暗黒竜ヴァースキ
暗黒竜ヴァースキ1
聖歴2026年5月16日(水)
怒り狂ったヴァースキが怒りの対象――菊池を噛み砕こうと大きく口を開けて襲いかかる。
菊池はそれを冷静に躱し、カウンターで大きく開いた凶悪な顎に輝く剣を叩きつけた。
それは竜の鱗を切り裂き、その奥にあるヴァースキの肉体にダメージを与えた。
ヴァースキは苦悶の声を上げるが、果たしてどこまでダメージを与えられたのかはわからない。かの竜にとって今の攻撃は指先に棘が刺さった程度の痛みでしかない可能性もあった。
「くそっ……!」
菊池は思わず悪態をついた。その息は乱れ、肩を大きく動かしている。
これがドラゴンとの戦いの厄介なところだった。かれこれ何時間戦っているのだろう?
仮に――この時点でかなり困難な前提なのだが――強固なドラゴンの鱗の奥に秘められている肉体にダメージを与えられたとしても、人間の持つ剣で与えられるダメージではたかが知れている。それが伝説に名高い名剣だったとしてもだ。
ドラゴンを地上最強の種族となさしめている大きな要因は極めて高い知能と攻撃力、強固な防御力、それに底なしの体力と生命力だ。
それは先の地上での戦いにも現れている。十八時間以上にわたって攻撃をし続けたのに、ヴァースキを倒すことはもちろん、疲れを見せるようすすらなかった。
ドラゴンゾンビ化していることによって知能と素早さが失われていたからまだ助かっている。これでヴァースキが往時の力を持っていたらと思うと恐ろしくなる。
人間に〈十剣〉は倒せない。
歴史上、勇者と呼ばれる人々が何度か『ドラゴンスレイヤー』の称号を得たことはあるが、それで倒されたのはすべて下位のドラゴンであり、ヴァースキのような上位のドラゴンを人間が倒すには圧倒的な物量と完全な作戦が必要になろう。
つくづく先の戦いで倒しきれなかったことが悔やまれる。
もちろん、勝ち目はある。
簡単だ。“ミズチ”に戻ればいいのだ。
しかし、彼は今、竜石を手元に有していない。彼の竜石は北高の封印の礎として封印の中央部上空千メートルの位置に設置されている。北高の封印は今も作成途中の“あれ”のためには必要不可欠のものだ。
「しかし、いざというときは……」
まずはこの局面を乗り越えるのが何より重要だ。出し惜しみをしている場合ではないのかもしれない。
そんなことを考えながら戦うほど、ドラゴンは甘い敵ではない。
菊池は――ミズチはそのことを誰よりも知っているはずだったが……。
「会長! 何ボケッとしてるんだ!」
自分を呼ぶ叫び声に我に返る。
時すでに遅し。目の前に暗黒竜の巨大な顎が迫っていた。死体にもかかわらず、その口の中はまるで誰かの返り血を含んだかのように赤い。
「……!! しまっ……!」
ガキィッ……!
この世のあらゆる生物の歯よりも硬いドラゴンの牙が勢いよく噛み合わされ、歯と歯がぶつかる硬い音があたりに響く。
しかし、それよりもほんの一瞬だけ早く、菊池の身体は横合いから受けた衝撃によって弾き飛ばされていた。
「馬鹿野郎! やる気がないなら下がっていやがれ!」
菊池を庇うような体勢から起き上がった徹は、そう吐き捨てると手に持つ細長い剣を鞘から取りだした。「目覚めよ」とキーワードを唱え剣身に光を纏わせたかと思うと、楓とこよりが注意を引きつけているヴァースキに向かって走り出していった。
「……やれやれ。僕としたことが彼らに発破を掛けられるとはね」
起き上がった菊池は肩をすくめると、先ほど徹に突き飛ばされたときに手放してしまった自分の剣を手に取った。
「負けるわけにはいかない」
菊池の表情が変わった。光の剣から再び光の刃を出すと、彼もヴァースキに向けて走り出した。
圧力を感じるほどの矢の連射をものともせず、射手である楓の方へ向かおうとしているヴァースキの足元に取り付くと、菊池は光る刃を叩きつけてヴァースキの意識をこちらに向けようと攻撃を繰り返した。
「よう、会長。もう大丈夫なのか?」
徹が自分の身体を踏みつけようとするヴァースキの巨大な脚をたくみにかいくぐり抜けながら腹の下に入り、鱗で守られていない弱い部分を狙って攻撃を加える。
「心配を掛けたようだ。だが大丈夫だ。ヴァースキを倒すまで頑張ろう」
鱗を切り飛ばしながらヴァースキの脚にダメージを与える菊池に徹は少し驚いたような、からかうような顔をした。
「おいおい、バカ言ってるんじゃねーよ。こいつぁ、ただの前座だろ? このあとにもっとデカい戦いがひかえてるって聞いたが?」
それに菊池はふっと軽く笑った。
「……そうだったな。僕としたことが、どうやら視野狭窄に陥っていたようだ」
そして華麗なる動きでヴァースキの後ろ前脚の指を一本切り落とした。
さすがにこれにはヴァースキも痛みを感じたのか、大きな叫び声を上げて怒り心頭といった面持ちで振り返り、菊池に向けてブレスを吐きかけた。
「効くか!」
菊池が光の剣を一閃すると、闇のブレスはまるで水に洗い流すようにかき消えた。
それを目くらましに使おうとしたのか、ヴァースキが口を大きく上げて迫ってきた。
しかしヴァースキが十全の力を持っているならともかく、今のヴァースキに菊池を捕らえることはできない。
菊池はヴァースキの牙をかいくぐり、牙と牙の間から剣をねじ込み、口内を斬りつけた。
ヴァースキが絶叫を上げながらのけぞった。
「やるじゃねえか、会長! ……こっちも!」
徹が念を込めると白く輝いていた徹の剣がより太く、長く、そしてまばゆく輝きだした。その剣でヴァースキの横腹を切りつける。
切り口からどす黒い血のような液体が流れ出し、さらにヴァースキが叫ぶ。
「栗山君! あまり無茶をしすぎるな! 相手の体力は無尽蔵だ。体力を消耗しすぎないように!」
「俺は今来たばっかりだって! 会長、あんたこそ今のうちに休んでおいた方がいいんじゃないのか?」
「心配無用だ。これでも一応〈十剣〉の一角を拝命しているのでね。若い君たちに後れは取らないさ」
「若いって、二つしか違わないんじゃ……。いや、何万年も生きてるんだっけ? まあいいや。頼りにしてるぜ、会長さんよ!」
言いながら徹はさらにヴァースキの腹を切りつけた。ヴァースキがさらに叫び声を上げるが、その動きが衰える様子は見られない。
そうして、さらに戦いは続いていく。
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