果ての地表にて6

 それまで背後で佇んでいるだけかと思われた山のひとつは山ではなく、巨大なモンスターであった。その大きさは人間から見ると巨大なドラゴンであるメリュジーヌが豆粒のように小さく見えるほど。馬鹿馬鹿しいほどに大きい。


 水牛の下半身に筋肉で膨れ上がった人間の上半身をくっつけたようなそのモンスターは、光る瞳でぎろりとこちらを睨みつけると、大きく振りかぶって手に持っていた巨大な岩を投げつけた。


「ひっ……!!」

 迫り来る巨大質量に思わず息を呑んだ女子達。それにいち早く反応したのはメリュジーヌだった。


『させぬ!』

 メリュジーヌは岩の前に素早く入り込むと咆吼した。

 その衝撃によって岩は粉々に砕け散った。砕け散った岩の破片は慎一郎達のいるところにも降り注いできた。


「きゃっ……!」

「みんな、わたしの影に!」

 こよりがゴーレムに命じて慎一郎達を守るようにかがみ込むと、それを待っていたかのように大小様々な岩がゴーレムに振り注いだ。

 岩が岩にぶつかる音が間断なく続く。


「だ、大丈夫なんですか、細川さん」

「このくらいなら多分、大丈夫」


 ゴーレムの胸の中に収まるこよりは笑顔で応えたが、彼女の額から顎には汗が流れ落ち、また彼女の頬には魔力線がくっきりと浮かび出ている。今も錬金術でゴーレムを強化しながら守っているのだろう。


 周囲を見渡すと、降り注ぐ岩の雨あられによってゴーレムに守られていない敵の増援が次々押しつぶされていく。

 延々と続くかと思われた岩の雨は、しかしほんの数秒ほどでおさまった。周囲は岩だらけで、慎一郎達のほかに動く者はほとんどいない状況になっていた。


「もしかすると、この荒れ果てた風景は、あいつが作ったのかも……」

 こよりの呟きが聞こえた。


『シンイチロウ、ユキナ、コヨリ! こやつはわしに任せ、お主らは城へ急げ!』

 確かに、あのデカブツに対処できるのはメリュジーヌしかいないだろう。慎一郎は〈念話〉で「わかった」と答え、結希奈、こよりとともに城に向けて走り出した。


 途中、かろうじて難を逃れた何体かの敵を倒しながら城へと走っていく。遠方ではメリュジーヌとあの巨大な敵が戦っているのだろうか、響くような大きな音が断続的に聞こえてきた。


 後方からの楓の援護もあって、慎一郎たちは苦もなく城の前にたどり着いた。入り口へと続く階段に足を踏み出そうとしたその時だった。


 先ほどのものよりも数段激しく大地が揺れ、慎一郎はたたらを踏んだ。

 と、そこで足を置いた場所が突如崩れだした。それを契機に周囲の地面が一斉に地割れを起こしていく。メリュジーヌと戦っている四本足のモンスターの巨体を地面が支えきれず、地割れを起こしたのだ。


「うわ、わわわっ……!」

 慎一郎が地割れに飲み込まれる。が、その瞬間、細い腕が慎一郎の左手を掴んだ。


「慎一郎!」

「結希奈……」

 しかし、結希奈の細腕では慎一郎を支えきることはできない。ずるずると引きずられていく二人。


 だが慎一郎も結希奈も冷静だった。ここにはもう一人の頼れる仲間がいたからだ。

 程なくしてこよりが駆けつけ、ゴーレムの巨大な腕で結希奈ごと慎一郎を引っ張り上げて事なきを得た。


「けど、これどうするのよ……」

 離れた所から聞こえる巨大生物同士の戦いの音をバックに、結希奈が目の前の地割れを前にため息をついた。


 彼女たちの前にはまるで入城を拒むかのように深々とした亀裂が横たわっていた。

 幅は五、六メートルだが深さは……。


「うわ、真っ暗」

 結希奈がのぞき込んだが、その奥まで見ることはできなかった。左右を見渡しても地割れは延々と続き、これを迂回して城にたどり着くことは容易ではないように思えた。


「なら、わたしの出番ね」

 こよりのゴーレムが亀裂の縁までやってきたかと思うと、その巨体が突然亀裂に向かって倒れた。


「きゃっ……!」

 驚く結希奈を尻目にゴーレムはその長い手足を存分に伸ばして向こう側の大地に手を掛ける。足をこちら側に、腕を向こう側に掛けてちょうど橋になった形だ。


「今のうちに渡って!」

 こよりはそう言うが、ゴーレムの背中は岩ででこぼこしており、不安定極まりない。結希奈が片足だけをゴーレムの足に掛けたところで躊躇した。


「大丈夫なの、これ?」

「大丈夫。結希奈ちゃん軽いし、これくらい全然問題ないわ。けど……」

 気のせいか、こよりの声が震えているように聞こえた。


「……? どうしたの?」

「この体勢がちょっと……なるべく早く渡ってくれると、う、うれしいかな……」

 こよりはうつ伏せの体勢のゴーレムの胸元に埋まっている。彼女の眼前には底が見えない亀裂が広がっている。多くの場数を踏んでいるこよりだったが、さすがにこれには恐怖を覚えるようだ。


