死者の王国3

 少し早かったが、朝も早かったので結局昼食にした。

 昼食はあらかじめ家庭科部が持たせてくれたものに加えて瑠璃が持ち込んできた甘味も加わり、メリュジーヌはたいそう上機嫌だった。


『古来から飢えは最大の敵であった。腹が減ることによってもたらされるデメリットは数あれど、満腹なことによって受けるデメリットは皆無じゃ!』

 昼食を終えてさらに先に進む一行の中、一人歩きもせず大あくびをしながらそう断言するメリュジーヌにもちろん全員が懐疑の目を向けた。


『ミズチよ、どれくらいで到着するのじゃ?』

 この先も延々と続く緩やかに曲がりながら緩やかに下る道に飽き飽きしたのか、メリュジーヌが菊池にこの先の予定を聞いた。


「順調に行けば日が暮れる頃には封印の最下端までたどり着くことができます。しかし、実際に封印の外に出るのは明日の朝が良いでしょう」

『そうじゃな。時間に余裕があるのならばぎりぎりまで身体を休めるべきじゃ』


「それにしても……あと半日もこの代わり映えしない景色が続くのね。はぁ……」

 結希奈が大きなため息をついた。


「ん~、そうじゃないと思うよ。あたしもここまで降りてくるのは初めてだけど、下の方は天然の空洞とか利用してるって聞いたことがあるし。ね、ダーリン♡」

 そう言って慎一郎の腕に抱きついた瑠璃。薄いとはいえ、しっかりと胸の感触は伝わってくる。


「ちょ、ちょっとあんた何してるのよ!」

「そうです! 浅村くんも何デレデレしてるんですか!」

「え。おれ!?」

 結希奈と楓の猛攻撃をくらうのは慎一郎だった。




 そのままただひたすら進む。古い人工的な回廊をしばらく進むと瑠璃の言うとおり、やがて周囲は天然の洞窟の様相を呈してきた。

 天井が高くて一行が歩く足音が反響しまくってうるさいくらいの場所、逆に狭くて這って進むのがやっとの場所、地下水が流れる水路にロープを張って進まなければならない場所など、これまでの地下迷宮とは全く異なる姿を見せていた。


「ん~……。あいたたた……」

 這って進む道をようやく抜け、少し開けた場所でこの日何度目かの休憩を取る。この中で数少ない男子で、女子に比べたら大柄な慎一郎が大きく伸びをする。縮こまった体中の筋が伸びて痛気持ちいい。


「はい、お茶」

「おう、サンキュ」

 結希奈がすかさず慎一郎にお茶を出してくれた。


「あ、あの! 湿布ありますけど」

 鞄の中をごそごそと探るのは楓だ。しかしそれほどでもないと慎一郎は断った。


「じゃあさ、ダーリン。あたしがマッサージしてあげようか? ほら、あっちの暗がりで。回復魔法付きだから気持ちいいよ?」

 なんてことを瑠璃が耳元でささやくものだから、思わず背筋にゾクゾクっと寒気がした。


「な、何を言ってるんですか! そんな……は、はれんちなこと、いけません!」

 楓が顔を真っ赤にして慎一郎と瑠璃の間に割り込む。


「あれぇ~? 楓チャンはどうしてマッサージが破廉恥だっていうのかなぁ? 不思議だなぁ?」

「な……! そ、それは……。し、しりません……!」


 朝から困難な道のりが続いてはいたが、地下迷宮に入ってからまだ一度もモンスターと遭遇していないためか、一行の雰囲気はだいぶリラックスしたものになっていた。


 そう、これまで一度もモンスターに遭遇していないのだ。


 地下迷宮のモンスター達は菊池が慎一郎達をメリュジーヌの戦友として育てるために配置したものなので、ここに至ってはそれが必要ないからなのか、それとも、強大な上級ドラゴンであるミズチがこの場に同行しているからそれを恐れてモンスターが近寄ってこないからなのか、理由は不明であるが、何にせよ道のりを妨げ、無駄な体力魔力を消耗させる敵が出てこないのは歓迎すべき事である。


 ――しかし、そのどこか弛緩した時間も終わりを告げようとしていた。


「…………!!」

 いち早く異変に気づいたのは結希奈だった。


「結希奈ちゃんも気がついた?」

 結希奈が声の方を見ると、すでに瑠璃が先ほどまでのおちゃらけた様子とは異なり、真剣な眼差し手前方を見つめている。いつの間にか彼女の眷属たちは一行を取り囲むように位置取っている。


