運命のカウントダウン

運命のカウントダウン1

                      聖歴2026年12月16日(水)


「こんな所にいたんだ」

 本校舎昇降口の前、校庭へと下る階段の所に腰掛けている慎一郎のもとに後ろから声が掛けられた。


「結希奈」

 結希奈は慎一郎の隣までやってくると、「よっ」と言いながら隣に腰掛けた。

 見慣れている制服のスカートと、黒い靴下の間に白い脛が見えている。こんな寒い日に寒くないのかなと場違いなことを考えた。


 目の前の広がる、かつて北高生の胃袋を支えた校庭はヴァースキのブレスにより腐りきって見る影もない。豊かな大地はどす黒く変色し、その上には激闘を物語るかのようにかつて体育館だった瓦礫とプールだった残骸が散らばっている。中に入っては危険なので手前には活動を再開した風紀委員会による立ち入り禁止のロープが張ってある。


「今思えば、野菜が三日で育つのも菊池会長の仕業だったんだな」

 変わり果てた校庭を見て慎一郎がぼそりと漏らす。


 しかし、結希奈はその言葉には答えずに、慎一郎の顔をのぞき込んだ。

「顔色が悪いよ、大丈夫?」

 そう言われた慎一郎には自分の顔色が悪いという自覚はなかったが、結希奈が言うのならそうなのだろうと思った。


「大丈夫だよ」

 彼女を安心させるために笑おうとしたが、困ったことに笑い方が思い出せない。頬が引きつったような奇妙な表情になった。


「――――」

 結希奈が心配そうな表情で見つめてくるので、慎一郎は笑うのをやめて再び前を向き直った。


「あれ? ジーヌは?」

 あたりを見渡すも、いつも慎一郎からは片時も離れないメリュジーヌの姿が見当たらなかった。そういえば、この時代の日本人ならば誰もが持ち歩いているはずの〈副脳〉ケースが見当たらない


「〈副脳メリュジーヌ〉なら部室に置いてきたよ。メリュジーヌは会長と〈念話〉で会議だってさ」

「ふうん」


 曖昧に答えたが、結希奈にはメリュジーヌが気を利かせてそうさせたのだとわかった。普段は傍若無人に振る舞う竜王だが、ああ見えて意外と人の心を理解しているだと、結希奈は思っていた。


「おれは……何者なんだろうな。メリュジーヌをこの時代に呼ぶためだけに生まれてきたのか?」

 ぼんやりと校庭を見ながらつぶやく慎一郎。


「遺伝子操作――って言ってたわね。確か、錬金術の技術」

「メリュジーヌさえ召喚できれば、他の誰でも良かったはずなのに、どうしておれなんだ?」

 慎一郎はうつむき、頭を抱えた。結希奈もそうだが、慎一郎も次々と明かされる現実に理解が追いついていないのだ。


「おれじゃなくても良かったはずなんだ。おれじゃなくても……」


 しかし、普段から勝ち気な結希奈にはその言い方が気に入らなかった。カチンときた。

「そんなわけないじゃない!」


 結希奈は俯く慎一郎の頭を両手で掴み、強引に自分の方に向けさせた。

「今まであんたがやってきたこと、忘れたとは言わせないわよ! 部長としてみんなを引っ張って、〈守護聖獣〉をボロボロになりながら倒し、”鬼”からみんなを守って、そしてヴァースキに正面から戦って勝ったのは誰なのよ! あんたじゃない!」


「結希奈、顔が近い……」

 慎一郎の顔が赤くなるが、結希奈は気づいているのかいないのか、さらにまくし立てる。


「誰でもいいわけないでしょう! 誰でも良かったらジーヌはあそこまであたし達のことを気に掛けないし、みんなだって危ない目に遭ってまであんたについて行かないわよ! あたしだって……」


 突然、結希奈の両手に掴まれていた慎一郎の頭に加速度がかかる。続いて柔らかい衝撃と、なんとも言えない甘い香り。結希奈が慎一郎の頭を抱きしめたのだ。


 慎一郎がもがくが、結希奈は離そうとしない。


「ちょ、結希奈……!? 苦しい……!」

「いいから!」


 結希奈が強く言うと、慎一郎は暴れるのをやめた。柔らかい感触が顔を包み、女の子特有の甘酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐって頭がくらくらする。


「あんたはさ……」

 結希奈は慎一郎を抱きしめる力を弱め、優しく抱きながら頭を撫でる。慎一郎は気恥ずかしいが、されるがままにしていた。


「いろいろ難しく考えすぎなんだよ。菊池会長が何を考えてるとか、あんたに何をしたとか、そんなのはどうでもいいのよ。問題はあんたがどうしたいか。それが一番大切なのよ」


「おれが……どうしたいか……」

 結希奈の胸の中で慎一郎は考える。


「そう。あんたはどうしたいのよ。頭じゃなくて、心で考えなさい。もっとリラックスして、時間がかかってもいいから、じっくり考えるの」

 結希奈がそう言うと、胸の中の慎一郎の身体から力が抜けた。


「あたしはさ、ううん、あたしだけじゃない。みんなあんたがちゃんと考えて、どうしたいか答えるまで待ってるから。だから、ゆっくり考えな」

「ああ、そうだな……。ありがとう、結希奈」


「ありがとうなんて水くさいこと言わないの。あんたとあたしの仲じゃないの。あたしは、いつだってあんたの味方だから……」

 慎一郎が顔を上げた。優しく見下ろしている結希奈と視線が交錯する。夕日に照らされてその顔は赤く、とても魅力的だった。




 ヴァースキとの戦いで校庭の土壌は腐り、使えなくなった。

 しかし生徒達の生活は続いていく。彼らは諦めることなく生活力を発揮した。


 ヴァースキが校庭に出現した四日前から一部の生徒達は動き始めた、〈竜海の森〉を新たに開拓して畑を作ったのだ。

 そこで収穫された野菜は今朝から使用されている。このあとも続々畑は拡張されていき、作物は収穫されていくだろう。


 そういった状態であるから、野菜以外の植物――果物や花など――の入手は困難だった。

 そんな中、今井楓は方々を探し回り、伝手を頼ってどうにか数輪の花を手に入れた。今の北高では貴重品レアアイテムである。


「ふふっ、浅村くん、喜んでくれるでしょうか」

 入手した花をこれまた入手困難なカラフルな包装紙でラッピングして足取りも軽く校内を走る。すでに十分くらい慎一郎を探して走り回っているのだが、恋する乙女には全く苦にならない。


「浅村くん、どこに行ったのでしょう。これを渡せば、きっと元気になってくれるはずです」

 校舎の中で見つからなかったので、外なのだろうかと昇降口で靴を履き替えて表に出た。


 少し進むと、男子生徒の後ろ姿が見えた。

 見間違えるはずもない。あれこそまさに楓の思い人、浅村慎一郎の後ろ姿だ。


「浅村くーん、お花をもらってきました。これで元気出して……く……だ……」


 二歩、三歩歩いて楓の足が止まった。昇降口から出た所からでは見えなかったのだ。男子生徒の影に隠れる位置にいた女子生徒の姿を。唇を重ね合わせている彼らの姿を。


「……………………」

 ぱさり……と持っていた花束が落ちた。

 楓はそのまま、来た道を引き返していった。


 落とした花が顧みられることはもうない。

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