♯10 勇者の在り方

 やがて自然と少女の手が離れて落ち着いた頃、和やかな空気の中で男が切り出す。


「突然だが……君に、一つお願いがあるんだ」

「は、はいっ、なんでしょう! あっ、わ、わたしはいつでも同棲OKです! 荷物もすぐまとめて――」

「え? ああいや、そうではなくて。その、街の皆には、俺のことを黙っておいてくれるだろうか」

「……え? どうして、ですか?」


 不思議そうに首をかしげる少女。

 男は目を細め、淡々と話していく。


「君はわかっているだろうが、俺はもう、皆が言ってくれる『勇者』じゃない。何の力もない、ただの人間なんだ。……いや、ただの人間よりも弱い、かな。だから、皆を失望させたくない。今は、静かに暮らしていけたらそれでいいと思っているんだ」

「……それで、『勇者クレス』は亡くなったことに……?」


 弱々しく握った拳を見下ろし、うなずく男。


 ――『勇者』とは、英雄の象徴である。


 完全無欠の強者であり、勇気を振りまく希望。人々の心の拠り所でなくてはならない。

 それが出来なくなったとき――『勇者』は『勇者』ではなくなる。

 そのときは、存在を消さねばならない。

 今の自分を、皆に知られるわけにはいかない。

 

 だから――彼女と繋がりを持つことも、避けた方がいい。男はそう考えていた。


「クレスさん……だから、街外れの森に一人で……?」

「……ああ。本当にごめん。君の気持ちはとても嬉しいよ。だけど、今の俺には――」


 男がそう切り出したとき――ログハウスの扉がノックされた。


 男と少女は顔を合わせ、まだろくに歩けない男のかわりに少女が扉を開けてくれる。


 するとそこに、先ほど少女が怒鳴りつけた街の住人たちが揃っていた。

 そのうちの一人が口早に言う。


「やっぱりここにいた! おーいみんな! フィオナちゃんも一緒だぞ! というかそこの旦那、こ、こんなところに暮らしていたのか? 道理で見ない顔だったわけだ!」


 街の人々にも知られていなかったこのログハウス。そこに大勢の人々が集まってくる。

 男はその様子に驚いて立ち上がり、少女がそれを手助けしてくれた。


 男と少女を前にして、街の人々は一斉に頭を下げる。


「フィオナちゃんさっきはすまんかったっ! この通りだ!」

「俺たちが悪かった。混乱してて、つい」

「フィオナちゃんに助けてもらったお礼も言わず、申し訳なかったなと」

「わたしたち子供を守ってもらったのに……ごめんなさい」

「フィオナさんに怒られて気づけたの! ありがとう!」

「文句ばっかり言ってるヒマがありゃ、礼の一つでもする方が先だよな!」

「そっちのあんちゃんも、子供たちを助けてくれてありがとな!」


 目の前の状況がよくわからず、男は目をパチパチとさせる。


 続いて、あのとき男が身を挺した助けた二人の少年が前に出てくる。


「にーちゃんとフィオナ! さっきは助けてくれてありがとな!」

「お礼も言えないままだったから、慌てて追いかけてきたんです。ありがとうございました!」


 二人もまた頭を下げてから、クレスたちを見つめた。

 どちらも手や足に擦り傷を負っていて、顔も汚れている。それでも、瞳の中には確かな希望の灯火が宿る。

 

 男はしばらく呆然とした後、小さく微笑む。それから、少年二人の頭をそれぞれに優しく撫でた。


「二人が無事で良かった。だが、俺はろくに何も出来なかったからな。お礼はこちらのお姉さんにしてあげてくれ」


 もう、これで十分だった。

 これ以上の幸せは、ない。


 男が隣の少女に手を向けると、少年の一人が男の手を引いて言った。


「そんなことねーよ! にーちゃんもすげーかっこよかったぜっ! あんなでかい剣を振り上げてさ! まるで勇者クレスみたいだった!」

「えっ?」


 思わぬ発言にドキッとうろたえる男。

 すると、活発そうな方の少年がその目を細めて男を見た。


「――ん? あれ? そーいやにーちゃん、勇者クレスに似てねー?」

「えっ」


 じりじり。二人の少年が男に近寄る。クレスは少しだけ後ずさりした。


「なぁ、このにーちゃん似てるよな? ほら、オレたち一緒に勇者クレスの祝勝パーティーのぞきにいったじゃん。遠くからであんま見えなかったけどさ」

「う、うん。確かに似てるなぁ。だいぶ短くなってるけど金髪だし、身長もこれくらいだったような……」

「だよな! 見れば見るほど……それにあの剣だって『聖剣ファーレス』に似てるぞ! オレ、クレスのファンだったからわかんだ!」

「あ、い、いやこれは!」


 慌てて剣を背中に隠し、うろたえる男。


 じりじりじり。少年たちがさらに近づいてくる。


「え、ええっと……」

 

 男はうっすらと背中に冷や汗を掻いていた。

 自分が死んだことにしたとき、かつては長かった金髪を耳の辺りまで短くした。それだけでだいぶ印象が変わると思っていたし、地味めな服ばかり揃えたり、身だしなみはだいぶ変化させてきたつもりだ。

 こんなところで暮らしているのも極力目立たないようにするためであり、どうしても街に行かなくてはならないときも、出来る限り人前で顔を晒さないようにしてきた。


 ――このままではマズイ。


 表面上は冷静さを保っているが、男は内心焦っていた。

 もしここで自分の正体がバレてしまえば、勇者が逃げ隠れていたことで誹謗中傷を受けるかもしれない。

 それはいい。そんな些末なことは問題ではない。


 男が何より恐れるのは――皆の期待を裏切ること。


 衰えた自分の姿から、『クレス』が築いた皆の“勇者像”が崩れてしまうこと。


 それだけは絶対に避けなければならない。

 平穏を取り戻しつつある彼らの暮らしを邪魔したくはない。

 ようやく勇者の必要ない世界が生まれ始めたのだから。

 元勇者が現れる必要など、ない。

 

 男は、少女の方に視線サインを送ってみた。


 だが、それに気付いたはずの少女はニコリと微笑むのみだった。

 彼女は自分の事情を知っている。つい先ほども、正体を隠してほしいと願ったばかりだ。

 男は、彼女ならきっと協力してくれるだろうと思っていたのだが、どうやら助け船を出してくれるつもりはないらしい。なぜなのか。考えてもわからない。


 男はさらに焦燥する。



 ――ダメなんだ。クレスは、みんなの前に現れちゃいけない……!


 

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