封印の秘密3
「始まりは今からおよそ二十年前のことだった――」
アメリカ連合王国の国家占術師がひとつの重大な予言を行った。
二十年後に六百年の長きにわたって行方不明であった竜王メリュジーヌが現れると。
占術とは魔術によって裏打ちされた正しい技術であり、特に国家資格を持つレベルの占術師ともなればほぼ正確にその未来を”予言”できる。
この情報は秘密裏に日本を含む同盟国で共有され、検証が行われた。
数年後、その未来はほぼ見渡せるようになった。
すなわち、聖歴2026年4月、日本に竜王メリュジーヌが召喚される。
その結果を得て日本政府は内閣府、外務省、防衛庁(現防衛省)、魔法技術庁(現文部魔法省)からなるプロジェクトチームを立ち上げ、一組の夫婦を現地に派遣した。
浅村隆太郎、淑子夫妻。当時現役の自衛官だった浅村は退官後、地元の役所に配属となる。淑子夫人には予言に謳われた竜王メリュジーヌの”依り代”となる子供――後の浅村慎一郎が宿っていた。
さらに日本政府はこれをより確実なものにするためにある仕掛けを施した。
「仕掛け?」
慎一郎の問いに菊池は頷いたあくまでも無表情に。
「竜王陛下との相性を最高にするための生まれてくる子供への遺伝子操作――」
「遺伝子操作……」
「大丈夫、慎一郎? 顔が真っ白よ」
「あ、ああ……」
額を手で覆い俯く慎一郎を隣に座っている結希奈が支えた。
「大丈夫だ。あくまで我々が施したのは竜王陛下との相性の向上であって、浅村君、君は君であり、君の両親は間違いなく――」
「そういうことを言ってるんじゃない!」
結希奈が厳しい目で菊池を睨む。少し離れた所にいるこよりや楓も同じように睨んでいる。
『それで?』
そんな彼女たちをメリュジーヌが制した。
『そこまでしてシンイチロウがわしを召喚することを確定させて何がしたい? すでにこの世は人間の世じゃ。過去の竜王などを引っ張り出しても為政者には都合が悪かろう?』
菊池をじっと見るメリュジーヌに生徒会長は鋭い視線で帰した。
「〈ネメシス〉――」
『なんじゃと? あれの処置はつい先日済ませたはず――』
そこまで言ったところでメリュジーヌの顔色が変わった。
『そうか――あれから八百年か! 六百年の時を超えたのをすっかり忘れておった! わしとしたことが……』
メリュジーヌのアバターが歯噛みをした。ただの立体映像のはずなのに、ぎりという歯を噛んだ音が聞こえてきそうなほどだ。
「メリュジーヌ、〈ネメシス〉っていうのは何だ?」
慎一郎の質問に、菊池が手を上げて答えた。
「それは僕の方から説明しよう」
〈ネメシス〉――。それは『忌み星』とも呼ばれる災厄をもたらす星。
およそ八百年周期で地球に接近し、そのたびに多大なる災厄をもたらすと言われている。
前回の接近時には黒死病をばらまき、世界の人口を半分にした。その前は古代人による世界帝国建設の夢が頓挫した。神話の時代の終焉もこの忌み星によるものとされている。
「そんな星が……」
楓の顔は恐怖で青白くなっていた。
「知らないのも無理はない。所詮、八百年経たないとやってこない災厄だ。竜人族なとの長命種ならともかく、寿命が短い人間に危機感を覚えろというほうが無理がある」
『ふむ……そのためにわしの力が必要だったいうのはわかる話じゃが、ならばこの”封印”は何じゃ? 何故この地を外界と遮断する必要がある?』
「〈ネメシス〉の接近による災厄は、現代ではかの星からの侵略であることがわかっています」
『なんじゃと……?』
「千六百年前の接近時、八百年前の接近時ともに〈ネメシス〉からやってきた異星生物により災厄が引き起こされた証拠が多数見つかっており、それはほぼ事実と見なされています。そして、今度の最接近は、有史以来最大の接近になると預言されています」
「また預言か……」
結希奈が嫌な顔をした。
『最大接近ということは、〈ネメシス〉からの災厄――いや、侵略か――が、これまで以上の規模になるということじゃな?』
「はい」
「その、災厄からわたし達を守るためにここを隔離した……?
