魔帝誕生3

「魔王ベルフェゴール様の御入来!」

 その声とともに謁見の間へと続く扉が重々しく開いていく。


 中にいた人々が一斉にこちらを向く。広大な謁見の場であったが、溢れんばかりの人がひしめいている。


 高くそびえる角を持つ者、巻いた角を持つ者、黒い翼を持つ者、巨大な威容を誇る者、下半身が毛に覆われており関節が逆向きに付いている者、全身が毛に覆われている者、下半身がヘビのような形状をしている者、そもそもヒトの形を成していない者、さまざまである。

 しかし、ベルフェゴールと似た姿をした者は一人もいなかった。彼の眷属は一族を統べる魔王なき後、この星で生きることはできなかった。


 ベルフェゴールが一歩を踏み出すと、人々の群れが割れて自然に道ができる。それはまるで、地球の神々の物語に出てくる逸話のようでおかしかった。


 皆の注目が集まる。それもそうだろう。多くの――この一年以内に生まれた魔族――はベルフェゴールのような姿形の魔族を見たことがないのだ。

 そのような者たちの視線を受けながら悠然とベルフェゴールは謁見の間を歩く。

 謁見の間の奥には一段高くなった場所があり、そこにしつらえられている豪奢な玉座。そこに悠然と腰掛ける人物こそが大魔王サタン、この〈ネメシス〉を治める王だ。


「魔王ベルフェゴール、ただ今帰参いたしました」

 玉座へと続く階段の前までやってくると、ベルフェゴールは膝をつき頭を垂れて、礼を尽くした。


「よく戻った。一年ぶりか。面を上げよ」

 ここでいう『一年』とは〈ネメシス〉での一年であり、地球年に換算すると約八百年である。


 言われたとおりベルフェゴールは顔を上げ、大魔王を見た。

 そこには老人がいた。長く伸ばした髪も髭も色は完全に落ち、顔には深い皺が刻まれている。一年前は天を突き破らん勢いでそびえていた二本の角も弱々しく感じられ、手足は細く痩せ細り、かつての力強さを微塵も感じられない。


(なさけない。これが大魔王か……)

 ベルフェゴールは心の中で嘲笑した。もちろん、それを表に出すような愚行は起こさない。


「今ここに戻ったということは、計画は順調に進んでいるということだな?」

 ベルフェゴールは大魔王から目をそらさずに答える。


「その件に関して、大魔王様に直接ご報告したい議があり、参った次第です」

「ほう、申してみよ」

「大魔王様の御耳に直接入れるべき事柄かと」


「貴様、大魔王様の御耳に直接入れるなど、不敬であるぞ!」

 ベルフェゴールとサタンの会話に割り込んで来たのは最も玉座の近くに位置していた小柄な魔族であった。確か〈ネメシス〉の宰相だっただろうか。名前は覚えていない。


 濃緑のフードで顔を隠しているが、そこから見え隠れする顔はまるで地球のガマガエルのような顔をしている。

 醜い、とベルフェゴールは思った。これも地球の価値観によって彼の考えが変わってきている証左なのだろう。

 小男はつばを飛ばしながらベルフェゴールに対し怒鳴り散らしているが、同じ内容の繰り返しで耳に入れる価値もない。


「よい」

 大魔王が手を上げて一言発すると、小男はまるでスイッチを切ったように黙りこくった。


「ベルフェゴール、朕の元へ」

「ありがとうございます」

 ベルフェゴールは一礼して立ち上がり、サタンの顔を見ないように俯きながら玉座への階段を上っていく。


 大魔王の目の前まで歩くと、ベルフェゴールは再び跪いた。

「もっと近う寄れ」


 ベルフェゴールは頷くと立ち上がり、大魔王の尖った耳に口を近づけ、囁いた。

「大魔王様も、ずいぶん甘いようで」

「…………!?」


「最も強い者が魔族の頂点に立つ。それが古来の魔族のあり方だった。そうであろう?」

 瞬間、ずぶりという音が静まりかえった謁見の間に響き渡ったように思われた。ベルフェゴールの手刀は深々とサタンの胸に潜り込み、その細い身体を突き破って背中から突き出していた。


「あ……が……」

 大魔王の口からうめき声とともに青い血が流れ出す。突然の出来事に謁見の間にいる魔族全員が凍り付いていた。


 いち早く動き出したのは、先ほどの宰相とは反対側に立っていた腕が四本ある大柄な魔族だ。おそらく魔族軍の将軍だろうが、ベルフェゴールの知らない顔だ。


「貴様!」

 その魔族は玉座の前に立つベルフェゴールに向けて飛びかかってきた。


「ふん」

 ベルフェゴールが軽く笑い、まだ血に汚れていない左手を振った。


 その刃よりも鋭い一撃はベルフェゴールに迫る四本腕の魔族の四本の腕もろとも彼の首を跳ね飛ばした。


 突然の出来事に騒然となる。何人かの武闘派の魔族が一斉にベルフェゴールに襲いかかるが、それらのすべてが腰の剣を抜いたベルフェゴールに一刀のもとに斬り捨てられる。


「陣形を整えよ! 相手は仮にも魔王であるぞ!」

 混乱の中、烏合の衆と化した魔界貴族達を纏めようとしたのは黒いローブに太い尻尾を持つ宮廷魔術師だった。彼は呪文をつぶやき始めており、その手に強力な魔力が収束しているのがわかる。


