♯3 光を浴びる者、かつて光を浴びた者

 ――憧れている?

 この少女が何を言っているのか、男には意味がわからなかった。

 

「…………君は、君はいったい……」


 自然と手に力がこもる。

 そのもやもやが、やがて苛立ちに変わっていた。


 勇者も魔王も、もういない。


 魔物もずいぶんと減って、平和な世界になった。穏やかな時代になった。


 あの街に、もう自分を知る人物などいない。


 もう、この世界に自分を求める人はいない。


 もう、自分には、何の力もない。


 ウサギ一匹狩るのに何時間もかかり、簡単に怪我をして、一人で生きていくだけでも精一杯だ。


 自分が一番よくわかっている。

 今の俺に、価値はないんだと。


「……からかっているなら、帰ってくれないか」

「え?」

「ここは、君のように将来有望な魔術師が来るところじゃない。君の世界はあの街の、眩しい光の中だ」

「で、でもわたしはっ」

「俺のことを何も知らない子が……どうして、俺なんかに会いにくるって言うんだ? 今すぐ帰ってくれ!」

「きゃっ――!」


 男は少女を突き飛ばし、乱暴に扉を閉めて鍵を掛ける。


 しばらく待つ。

 扉の向こうからは、何の音もしなくなっていた。


「…………ごめん。すまない。けど、俺は、俺は…………すまない……!」


 小さな声で謝罪する。

 もう、あの少女は扉の前からいなくなっているだろう。それでも男は謝るしかなかった。


 すると。



『――扉の前から離れていてください!』



 少女の声が聞こえた。


 目の前の扉。その向こうで、少女が何かをぶつぶつと唱えている。


 まさか――!


 男がそう思ったときには既に扉が変形し、爆発を起こした。



「う、わああ――っ!?」



 凄まじい爆発の勢いに、扉ごと家の中へ吹き飛ばされ、悲鳴を上げる男。そのまま扉の下敷きになってしまい、身動きが取れなくなる。


 扉のない入り口に立っていた少女は、そんな男の状態を見て慌てて中に駆け寄った。


「……え? きゃあっ! ど、ど、どうしようっ、ごめんなさい! そんなつもりじゃなくて! あの、い、今すぐ助けます!」


 少女は男に寄り添い、軽く人差し指を振るだけで詠唱もせずに魔術を発動。

 すると扉が浮かび上がり、そのまま元の場所へと移動。同時に扉や玄関の破損部位が時間を巻き戻すように元通りに修復されていく。

 さらに逆の手では男に回復魔術まで施しており、今できたばかりの傷も、先ほどウサギに噛まれた場所も、すべてが綺麗に治癒されていた。


「あ、ありが、とう……。でも、三つも同時に魔術を……? すごいな……君は……」

「こ、これくらいはなんてことないです! えへへ!」


 彼女は実に簡単そうにやっているが、それがとんでもない能力であることを男はよく知っていた。


 魔術とは、自身の中で魔力を必要量分だけ練り上げ、それを体内の回路に通して命令を行うことで発動する。普通の魔術師であれば、その命令を一つずつ行うだけで精一杯だ。そもそも人の身体はそういう風に出来ている。

 それを三つも同時に行うマルチキャストするというのは、脳や魔術回路を完璧にマルチタスクで操っているということだ。二つ同時程度なら使える魔術師は多くいるが、それ以上となれば生まれ持った資質が必要であろう。


 突然のことに呆然とするしかない男。

 すると、少女がその場で床に両膝をつき、いきなり土下座をした。


「あの! ほ、本当にごめんなさい!」

「え?」

「こんな乱暴なことをするつもりじゃなくって……だけどわたし! どうしてもあなたとお話がしたくてっ!」

「……俺と?」

「はい! アカデミーも、魔術協会も、聖女さまも、何も関係ないんです! わたしはっ、ただ、あなたに、あなたに逢いたかっただけで……!  だから、つい扉を……ごめんなさい! 無理かもしれませんが、し、信じてください!」


 ペコペコと何度も頭を下げ続ける少女。

 その頃には、男の頭はもうすっかり冷えていた。

 何よりも、彼女のあまりにも真剣で危機迫った姿を見て、男は少女の人となりをなんとなくだが理解する。


「……わかったよ。とりあえず話は聞くから。顔を上げてくれ」

「――え? ほ、本当ですかっ?」

「ああ。ほら、もういいから。今日一番の主役が、そんなことをしちゃいけない」

「……あっ、ありがとうございます! だ、だけど改めてすみませんでした!」


 また深々と頭を下げる少女。

 男は困ったように頭を掻くが、やはり自分の考えは間違っていないと知った。


 彼女はきっと、悪い子ではない。


「もういいんだ。それより俺の方こそ、いきなり突き飛ばしたりしてすまない。君の方こそ、どこか怪我してないか?」

「い、いえそんな! 大丈夫ですっ、いきなり押しかけてしまったわたしが悪いんですからっ」

「いや、それは違う。どんな理由があったとしても、女の子に手をあげるのは最低の行為だ。母に固く教わっている。悪いのは俺の方だよ。だからもう気にしないで。お願いだから顔を上げてくれ」

「で、ですが……」

「いいんだ。そんなことより、君はアカデミーの卒業生だろう? それも首席の。こんな晴れの日の舞台に、どうして俺なんかのところに……?」


 尋ねた男の言葉に、少女はそっと顔を上げる。


 そして、二人の目が合う。

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