こよりの仮説に菊池は首を振った。
「いや……。それは計画が失敗したときのプランBだ。メインの目的は別にある」
『申してみよ』
促すメリュジーヌに菊池は頷いた。
「我々が北高を隔離した本当の目的は浅村君、君たちを鍛えることにある」
「おれを……?」
「そうだ。君だけではない。高橋君に細川君、それに今井君も」
〈竜王部〉の面々を交互に見る菊池にメリュジーヌは疑惑の目を向ける。
『何? どういうことじゃ……?』
「先ほど、〈ネメシス〉から侵略者が押し寄せてくる可能性を示唆しました。しかしそれは、また逆も可能であるということです」
『わしを〈ネメシス〉に送り込み、先制攻撃を加えるというわけか? しかしそうであればますますシンイチロウらを鍛える意味がわからぬ』
「ドラゴン状態の陛下を〈ネメシス〉に直接送り込むのは現代の魔法技術をもってしても不可能だからです」
1969年にアメリカが初めての有人探査を成功させたが、それから五十年以上経った現代に至るまでなお、宇宙への到達には大きな制約がある。
その最大のものが重量だ。
物質を宇宙にまで送り届けるためには極めて強力な飛翔魔法が必要とされるが、いまだドラゴンを宇宙空間にまで到達できるほどの飛翔魔法は開発されていない。
〈転移〉の魔法を使うアイデアもあったが、何道しるべもなしに猛スピードで接近してくる〈ネメシス〉にピンポイントで転移させることは不可能であった。
「そこで、浅村君を直接〈ネメシス〉に送り込み、彼に持たせた〈竜石〉を用いて陛下にお出まし願うという案が採用されたのです」
『なるほど。それでシンイチロウやユキナ達を育てるという話に繋がるわけじゃな』
「左様です」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
話に割って入ったのは結希奈だ。結希奈は顔を赤くして菊池に詰め寄る。
「そんなこと勝手に決めないでよ! だって、そんな……別の星だなんて……地下迷宮を冒険するのとは話が違うのよ!」
「もちろん、浅村君にも、もちろん君たちにも拒否権はある。そのためのプランBだ」
「プランBで北高をシェルターにするというのなら、浅村くん――わたしたちが拒否したら外の世界はどうなるんですか? 危ないってことじゃないの?」
こよりの指摘に菊池は黙り込む。
「そんな……世界が危ないくらいの敵を、私たちだけで何とかしろって無茶すぎます!」
『まあ待て、コヨリよ、それにカエデも。まずはミズチの話を最後まで聞こうではないか。それで、その話と今こうしてすでにこの地が外界と遮断されていることに何の関係があるんじゃ? そなたの話だとシンイチロウがこの話を蹴った後でも間に合いそうなものじゃが?』
「いえ、それでは遅いのです……」
『というと……?』
「〈ネメシス〉の地球最大接近は2026年5月24日。迎撃のための打ち上げデッドラインはその直前の新月である17日です」
「五月……って、もう過ぎてるじゃない!」
「どういうことですか、菊池会長? 外の世界はもう滅んでいるとでも?」
「いや……」
菊池は懐から懐中時計を取りだした。銀製の高価な懐中時計がふたつ。その蓋には精緻な竜の想飾が施されている。
菊池がそれを開くと、ふたつの盤面が現れた。
全く同じに見えたその懐中時計だったが、その盤面の動きは異なっていた。
片方の懐中時計は秒針が規則正しく時を刻み続けているが、もう片方の懐中時計の秒針は動いていない。
いや――よく見ると動いている。片方の秒針が三十回動くごとにようやく一回動くくらいのペースだ。
菊池は二つの懐中時計のうち、秒針が動いている方を手に持った。
「これは、今の北高の時間を示している時計。そしてこちらが――」
もう片方の時計を手に取る菊池。
「外の世界での時間――本来の時間」
「…………?」
菊池は再び部員達の方に向き直る。
「つまり、北高の中の時間は外の時間とは切り離されている。中は十二月十六日だが、外はまだ五月十五日だ」
「は……?」「え?」「どういうことですか?」『なんじゃと……!?』
部員達の言葉は様々だったが、その反応は一様だった。
「えーっと、よくわからないのですが……つまり、封印の中は時間が早く動いていて、外の世界はまだ五月だってことですか?」
楓の理解に菊池が首肯した。
「そうだ。中は外に比べておよそ三十倍の速度で動いている」
『そんなバカな……そんな魔法、聞いたことが……。いや、わしが知っている時代から六百年。それほどの進歩があったということか……』
「竜王陛下がこの時代に召喚されたのが四月。〈ネメシス〉から地球を守るタイムリミットが五月。この間に浅村君や仲間たちを一人前に育てるためにはそうするしかなかったのです」
「なるほど……それで合点がいったわ」
こよりが言った。
「おかしいと思っていたの。わたし達が最初に迷宮に潜ったときに出くわしたモンスターはただの大きなネズミだったのに、そこから先に進むに従ってどんどん強くなっていくのは都合が良すぎるもの。会長さん、あなたが調整していたのね」
「そんな……! そんなゲームみたいな……」
結希奈が反発するが、メリュジーヌはそうは思わなかった。
『しかし、効率のいい方法じゃ。そうせざるを得ない状況に追い込み、本人達の能力を少しだけ上回る敵を配置する。敷地内の野菜が異様に早く生育するのも、いくつかのモンスターが食用に適していたのもそなたの差配じゃな?』
「おっしゃるとおりです、陛下」
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