地下闘技場での戦い5
『そらそらそら、どうした? もっと速く走らないと当たっちゃうぞー!』
こよりの背後でゴエティアが楽しそうに鞭を振り回した。
その鞭は地下闘技場の反対側まで走って逃げてもゆうに届くほど長く伸び、こよりが走る足元をぎりぎり当たらないように打つ。近くの地面が抉られ、それによって生じた亀裂に足を取られてこよりは転倒した。
『もう終わりか? 先生はそんな子に育てた覚えはないぞー?』
完全に遊んでいる。ゴエティアは楽しそうに鞭を振り回し、こよりをいたぶっている。
ゴエティアは地面を叩くことに飽きたのか、こよりの身体を狙うようになってきた。最初はぎりぎり服にかする程度でしかなかったが、やがて少しずつ肉を打つようになった。
「ぐうっ……!」
苦悶の表情を浮かべ、こよりは立ち上がり走り出した。支給された制服はボロボロになり、下着が見え隠れしているが気にもしていられない。腕から、足から、額から血が垂れて、全身からは汗が噴き出している。打たれた部分はただれてじんじんと痛い。
ただの鞭ではなかった。超硬ミスリルのゴーレムを溶かすほどの強烈な酸だった。
酸が滴る鞭が制服越しにこよりの背を叩いた。じゅっという音とともに、こよりの制服と、その奥にある脇腹の肉を焼いた。
それでも足を止めることはできなかった。足を止めることはそのまま死に繋がるからだ。こんな所で死ぬわけには行かない。約束したからだ。
『そら、そらそらそーら。走れ走れー』
ゴエティアの鞭はこよりの足元の地面を溶かし、こよりの走る速度が少しでも落ちると容赦なく彼女の身体を打った。
襲い来る痛みに歯を食いしばって耐えた。走っているときに時折意識が遠のくが、そのたびに切り裂くような鞭の痛みに覚醒させられる。
体中が悲鳴を上げ、足がストライキ状態になるのを必死で誤魔化して走り続ける。もはや歩く速度よりも遅かったが、立ち止まるとゴエティアの鞭がやってくる。必死で走り続けた。
しかし、ついにその時がやってきた。こよりの息は上がり、足はぴくりとも動かなくなった。
その場に立ち止まり、ただじっと地面を見る。彼女の目の前の地面が彼女自身の汗と血によって少しずつ濡れていく。その周りをまるで馬車馬を動かすときのようにゴエティアの鞭がパシン、パシンと叩きつけるが、もうこよりが足を踏み出すことはなかった。
『あれぇ~? どうしちゃったのかな? もうギブアップ?』
挑発するゴエティアだったが、こよりの反応がないと知ると、飽きたのか、急に冷めた表情に変わった。
『なーんだ。もう壊れちゃったのか。じゃあ、いーらないっと』
ゴエティアが鞭を振りかざした。ゴーレムや石の壁を壊したように、もう動かない敵を壊してやろうと無理を振り下ろそうとしたその時だった。
こよりがゆっくりとゴエティアの方を向いた。
その姿に魔物使いは驚いた。
疲れ果て、全てを諦めた姿に、ではない。
希望に光る目と確信に満ちた笑顔に驚いたのだ。
勝利への確信に、である。
ゴエティアは最後まで気がつかなかったのだ。地下闘技場の中で動き回っていたのはこよりだけではなかったということを。
よく見ると、五個の白黒まだら模様の小さな球がころころと地下闘技場の中を動き回っているのがわかるはずだ。
その球が動き回った後には黒い跡がついている。ゴエティアのいる舞台上からははっきりと見えるはずだ。闘技場の外周ぴったりの大きさに描かれたそれが何らかの魔法陣の姿を成していることを。
石の壁を砕かれたとき、こよりは奥の手を発動させていた。強力な錬金術の技だが、これを使うには相応の魔法陣を描かねばならず、戦闘中――しかもたった一人で戦っている最中にできるものではない。
だがそれを逆手に取った。大きく逃げ回って敵の注意を引き、小さな球形のゴーレムに魔法陣を描かせたのだ。
それを制御しているのは崩壊した石壁の近くに残してきた二つの〈副脳〉。
もともと、彼女は北高の地下迷宮を探索しているときから小型であれば五体のゴーレムを同時に使うことができた。〈副脳〉は彼女の脳を複製したものあり、その能力は同等である。こよりがしっかりと辺りを見回して視覚を与えてやれば二個の〈副脳〉が五体のゴーレムを操作することは容易かった。
今、こよりの目の前で外周を回ってきた二個の球形ゴーレムが出会い、役目を終えたとばかりに自壊した。彼女の反対側と闘技場の中心部分でも同じ事が起こっているだろう。
『ふ、ふざけた真似を!』
それまでヘラヘラと笑っていたゴエティアの表情が変わった。改めて鞭を振り上げる。
『何を企んでいるかは知らないが、その前にぶっ殺せば全て終わる――!』
ゴエティアの鞭によって、あるいは酸によって傷つけられたこよりの肩口の傷から血が流れ、彼女の指先から地面に落ちた。
そこは球形ゴーレムが作ってきた魔法陣の一部分。そこにこよりの血が一滴垂れる。
血液は人体の中で最も魔力が凝縮されている部分のひとつであり、その理由から古来より血判などの契約書に用いられてきたという歴史を持つ。
魔法陣にこよりの魔力が込められたちが触れたその瞬間、闘技場全体に描かれていた魔法陣全体がまばゆく輝き出した。
すると闘技場――いや、〈ネメシス〉全体が揺れているのではと思えるほどの揺れとともに魔法陣の中心部分の大地が大きく盛り上がった。
それはするするとドームの天井に向かって伸び、形を成していく。
やがて巨大な腕の形になったそれは拳を握り、舞台の上で唖然としているゴエティアに狙いを定め、ゆっくりとその拳を下ろしていく。
『ま、魔帝陛下ばんざ――――――――』
それが魔物使いの最後の言葉であった。
「ふう。危なかったけどなんとか倒せた……」
地下闘技場はそのフィールドの中央から伸びた巨大な柱が観客席の舞台までアーチを描いている。先ほど錬金術で敵の魔物使いを倒した跡だ。
「そうだ。みんなは?」
そう思い一歩を踏み出したとき、何かがきしむような音が聞こえた。
「もしかして派手にやり過ぎた!?」
きしみは更に大きくなり、一部観客席では柱やら壁やら天井やらが崩れだしていた。巨大なゴーレムの腕を作り出すために闘技場の材料を使いすぎたのだ。構造が脆くなって闘技場が崩壊を始めた。
「なんとかしなくちゃ……」
こよりが地面に手をついた。即席の柱を作って重さを支えようと考えたのだ。
しかし――
「あ……れ……?」
突然、こよりの全身から力が抜けていく。体温が失われ、視界も暗くなっていく。血を失いすぎたのだ。
闘技場が崩壊を始め、天井を構成していた石材が次々フィールドに落下していく。
しかしその音を聞くよりも早く、こよりは意識を失っていた。
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