫁さんになりますから!」


『…………は?』


 全員が硬直する。

 

 少女は男の腕に抱きつき、堂々宣言する。



「わたし、フィオナ・リンドブルーム・ベルッチは、今日からこの方の妻となります。生涯をかけてこの方を支え、添い遂げたいと思っています。それでは皆さん、改めてよろしくお願いします!」



『……え? ――えええええええええええ~~~~~~っ!?』



 歴史ある聖究魔術学院アカデミーで歴代最高成績を残した天才美少女魔術師の発言に、一気に混乱してしまう場。

 もはや大ニュースどころの騒ぎではなく、下手をしたら先ほどの魔物襲撃よりも明日のニュースになってしまう可能性があった。なにせ街中の人が気になっていた彼女の卒業後の進路は、今まで一切不明だったのだから。まさか若い男の元へ永久就職するとは誰も想像していなかったことだろう。


 慌てて街に速報を届けようとする者、ショックで固まる者、きゃあきゃあと黄色い声をあげる者などが出る中、男は慌てて少女の方を向く。


 すると、少女はめちゃくちゃ赤くなっていた。



「うう……も、もう引き返せなくなっちゃいました……。あ、あの、わたしっ、あなたに認めてもらえるようにがんばります! だから……ど、どうかお願いします。せめてもう少しの間だけでも、あなたのそばに、いさせてください……!」



 少女は真剣に、真っ直ぐに、男の目を見続けた。

 期待と不安の入り交じった、美しく焦がれる瞳。

 そこにはやはり、何か特別な“想い”が宿っているように男には見えた。


「……君は……」


 今にも泣きそうな表情で男を見つめる少女。

 男の腕を掴むその手は汗を掻き、震えている。

 

 彼女が今日、そして今、どれだけの勇気を振り絞ったのかを目の当たりにして。


 男は――小さく笑った。

 

 そして、彼女にだけ届くようにつぶやく。


「君は本当にすごいな。俺の負けだよ」

「……え?」

「二人で暮らすには、少し小さい家だが。それに、君を嘘つきにはしたくない」

「ク、クレスさん……」

「正直なところ……俺一人じゃ、限界が近かったんだ。大の男が情けない話だと思う。でも……どうしてかな。君には、弱い自分をさらけ出せる。不思議と、心の内を明かせてしまう。はは。こんなのは初めてだ」


 少女の瞳が、湖面のようにゆらりと潤んだ。


「ああそうだ、今日は君の誕生日と言っていたね? よし、ならアカデミーの卒業も兼ねて、お祝いをさせてもらえないだろうか。大したものは用意できないけど、どうだろう?」


 少々呆然とした面持ちで、少女はぽつりともらす。


「……いいん、ですか?」

「うん?」

「あなたの、そばに、いても……」

「ああ。君がいいのなら」


 男は、少しだけ照れくさそうに笑って頬を掻く。


「だが……け、結婚の話は、少し考えさせてもらえると助かるよ。――フィオナ」



 すべてを失った男――クレスは、このとき初めて少女の名前を口にした。


 そして少女――フィオナは、ぽろぽろとこぼれる涙を拭うこともない。




「――大好きです! クレスさんっ!」


「えっ!? ちょっ――」




 突然抱きつかれたクレスの唇に、フィオナの唇が重なる。周囲から歓声が上がった。


 キスを終えたフィオナは、クレスの腕の中で大粒の涙をこぼしながら微笑む。




「わたし、頑張ります! もうあなたが頑張らなくて済むように! あなたの一番大切なお嫁さんになれるように! あなたを、誰よりも幸せに出来るように!」 




 ――『最強の勇者』、クレス・アディエル。


 ――『最強の花嫁』、フィオナ・リンドブルーム・ベルッチ。




 かつて世界を救った勇者と、その勇者を救った少女。



 これは、そんな二人の恋の婚姻譚ものがたり――。

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