「炎……ぐぼぉっ……!」

 しかしその魔法は不発に終わった。何者かが魔術師の背後から彼の心臓を貫いたのだ。

 すでに臨界状態に達していた魔法はその場で大爆発を起こし、魔術師も彼を刺し殺した何者かも含め蒸発した。


 謁見の間は大混乱に陥っていた。大魔王に忠義を尽くし大逆人ベルフェゴールを討ち取ろうとする者と、時流の変化を敏感に悟りベルフェゴールに付こうと動き出した者の二つの派閥に分かれ、凄惨な殺し合いを演じていた。


「炎よ」

 ベルフェゴールが唱えると、玉座の上で冷たくなったかつての大魔王の死体が業火に包まれ、一瞬後には跡形もなく消え去った。

 かつての主が消え失せた玉座にベルフェゴールは腰掛けると、足を組んで足元で行われている殺し合いをまるで見せ物を見るかのように見る。


 やがて戦いが終わった。


 溢れんばかりの人々がひしめき合っていた謁見の場に立っているのはわずか数名。そのほとんどが若い魔族である。


「謀反人どもの処刑が完了しました。大魔王陛下」

 玉座の正面でうやうやしく頭を垂れ報告したのは先ほどベルフェゴールを叱責したあの小柄な魔族であった。


 ベルフェゴールと目があう。その瞳には野心と蔑みと安堵が混ざっていた。

 ベルフェゴールは宰相の後ろで膝をつく若い魔族を見、そして軽く頷いた。

 その瞬間、若い魔族は躊躇なく小柄な魔族の首をはねた。


「な……ぜ……?」

 跳ね飛ばされた首が苦しげに言う。


「余の目は節穴ではない」

「若造が……無念……」

 首だけになってもなお生きていた魔族は、しかしその頭を若い魔族に踏み潰されて生き続けることはできなかった。


 玉座に座るベルフェゴールは謁見の間を見渡した。

 そこには一列に並び、膝をついて頭を垂れる数人の若い魔族達。


「我ら大魔王ベルフェゴール様に永遠の忠誠を誓います」

 若い魔族の代表格の言葉を聞き、ベルフェゴールはにやりと笑った。


「その誓い、受け取ろう。しかし――」

 そして、ベルフェゴールは宣言する。この間にいるのはわずか数人の魔族だが、やがて全ての魔族が知ることになる宣言だ。


「余は大魔王にあらず。余は魔帝ベルフェゴール! 大魔王を越える者なり! これより全ての魔族をこの魔帝が支配する!」





 数時間の後、謁見の間は凄惨な殺し合いが行われたとは思えないほどきれいに蘇っていた。

 死体は全て焼却処分され、血や肉片を浴びた想飾や床も天井さえも真新しいものに取り替えられている。


 そこに控えるのは数多くの魔族。それ一見、先ほどの謁見の間をうかがわせるものであった。

 ただ、以前と異なるのは、そこにいる魔族達は全員、ベルフェゴールに忠誠を誓ったあの数人の魔族と、その眷属たちだけに限られているということだ。


 玉座の奥に控える衛兵が手に持つ錫杖を打ち鳴らすと、部屋のざわめきが一瞬にして消滅した。


「魔帝ベルフェゴール陛下の御入来!」

 ベルフェゴールは衛兵の守る扉から現れ、玉座の前に立つ。

 謁見の間の魔族達が一斉に膝をつき、頭を垂れた。

 魔帝が玉座に座る音が聞こえたので、前方の魔族から順に頭を上げて立ち上がる。それがベルフェゴールの求める礼儀だ。過度なへりくだりは必要ない。


「これより全ての魔族に魔帝たる余から最初の命を下す」

 謁見の間に緊張が走る。音を立てる者も、身じろぎするものすら誰もいない。


「全軍を上げ、地球を侵略せよ。この〈ネメシス〉の軌道を変え、地球に衝突させる。全てを破壊し、その跡地に我ら魔族の新しい都を創造する! 破壊せよ!」


「魔帝ベルフェゴール陛下!」

「魔帝陛下!」

「魔帝陛下、ばんざーい!」


 魔族達が口々にベルフェゴールを讃える言葉を放つ。それはいつまでも謁見の間を満たしているのであった。

 それをじっと見ていたベルフェゴールがにやりと笑う。

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