♯5 平和を乱す音


 ――と、そこまで続いた少女の言葉は突如として響く大きな地鳴、爆発音のようなものによってかき消された。


「きゃっ!?」

「っ!? な、なんだ!?」


 すぐに反応した男は少女の横を通り抜け、家の外へ出る。少女も慌てて続いた。

 すると、街の方からいくつもの黒煙がもくもくと立ち上っているのが見えた。同時に、たくさんの悲鳴が街外れのここまで届いてくる。


 ぴりぴりと肌がひりつく嫌な感覚。

 今まで数え切れないほど感じた悪意。

 大気を震わせるような威圧感。


 一瞬で、男の目に戦いの炎が宿る。


 男は家の中に戻ると、立てかけてあった大きな剣を握りしめて再び外へ飛び出し、そのまま街へ向けて走り出していった。


「…………あっ」


 一人ぽつんと残されたのは、魔術師の少女である。



「……え、え? なに……が…………えっ…………」



 まったく理解が追いつかない少女は、やがて顔を震わせてべそをかき始めた。


「……う、うううう~! なんなんですか! どうして……どうしてこのタイミングなんですかぁっ! わたしにとっていちばん! いちばん大切な日だったのに! いちばん勇気を出した瞬間だったのに! このために毎日がんばって、たくさん練習だってしてきたのに! もう! わけわかんないけどぜんぶ台無しですっ!」


 少女はごしごしと袖で涙を拭うと、しっかりした足取りで立ち上がる。

 そして、男を追うように勢いよく駆け出していった。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 男が街に辿り着いたとき、そこは無残な有り様となっていた。


「なっ……!? これは……ひどい……!」


 先ほどまで華やかに盛り上がっていた街は一変。

 いくつもの建物が破壊され、倒壊し、綺麗に飾り付けられていた祭り用の装飾類も見る影もない。老若男女問わずに悲鳴をあげて逃げ惑っており、中には瓦礫の下敷きになって動けない人々もいた。大広場にあった『勇者クレス』の像は見るも無惨に崩れ、沈黙している。


 そんな住人たちの流れを縫って走るのは、騎士団員たちや魔術師たち。

 彼らが慌てて向かうその先を見て、男は目を疑った。


「――キ、キングオーガ!?」


 眼前の信じがたい光景に驚愕する男。

 

『巨人族』と呼ばれる魔物の中でもひときわ大きな体躯を持つ凶暴な種族──『オーガ』の最上位種。筋肉質な肉体は赤黒く、頭部には一本の巨大な角が生える。その巨体は聖都の民家など容易く踏みつけに出来るほど巨大である。

 かつては魔王の配下として大陸中に恐怖をまき散らした戦士であったが、もうその生き残りはいないと思われていた。

 しかし今、確かに男の目の前にいるオーガは聖究魔術学院の塔と並べるほどの巨体で腕を薙ぎ払い、斧を振り下ろしては街を破壊し、そのたびに地面を震わす振動が響く。弱者を蹂躙するその力は、並大抵の冒険者では歯が立たない。


「馬鹿な……ヤツは大陸最果ての『幻想地帯』にしかいないはず、こんなところに現れるはずがない! なぜ誰も気付かなかった!?」


 聖都は大陸中央の平野に座する内陸の街。その立地は魔物や魔族たちの存在や侵攻をいち早く察知するためのものでもある。

 しかし、この状況になるまで誰もがオーガの存在に気付かなかった。そんなありえない異常事態に男は混乱する。

 だが、すぐに自分を戒めた。


「……いや、それは自分も同じこと! こんなヤツが街に近づいてたことにも気付けないほど耄碌していたのか、俺は……っ!」


 苦々しい顔で歯を食いしばる。

 キングオーガの近くでは騎士や魔術師たちが応戦を始めていたが、激しく暴れるオーガに手も足も出ない状況だった。鍛え抜かれたはずの騎士団員や、優秀なアカデミー卒業生の魔術師たちさえである。その現状がまた都民たちを絶望させていた。


