♯4 勇者クレス・アディエル
「……わたしは、あなたに逢いにきたんです。あなたと一緒にいて、あなたをそばで支え続けるために! ただ、それだけ……なんです」
「言っている意味がよくわからないのだが……。そもそも君は、俺のことなんて何も知らないは――」
「知っています」
「え?」
男のまばたきが止まる。
「――勇者『クレス・アディエル』。あなたは、この世界を救ってくれた人です」
少女は胸元に手を当てて、真っ直ぐに男の目を見つめていた。
「あなたは魔王を倒して世界を、人々を救い、平和な時代をもたらした英雄です。厳しい戦いの果てに勇者としての力を失い、身も心も限界を迎えて、そんな自分を隠すため、『勇者クレス』は死亡したことにして、今も一人、生き続けている。この平和になった世界の、煌びやかな街の隅で、人々に忘れられていきながら、たった一人で。まだ完全にいなくなったわけでない魔族や魔物たちが街に入らないよう、こんなところに暮らし続けて」
「……!? どうして…………そこ、まで…………っ!」
男は呆然とするしかなかった。
それは“真実”だったからだ。
誰にも明かしてなどいない。
自分がここで生きていることは、おそらく聖女やシャーレ教会の幹部たちさえ知らないだろう。
なのになぜ、彼女はそこまでのことを知っているのか。
「君は、一体……?」
男が尋ねる。
少女は床に正座したままニコリと微笑んで、銀髪をさらりと揺らしながら話す。
「きっと、あなたは覚えていませんよね……。でも、わたしはずっと、覚えています。わたしは、あなたに救ってもらえたから」
「……え?」
「いいんです、あなたが覚えていなくても。それでもわたしは、小さい頃からずっとあなたを捜していて、いつしか、あなたがここに隠れ住んでいることを知りました。とてもとても、嬉しかったです。生きていてくれたとわかったから。また、あなたに逢えると思ったから。ちゃんとお礼を言いたかった。それが、わたしの生きる目的でした。だから……ありがとうございました!」
少女は頬を緩ませながら、本当に嬉しそうに語った。
積年の想いを、一つ一つ丁寧に紡ぐように。
男は、彼女から目が離せなくなる。
「けれど……幼いわたしがあなたのそばにいては迷惑だと思いました。だから立派になるまでは、せめてアカデミーを卒業するまではここに来ないと決めたんです。そして今、わたしは十五になり、アカデミーを卒業しました」
「……だから、俺のところに来た、と?」
「はい。今度はわたしがあなたを救う番です。わたしは、そのためにアカデミーで魔術を学びました。こうして、あなたの隣に立つことが出来るように」
「俺の……ため……?」
「はい。だから、だから――」
そこで、少女はゆっくりと両手を前に広げ。
そして、そっと男を抱きしめた。
「――もう、いいんだよ。頑張らなくていいんだよ」
彼女の手が、優しく男の頭を撫でる。
「一人で頑張らなくていいの。もう、いいんです。あなたが今までにたくさんたくさん頑張ったことは、ちゃんと知ってます。だから……もう、あなたも誰かに甘えていいんです。これからは、わたしがそばにいます。わたしが、あなたのことを守りますから」
それは、優しく心に染み渡るような声だった。
男は感覚的に理解した。
この少女は、きっと“すべて”を知っている。
すべてを知った上で、今、こうしてくれているのだと。
そう理解したとき、自分よりもずっと年下の彼女が、まるで女神のように思えた。
深く、温かく、何よりも優しいものに包み込まれている。
男の目から、自然と涙がこぼれ落ちた。
「…………俺、俺は」
「はい」
「ずっと、頑張ってきたんだ。母のため……皆のために、たくさん、戦って」
「はい」
「何人もの仲間を失って、もう進めないと思って、二度と立てなくなるくらい辛いことがあっても、歩き続けた。どれだけボロボロになっても、堪えて、こられたんだ。必ず世界を平和すると、そう誓っていたから。それが、
「はい」
「けど……だけど、魔王を倒して、平和になって…………気付いたとき、俺には、何も、残ってなくて……」
「……はい」
「俺、俺は、ずっと、ずっと…………!」
ため込んでいたものを、堪えていたものを吐き出すように語る男。いつの間にか少女の豊かな胸元に顔を押しつけ、すべてを吐露していた。
少女は、ずっと静かに話を聞いてくれた。
うなずき、時折、優しく頭を撫でてくれる。
まるで、幼き日にそうしてくれた母親のように。
「いいんですよ。大丈夫です。全部、わかってます。あなたの苦しみは、わたしがみんな受け止めます。だから、何でも言ってください」
「う、ぐっ……」
「怖がらないでいいんです。わたしがいます。わたしが、あなたを支えます。あなたのために生きて、あなたに尽くしたいんです。そのために、ここにきました。だから、いくら泣いたっていいんですよ。そうして、たくさん泣いたあとは前を向いてください。あなたは、もう笑って生きるべき人なんです」
すべてを包み込むようなその言葉。
男は、しばらく彼女の胸元で甘えるように泣いた――。
――やがて、男が涙に濡れた顔を上げる。
「……すまない。恥ずかしいところを見せちゃったね」
「ふふ、いいえ。勇者さまの珍しい泣き顔が見られて、ちょっぴり嬉しいです」
少女は男の涙をハンカチで拭って、ひときわ優しく微笑んでくれた。
羞恥心から目を逸らしてしまう男は、出会ったばかりの年下の少女に情けない姿を見られたにも関わらず、不思議と、それが悪くない気持ちだった。
それから、少女が一度緊張するように唇を引き締めて、男と正面から向かい合う。
少女は意を決したような表情で言った。
「あのっ! そ、それでですね……実は、その……お、お願いがありますっ!」
「お願い?」
「えと、えとっ、あ、あのですね! こ、これから一緒にいるために、その……わ、わた、わたっ」
少女はその顔を真っ赤にして、もじもじと太股を擦り合わせ、今にも逃げてしまいそうに緊張しながら、それでもちゃんと男の目を見ていた。
逃げずに、前を向いていた。
「わ、わたしを! あなたの! およ――――」
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