『どうした? 何者かの気配は感じないようじゃが……』

 メリュジーヌの困惑したような言葉にもかかわらず、瑠璃も結希奈も警戒を辞める様子はなく、前方を注視している。


「うん。“気配”は感じないんだよね……」

 結希奈の顔が青白いのは、明かりの関係ではないだろう。


 そして、それはゆっくりと現れた。


 ――うー……。


「うっ、何この臭い……!?」

 こよりが堪らず手を鼻に当てた。何かが腐ったような強烈な異臭がたちまちあたりを覆い尽くしてきていた。

 やがて奥の方からひた、ひたと音を立てながら何者かが迫ってくるのが見えた。ここに至ってもまるで気配を感じない。


『ちっ。厄介な奴らに目をつけられたようじゃ』

 メリュジーヌが顔を歪ませた。


 少しずつ姿が露わになってくる。やってくるのは一体だけではない。二体、三体、いやもっと多い。しかしそれらの姿は統一されてはいない。服装はもちろん、二足歩行のものもいれば四足歩行のものもいる。


 それだけではない。顔の肉がただれているものや腹から内臓が飛び出ているもの、身体の一部や全部から肉がそげ落ち、骨が飛び出しているものさえある。


「ひっ……!」

 結希奈が息を呑んだ。

 それを合図としたかのように、今まで緩やかに歩いていたそれらが、猛スピードで一斉に走り出した。


『アンデッドじゃ!』

 慎一郎達が一斉に戦闘態勢に入った。


 アンデッド。死してなお死にきれず世界を徘徊し、生あるものに危害を加えるもの。

 それは多くの命が失われた土地や、埋葬されずに死体が放置された穢れた土地に生まれると言われている。しかし、現代の多くの国――特に日本では対策が徹底されており、アンデッドが出現したというニュースは熊が里に現れたというニュースよりもはるかに少ない。


 ――ああああああああああああああああああああああああああああああああああ……。


 不気味なうなり声を上げながらアンデッド――ゾンビやスケルトンなどが慎一郎達のもとに殺到してくる。


「くっ……!」

 慎一郎が〈ドラゴンハート〉の握りを変えると、周囲に浮かぶ〈エクスカリバーⅢ改〉が白く輝きだした。もともと、ドラゴンゾンビであるヴァースキと戦うために対アンデッドの用意はしていたが、この数は想定外だ。まるで雪崩のように無数のアンデッドが押し寄せる。


「みんな、さがって!」

 慎一郎が指示を出した。その指示に結希奈たちは後ろにじりじりと下がっていくが、瑠璃と彼女の眷属たちはそれに逆らうように前に出ていく。


「松阪さん!」

 慎一郎の警告に、彼の前方に出た瑠璃は振り返ることなく、

「大丈夫だよ、ダーリン。このためにあたし達は着いて来たんだから! お前たち!」

 瑠璃の号令に眷属たちが声を揃えて「はい!」と叫ぶ。


「くそっ……!」

 指示に従わない瑠璃に業を煮やした慎一郎が〈エクスカリバーⅢ改〉を飛ばす。後ろからは楓の矢が援護射撃をしている。

 しかし焼け石に水だ。範囲型の強力な攻撃手段がないわけではないが、この狭い回廊の中でそれを使えば味方にも被害を及ぼしかねない。


 ――ああああああああああああああああああああああああああああ!!


 至近距離まで迫ってきたアンデッド――顔の真ん中に札を貼っているキョンシーだ――が先頭に立つ瑠璃に飛びかかった。

 今まさにキョンシーの腕が瑠璃に届くかというまさにその時、目の前を白い光のカーテンが立ち上がっていった。


「…………!」

 今まさに瑠璃に迫ろうとしていた先頭のゾンビの身体が、まるで見えない壁にぶち当たったかのように静止し、その場に落下していく。

 それだけではない。落下したキョンシーの腐った身体が光に分解されて溶けていくのだ。

 周囲ではその他のゾンビやスケルトン達も同じように光によって浄化されていく。


「こんな魔法、初めて見た……」

 結希奈が驚きに目を見開いた。


 結希奈の周囲では瑠璃と彼女の眷属たちが印をくみ、呪文を唱えている。

 前方を見ると、アンデッド達を閉じ込める光の牢獄の下には回廊いっぱいの魔法陣が出現している。そこから光の壁が出現し、中に入ったアンデッド達を浄化しているのだ。


 考えることを知らぬゾンビやスケルトン、キョンシー達は今も続々光の牢獄の中に入っていく。

 それは入ることは容易いが二度とは出ることはできない片道切符。足を踏み入れれば最後、聖なる力によって浄化され、跡形もなく消え去っていく。


 ものの五分もしないうちに全てのアンデッド達は牢獄の中に入っていき、そして光の粒となって消えていった。

「ま、こんなもんよ」


 呪文の詠唱を終えた瑠璃がドヤ顔でこちらを見た。しかし彼女の肩は大きく上下し、額からは玉の汗が流れ落ちている。周囲の眷属たちは疲労困憊で膝に手を置いて荒く息をしているものや、座り込んでしまったものもいる。彼女たちにとって相当な大技だったのだろう。


『よくやった。われらの体力を温存してアンデッドどもを殲滅できたのはお手柄じゃ。よくやった』

 メリュジーヌの賞賛に瑠璃は心底嬉しそうに親指を立てた。

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