魔帝誕生2

 聖堂を出たベルフェゴールは〈ネメシス〉の荒れ地を進む。

 普段であれば闇に覆われた死の大地であるその表面は地球への最接近を迎え、太陽の明かりと地球からの照り返しによってずいぶん明るい。


 公転周期八百年の〈ネメシス〉はその“一年”のほとんどが暗闇の中である。

 暗闇と極寒の中進化していった〈ネメシス〉の人々は魔法への適性を進化させ、また魔術を発達させる適応をしていった。

 自らを“魔族”と呼ぶようになった彼らはその魔術の発展により、少しずつ自らの置かれている世界の状況を知ることになる。


 一ネメシス年のほとんどが極寒と暗闇に覆われることは当たり前ではなく、〈ネメシス〉をのぞく太陽系の全ての惑星ではそうではないことがわかってきた。

 特に太陽系第三惑星――地球の気候は魔族にとっても魅力的な気候を持つ惑星ほしだった。何のことはない、自らを闇の種族と称していたものの、彼らも光を欲していたのである。


 ベルフェゴールは〈ネメシス〉の上を歩く。

 生きるものひとつない荒れ果てた岩肌が見渡す限り広がっている。はるか彼方には岩山によっていびつに曲げられた地平線が見えるが、これも太陽が近づいている今の季節だけに見られる光景である。


 ベルフェゴールが目指すのはそれよりも手前にそびえる巨大な建築物である。

 地球に住む人々が見れば禍々しく見えるそのシルエットからは、見渡す範囲内で唯一の生命の証でもある明かりが漏れている。


 魔王城。〈ネメシス〉に暮らす魔族達を滑る大魔王サタンが暮らす居城である。

 魔族は大魔王サタンを頂点にしたピラミッド構造の社会構造を執っており、魔王であるベルフェゴールは大魔王の直下である十二人の魔王の一人である。


 魔王を輩出する家系は固定されており、その十二の家系をして魔界十二貴族と呼ばれている。

 下位の魔族は上位の魔族に絶対服従であり、その苛烈なまでの階級制度が厳しい〈ネメシス〉での暮らしを支えている。


 ベルフェゴールが歩く荒野の上空を高速で飛んでいく魔族の姿が見えた。おそらく、ベルフェゴールの帰還を大魔王に報告へと行った使いであろう。

 あの使いのように高速で飛翔して城に向かっても良かった。しかし準備の時間くらいは与えてもいいとベルフェゴールは考えていた。地球に慣れた彼にとって暗く、彩りのない星だが、それでも故郷である。


 今、大魔王城では対地球侵攻への大詰めで大わらわであろう。今回の最接近は歴史上最も地球に接近する。八百年前の計画によれば〈ネメシス〉のほぼ全軍を地上に降ろして地球への移住を完成させることになっている。そしてその計画はおそらく変わっていないはずだ。

 それは、数万年にわたる魔族にとっての悲願であるからだ。


 数万年前の最接近の時も、今回と同じように地球との距離が極めて近くにあった。

 当時からすでに〈ネメシス〉では地球への移住が計画されていた。ときの大魔王サタン――今の大魔王と同じ名だが別人である――は〈ネメシス〉のほぼ全軍を率いて地球に侵攻。しかし、当時の地球は強大な神々がしのぎを削る時代であった。


 強大な魔力と先進的な魔術を持つ魔族であっても神々を打ち破ることはできなかった。地球に降り立った魔族は全滅し、残った〈ネメシス〉の魔族は衰退の一途を辿った。


 それ以来、地球への移住は魔族にとっての悲願である。最接近を迎えるたびに地球の状況偵察と力を削ぐための干渉を繰り返してきた。

 忌み星伝説の始まりである。


 そしてその集大成として再び魔族の軍勢は地球に侵攻しようとしている。もう地球に神はいない。




 ベルフェゴールが足を止めたのは魔王城の正門前だ。見上げるほどの高さを持つその扉は見るものを圧倒させる。それは、大魔王の権勢を示す力の象徴だった。


 しかしベルフェゴールに言わせればこんなものは張りぼてにすぎなかった。

 捨てるつもりの城に何の価値があろう。


 八百年前、地球に派遣される前は普通の魔王だったベルフェゴールも八百年の間地球で暮らし、眷属のために戦ううちに価値観に変化が生じたとしても不思議ではない。そして、彼はそれを自分自身で自覚していた。


 ベルフェゴールが正門へと続く階段をのぼると、コウモリのような翼に触角を頭につけた下級魔族が胸に手を当てる敬礼のしぐさをした後、詰所にある水晶玉に魔力を込めた。


 重々しく扉が開いていき、ベルフェゴールが中に入っていく。


 大魔王の城はとにかく広かった。枯れた木々や人骨を形取った魔族特有の想飾があたりに飾り付けられていた。灯りはほとんど灯されていない。魔族は暗闇の中で生まれたために光がなくともある程度辺りを見渡すことができる。闇こそが魔族のゆりかごであり魔族の領域であるとされているが、彼に言わせれば光のない世界での負け惜しみにすぎなかった。


 廊下を進み、巨大な扉にさしかかるたびに下級魔族が扉を開けるのを待つ。

 その繰り返しを何度重ねただろうか。今までとは異なる下級魔族――見た目は同じだが銀の鎧と三つ叉の槍を持っている――が扉を開きながら叫んだ。


「魔王ベルフェゴール様の御入来!」

 そう、そこは大魔王が待つ謁見の間へと繋がる扉だった。

 ベルフェゴールは静かにそこに足を踏み入れる。

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