「そ、そうだね。慎一郎、早く行こ」

 結希奈が最初におっかなびっくり、続いて慎一郎が軽い足取りでゴーレムの背を渡っていくのをこよりは肌で感じた。


「それじゃあ、わたしも……あれ……?」

「……? どうしたの、こよりちゃん……?」

「わたし、これどうしたらいいのかな?」

「え……?」


 亀裂に対してうつ伏せで橋になっているゴーレムの胸に埋まっているこよりはちょうど橋の下に宙づりになっている形だ。しかも手足を動かすことはできず、ゴーレムに埋め込まれた形になっている。


「ちょっとまって……今……なんとかしてみる……から……」

 ゴーレムの背中や足を構成している岩がもこもことうねり、腕の方に集まってくるのが亀裂を渡りきった慎一郎達のところからも見えた。手の部分に岩を集めて持ち手を強化するつもりだろう。


 少しすると亀裂の向こう側――ゴーレムの足に当たる部分が突如崩れてゴーレムの下半身が亀裂に吸い込まれ、腕だけで掴んでいる宙づりの状態になった。

 しかしこれは想定通りである。今ゴーレムは両手を亀裂の縁にかけてその巨体を支える形になっている。ゴーレムの重量を支えるのは当初よりも幾分太く強くなった腕である。


「これで登っていけば……」

 ゴーレムが左手を持ち上げて上半身を亀裂の向こう側に乗り上げようとしたその時である。


 ぼこっ――という音が聞こえた気がした。直後にこよりの「あっ」という声。

 そのあとは一瞬だった。まるで吸い込まれるように奈落の底へと吸い込まれていくこよりとゴーレム。


「こよりちゃん!」「細川さん!」

 結希奈と慎一郎が叫び、手を伸ばすが、それでどうなるものでもない。彼らの腕の先はすでに何もない漆黒の虚空が広がっているだけだった。


 しばらく呆然とする慎一郎と結希奈に、言葉が届けられた。


『だ、大丈夫……』

「こよりちゃん……!?」

 こよりからの〈念話〉にこめかみに手を当てる二人。


「大丈夫? 怪我はない?」

『うん。咄嗟にレムちゃんの足をバネにして衝撃を和らげたから……』

「細川さん、こっちに戻って来れますか?」

 慎一郎の問いには、少し間を置いてから返事があった。


『うーん、ちょっと無理そうかも。だけど、お城の地下施設みたいなものに落ちたみたいだから、このまま進んでみるね』

「わかりました。いざとなれば〈転移〉の魔法で引き上げるので、連絡してください」

『わかったわ。ありがとう』


 念話が切れた。慎一郎はただ二人残った結希奈に向き直る。

「さあ、行こうか」

「ええ」

 二人は長く続く城の入り口へと続く階段を上り始めた。




 数百段に及ぶ階段を上る間、特に何も起こらなかった。何を話すでもなくただ黙々と階段を上り再び閉ざされた城の門の前に立つ。


 幅十メートル、高さは十五メートルもあろうかという扉はドラゴン形態のメリュジーヌさえもくぐることができそうだ。

 その、複雑で不気味な装飾が施された重そうな扉はしかし、慎一郎が触れるとその見た目とは裏腹に簡単に開いた。


 まるで後ろから誰かが引っ張っているかのように重そうな音をさせながらも軽く開いていく扉の奥には、巨大な城にふさわしく広大なエントランスが広がっていた。

 しかし今そこには先ほどとは異なり誰もいない。ただひとりを除いて。


 その人物は黒いローブを身に包み、その顔を窺い知ることはできないが、その発せられる雰囲気からそれが敵であることだけは理解できた。

 慎一郎が〈ドラゴンハート〉を抜き、結希奈も錫杖をにぎしりめる。


 しかし、その人物はそんな状況に全く臆することなく、まるでこの城を訪れるすべての者にそうするかのように深々と頭を下げ、〈念話〉のように直接頭に語りかけてきた。


『ようこそ。我が主、魔帝ベルフェゴール様の居城へ』

 ローブの人物が顔を上げた。赤い瞳が禍々しく光る。その光に照らされて初めてわかった。

 ローブの中には妖しく光る瞳以外の何もないということを。


『我が主からの心ばかりのおもてなしを、どうぞご堪能下さいませ』

 瞬間、慎一郎の隣に立つ結希奈の身体が黒い靄に包まれたと思うと、最初から何もなかったかのようにかき消えた。


「結希奈――っ!」

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