 だが、それは当然のことだった。


 この一年、魔族はおろか魔物さえろくに現れない“平和な世界”にすっかり慣れきっていた彼らには、以前のような心身の強さも、平和への貪欲さもない。なにより“戦い”の経験すらしたこともない若者も多い。


 キングオーガは大口を開けて笑う。


『グググ……わらわらと数だけは多い! だが弱すぎるぞォ!! 勇者どもの亡き今、貴様らの希望たる『聖女』さえ葬ればこのオレ様が次の魔王だ! 貴様らなどオレ一人で十分! 人間共は一人残らず駆逐してやるわァァァァァ!!』


 知恵を得た魔物――『魔族』は人語を解し、複雑な武器な魔術さえ容易に扱う。

 キングオーガの咆哮と暴力に、騎士も魔術師たちもまるで歯が立たない。


 そのとき、男の目に二人の少年の姿が映った。


「――! 君たち! 逃げるんだッ!!」


 それは、先ほど祭りでアカデミーの卒業式典を見ていた少年たちである。


「あ、ああああ……!」

「ひ、ひい! くるなぁ!」


 二人とも腰を抜かしてオーガを見上げ、泣きながら後ずさりしている。

 その反応がオーガの気を引いてしまい、オーガは足元の子供たちを見つけると、なんら躊躇うことなくその足を踏み出す。まるで小さな虫を踏みつぶそうとするように。

 

 男は、迷わず少年たちの前に飛び込んだ。


「はぁぁぁぁあああああああっ!」


 家から持ち出したその両手剣を振り上げ、キングオーガの足を切り裂こうとする。

 だがその刃は容易く弾かれ、傷一つつけることも出来ない。

 それどころか、ただ前に踏み込んだだけのオーガの足に蹴飛ばされ、石畳を転がってしまう始末。


「ぐあっ!? うっ、ぐうううううっ……!」


 激しい衝撃に全身がびきびきと悲鳴を上げ、筋肉が千切れたように痛み、骨が軋む。呼吸が止まり、目の前が霞んだ。間違いなく内蔵にもダメージを負った。

 なんとか一撃だけは防ぐことが出来たものの、たった一瞬で、男はもう立ち上がることさえ出来ないほどにの状況に陥る。


「く、そ…………ちから、が……っ!」


 男は手に、足に力をこめて必死に立ち上がろうとするが、身体が言うことを聞かない。


 子供たちは叫ぶ。


「た、たすけて! 勇者は……ク、クレスはどこいったんだよぉっ! 勇者ならこういうとき助けにこいよ! なんで、なんで死んじゃうんだよバカッ! やくたたずっ!」

「だれかたすけてぇぇぇぇぇ!」


 子供たちの涙の叫びを聞き、男は必死に心を奮い立たせた。


 ――勇者は死んだ。


 ――どこにもいない。


 ――今の自分は何の力もない弱者だ。



 しかし、そんなことはまったく関係ない!!



 ――動け、助けろ! 


 ――それがお前の生まれた意味だろうッ!!



 心が叫ぶ。魂を鼓舞させる。

 それでも、弱り切った男の身体は動かない。


 キングオーガがまた子供たちの悲鳴に反応し、ニヤリと笑って巨大な足を上げた。

 二人の子供は、その足の影に隠れる。子供たちは絶望に声すら失っていた。

 残虐なオーガが、彼らを見逃すはずがない。


「くそ! 動け! 動いてくれッ!」


 男は強く歯を食いしばり、剣を地面に突き立てて立ち上がろうとする。それでも身体は言うことを聞かない。


 ――俺は役立たずだ……!


 こんな状況を前に、もう何も出来ない!


 心だけじゃ、前に進めない!


 そんな自分が――何よりも情けない!


「ふざけろ……ここで動けなければ、俺はっ、何のために生まれた! 母が願った平和を――こんな、ところで! 台無しにして、たまるか!」


 男の目の前で、キングオーガは容赦なくその足を振り下ろす。



「!! やめろおおおおおおおおおおおおッ――!!」


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