♯9 夢


「――へ?」


 突然の逆プロポーズに、少々間の抜けた声を上げてしまう男。


 少女は背筋を伸ばして姿勢を正す。


「さ、先ほどは言いそびれてしまったんです! あのっ、わたし魔術の腕には自信があります! アカデミーでも褒められたんです! 傑出した魔術の才を持つ『アルトメリア族』のエルフにも負けないって太鼓判だったんですよ! 魔物とだって戦えます!」

「え、あ、そ、そうか」

「それに魔術だけじゃありませんっ! お料理もお掃除も、花嫁修業は何でもしてきました! 男性は家事が苦手な人が多いと聞きますし、きっとお役に立てるはずです! 好きなお料理を教えてください! プロ級にマスターしてみせます!」

「あ、いやっ」


 男が何か返す間もなく、どんどんと詰め寄ってくる少女。二人の距離は急接近する。


「容姿だって、そ、そう悪くはないですよねっ? わたし、同年代と比べたら成長は早いほうだと思うんです! 男の人は、長い髪とか、その、おっ、大きな胸が好きだというので、毎日ミルクを飲んで、マッサージをして……あ、あなたに気に入ってもらえるようにって……」


 自分の身体を見下ろして、頬を赤く染めながら小声になっていく少女。


 艶やかな髪。

 美しく澄んだ青い瞳。

 火照った頬。

 手を当てた胸が呼吸のたびに膨らむ。

 緊張で流れた額の汗が、胸元へ吸い込まれるように落ちた。


「よ、よよっ、夜の方だけは……じ、実践なんて、あの、ひ、一人では限界がありまして、今後の課題と……って、わぁわぁ! なんでもないですちがうんです!」


 ブンブンと両手を振って誤魔化そうとする少女。

 男はいまだに呆然としたままで言葉も出ない。


「あの! で、ですからどうか! その! す、末永くよろしくお願いしばふぇ――あ、ああああ~っ! か、肝心なところで噛んじゃったぁぁぁぁ~~~!」


 顔いっぱいに紅潮しながら、涙目で縮こまっていく少女。

 

 そんな少女を見て。


 男は、思わず吹き出して大笑いした。


「ああっ! わ、笑わないでください! わたし、ずっとこの日のために言いたいことを覚えて練習してきてっ、な、なのに! もうっ、ぜんぶあの魔族のせいです! あんなタイミングで邪魔するからぁ~!」

「ふっ、はははははは! ご、ごめん! けど、ぶっ、あははははは!」

「わ、笑ったらダメなんですうううぅ~~~~~~~!」


 笑いが止まらない男と、羞恥心でもう大変なことになっている少女。

 珈琲の良い匂いがする中で、二人はしばしじゃれ合う。

 そのひとときには、とても温かい空気が流れていた。


 男は思う。


 こんな風に笑えたのは、一体いつ以来だっただろうか、と。



 ――それから落ち着いた後に、男は温かな珈琲に口をつけて言った。


「うん、美味しい。いつも俺が使っている豆と同じものとは思えないな」

「ほ、本当ですか? 良かったぁ。あ、わたし紅茶も得意なんですよ! 次の機会にご馳走します! そのときはクッキーも焼きますね!」

「そうか、ありがとう。嬉しいよ」

「えへへへ。本当に、遠慮なく何でも言ってくださいね! わたし、頑張ります!」

 

 目の前で立ち上がり、両手を胸元に寄せてガッツポーズを取る少女。

 その際、強調された胸の大きさについ目が向いてしまったが、男は紳士的に目を逸らす。

 

 それから男は、咳払いをして口を開いた。


「――あのさ。君は、あの村の女の子だったんだね」

「え? お、思い出してくれたんですかっ!?」

「ああ。やっぱりそうだったのか」


 少女の大きなリアクションで確信する男。

 だとすれば、いろいろと納得出来るところもあった。


「だけど……会ったのはもうずいぶん前だよね。六年は経つ……かな?」

「は、はい。当時わたしは九つだったので、丸六年です」

「そうか。今でもよく覚えてるよ。俺はあのとき十六で、ようやく勇者として認められ始めた頃だったな。だから、君の村の人たちを救えなくて、あのあとはしばらく落ち込んでいた。いくら力を付けても、それが正しい時、正しい場所で使えなきゃ意味はないんだって」

「そ、そんなことはないです! きっとみんな、あなたに感謝しているはずです! もちろんわたしも! だからわたし、あなたに……!」

「……ありがとう。でも、少し驚いたよ」

「え?」


 キョトンとまばたきをする少女。

 男は、改めて彼女を頭からつま先まで見つめて話す。


「まさか、こんなにも綺麗な女の子に成長しているなんて思わなかったから、わからなかったんだ。すぐに気づけなくてごめん」

「え、き、きれ……? わたし、が? え、え、えっ、あ、あう……!」


 かぁ、とまた綺麗に紅潮していく少女。あちこちに視線を彷徨わせ、落ち着かない様子であたふたする。

 これだけ美しい容姿だ。とうに褒められ慣れているだろうに可愛い子だな――と男は思った。


 すると、今度は声もなく泣き出してしまった少女。

 男はギョッとする。


「えっ? ど、どうしたっ!? どこか怪我でも……!」

「いえ、ち、違います。ごめんなさい。その…………う、嬉しくって……」

「……え?」

「わたし、ま、またあなたに会って、ちゃんと、お礼を言いたいと、ずっと、夢に思っていて……。それが、今、か、叶ったから…………え、えへへ」


 涙を拭いながら微笑む少女。

 そんなことを夢だと語り、自分などを追い続けてくれたどこまでも健気な姿に、男の胸が熱くなる。

 勘違いではない。

 心臓が、熱くなっていた。


「クレスさん」


 少女は、綺麗な瞳で男の名を呼んだ。



「あのときは……本当に、本当に、ありがとうございました。わたし、あなたのおかげで、ここまで育つことが出来たんです! きっと、パパとママも喜んでくれています!」



 ――本当に、強く優しい子だ。


 男がそう思ったとき、少女が椅子に座る男の頭にそっと手をのせた。


「わたしの夢、もう一つだけ、叶えさせてください」


「え――」


 すると少女は、男の頭をそっと自分の胸元に引き寄せる。

 彼女の豊かな双丘は、とても瑞々しい弾力の柔らかさだった。甘く、心地良い香りがする。そしてなによりも、すべてを筒混むような優しさがあった。

 

 少女は、その細い指で優しく男の頭を撫でる。


「ん? な、なにを?」

「あのときの約束です」

「約束?」

「はい。わたし、言いましたよね。世界を平和にしてくれたら、褒めてあげるって。だから……今まで、よく頑張りましたね。偉い偉い、です。すごいです。たくさん褒めてあげますね」

「あ、ありがとう…………けど、さすがに、その、は、恥ずかしいな……」

「えへへ……じ、実はわたしも、です……」

「そ、そうか……」


 照れあう二人。なんともこそばゆい空気が流れる。


 頭を撫でられる行為は、まるで子供への扱いだ。


 しかし――男は決して嫌な気持ちにはならなかった。


 それどころか、心地良ささえ感じている。

 彼女と一緒にいると、心が安らぐ。

 いつしか忘れていた純粋な感情が込み上げてくる。


 こんなことは、初めてだった。


「あ、あの、もう少し続けさせていただいても、いいですか?」


「…………うん」


 小さく答える男。

 少女は嬉しそうに微笑み、しばらくの間そうしてくれていた――。

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