射手ふたり3

 転がり込むように丘の陰に入った。

 その丘は周囲より三メートルほど高くなっているなだらかな地形で、さすがにこれを簡単に破壊することはできないだろうと思われた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」

 大きく息を吸って呼吸を整える。


 楓は鞄の中から瓶を一本取り出して飲み干した。荒かった呼吸が少しおさまり、吹き出していた汗も少なくなったようだ。瓶の中身は体力回復の薬だった。少し余裕が出てきた。


「もしもし、浅村くん? 結希奈さん? こよりさん? メリュジーヌさん?」

 こめかみに手を当てて仲間たちに〈念話〉を送るが、誰の返事もない。


 もともと〈念話〉の届く距離はおよそ半径一キロメートルと言われている。しかし慎一郎達は途中に〈念話〉の中継機能を持つマジックアイテムを置いてきているはずだ。現につい先ほどまでは何の問題もなく通話ができた。


 楓の置かれているこの状況――。敵の本格的な反撃が始まったと考えるべきだろうか。

 仲間の援護は期待できない。楓は頭を切り替え、状況を整理する。


 敵は一キロ以上の遠方――おそらく数キロ先から恐ろしいまでの精度と未来予測で攻撃してくる。

 使用するのは通常の矢。射たあとに軌道を変えてくることはできないが、多数の矢を同時に打ち出すことはできるようだ。


 以上のことから彼我の実力差を考える。


 悔しいが、弓の精度では向こうの方が確実に上だ。楓には矢の軌道を変えずにあれほどの精度を出すことはできない。

 しかし敵にできなくて楓にできることもある。

 そのほとんどは楓が巽に教授されたものである。楓は巽に心から感謝した。


「三の矢、『快刀乱麻』」

 楓は丘の影から敵が潜んでいると思われる方向とは逆方向に矢を放った。

 矢はしばらく直進すると、九十度角度を変えて急上昇し、そのまま楓の頭上を越えて放物線を描いて反対方向へ飛んでいく。


 楓は眼前にレンズを作りだした。そこに矢から見える光景が映し出されるのだ。

 元は矢の軌道を操って命中率を上げるのが目的の魔法だが、射手の死角を見ることができるので、このように索敵に使われることも多かった。


 楓の目には一面の荒涼たる景色が広がっていた。今の楓がそうしているように身を隠せそうな岩場は多い。しかし見る限りの範囲内では敵の姿は見当たらなかった。もし敵が楓のように単独で行動しているのならば、発見はかなり難しいと言わざるを得ないであろう。


 その時、視界の真ん中に向けて何かが高速で飛んでくるのが見えた。


「ひゃっ……!」

 思わず目を閉じ後ずさってしまった楓。しかしそれは楓の目の前で起こった出来事ではない。

 敵のおそるべき狙撃能力は飛翔する矢に矢を命中させるレベルだった。


 しかし幸いなことに楓の矢は魔力で編まれた物であり、敵の矢が当たったところでその軌道が変わることはない。

 そう思ったところで矢からの映像がかき消えた。直前にやはり矢が迫ってくるのが見えた。


 敵は楓の矢が魔法で作られたものを瞬時に看過し、それを打ち消す属性を矢に与えて狙い撃ったのだろう。だとするとおそるべき相手だ。


「でも、だいたいの位置はわかりました」

 敵が楓の矢を狙ったということは、その軌道の先に敵がいるということになる。これは大きなヒントであった。


 方針はまとまった。さらに敵の位置を正確に知る必要がある――

 そこまで考えたところで、楓の前方――敵がいる方角とは反対方向――百メートルほど先の地面が轟音とともに突然割れた。

 敵は矢の軌道から射手の場所を逆算して攻撃してきたのだ。


 しかしこれは楓の予想の範囲内だった。矢の軌道を変えることができる楓にとって居場所を偽装することは容易い。


「いでよ、闇の矢よ」

 頭上から矢は一定間隔にその周囲を舐めるように降ってくる。その雨の中楓がつぶやくと、彼女の右手に鈍く輝く闇の矢が現れた。その矢は薄暗い〈ネメシス〉において保護色となる。


「三の矢『快刀乱麻』、プラス、二の矢『百花繚乱』」

 楓が矢を放つと、先ほどとは少し異なる位置から魔法の矢は垂直に打ち上がっていった。

 矢は楓の頭上を飛び越えて敵の潜んであるであろう方角へ飛んでいく。間もなく最初に狙撃された付近にさしかかる。


 とその時、上空を飛翔していた楓の矢が無数に分裂した。

 直後に飛んできた敵の矢がそのうちの一本を正確に射抜き、その矢は霧散するが、それは今となっては数百本のうちのひとつでしかない。


 無数の矢のうちの一本から送られてくる映像を注視する楓。周囲では次々ダミーとしている矢が敵の狙撃によって消滅していく。おそるべき精度と冷静さだった。

 やがて楓が見ていた矢も狙撃されて消えた。しかし即座に別の矢に視点を移す。


 大きな弧を描いて描く矢は地面に落ちるまでの数十秒の時間を使い切り、その役割を終えた。

 楓は同じように矢を放った。これを繰り返せば自分の位置を悟られることなく敵の位置を知ることができる。


 同じ事を何度も繰り返す。分裂前に狙撃されることを避けるため、上昇の位置を少しずつ変えたり、分裂のタイミングを早めにしたりして工夫した。

 加えて、敵の発見に〈副脳〉も駆使した。矢からの映像を〈副脳〉に直接送って敵を見つけるのだ。楓自身が見るものも含めて三本の矢で同時に敵を探すことができた。


 しかしそうやって居場所を探っても、敵は巧妙に姿を隠して尻尾を掴ませない。落とされる矢の範囲からだいたいの場所は特定できるものの、その場所は常に動いており姿を捕らえることができない。


「少し試してみましょう」

 新しい矢を呼び出して弓を引きつがえる。


「三の矢『快刀乱麻』、プラス、二の矢『百花繚乱』」

 先ほどと同じように矢は後方に飛んでいったかと思うと垂直に飛び上がった。

 楓はそれを確認するより前に更にもう一本矢を呼び出した。すかさず弓を引いてそれを射る。


「三の矢『快刀乱麻』」

 そして楓は今までとは全く異なる方向――真横に向けて打ち出した。

 頭上では前に撃った矢が無数に分裂して次々敵の矢に撃ち落とされていく。それとは全く別方向に飛んだ矢が薄暮の中を大きく弧を描いて飛んでいった。


 それは地上二メートルほどの高さをするすると隼のように飛んでいく。

 そこから見える映像は魔法の力で楓の目の前にあるレンズに映し出され、楓の知るところとなる。


 見えるのは〈ネメシス〉の荒涼たる平原。生きるもののない死の大地だ。

 はるか彼方に見えるのは起伏の激しい岩場と思われる場所。それに猛スピードで近づいて行く。


 やがてそこから上方に何かが打ち上げられているのが見えた。とても細いそれは連続で放たれ、反対側から降ってくる同じく細い何かに当たっては消滅している。

 降ってくるのは楓の『一騎当千』で、打ち上げているのは敵の矢だ。


 隼のように飛ぶ矢は速度を上げた。打ち上げられる矢に向けて飛翔していく。いつしか緩やかな弧を描いていた軌道は一直線にその部分を目指すようになっていた。

 さらに近づいていたその時、岩陰に見え隠れする小さな影を見つけた。そこから矢が打ち上げられている。ついに敵の姿を捕らえたのだ。


「見つけました!」

 その瞬間、楓は次の行動に移った。

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