北高の一番長い日12

「止血は大体終わったわ」

 ヴァースキと炭谷相手に対しこよりや楓、ゴンにその他の生徒やコボルトが奮戦しているとき、結希奈もまた己の戦場での勝利を収めつつあった。

 いつしか滝のように流れ出ていた慎一郎の傷口は塞がり、それによって出血もおさまっていた。


『よくやった、ユキナよ。これよりシンイチロウを覚醒させる』

 メリュジーヌが言った。この竜の王は慎一郎と魔術的に接続された〈副脳〉に精神を宿しているが、今現在痛みは共有していない。自分の身体を冷静に第三者的に評価できるという、矛盾した行動を取れる存在であった。


「待って」

 結希奈は肩からぶら下げた鞄に手を入れて何かを探している。


「うーんと、これでいいかな」

 取りだしたのは何の変哲もないタオル。それを丸めて慎一郎の口に入れた。


「起きたときにショックで舌を噛まないように」

『なるほど。さすがじゃの。では……』

 メリュジーヌは決意を固めるように大きく一度呼吸すると、

『ふんっ!』


 メリュジーヌが気合いを入れると、慎一郎の身体が大きく跳ねた。彼女の〈副脳〉を接続する魔術回路から魔力を逆流させたのだ。慎一郎の精神を壊さないように、だが失った意識を覚醒させるのに十分な魔力を調整するのは達人の域に至る魔力の扱いが必要だ。


「むぐっ…!」

 しかし何も起こらない。


『もう一度!』

 慎一郎の身体が跳ねる。


「むぐっ……!」

『もう一度!』


「慎一郎! いつまで寝てるのよ! あいつを倒すんでしょ、起きなさい!」

 慎一郎の身体が動いた。メリュジーヌの魔力放射のためではない。自らの意思で動いたのだ。

 最初は指先だけ、やがて左手を持ち上げ、自分の胸の上に乗せていた結希奈の手を取った。結希奈は先ほど自分で入れたタオルを慎一郎の口から出してやった。


「悪い。寝過ぎた」

「ホントよ。バカ」

 目覚めたばかりの慎一郎に、結希奈は柔らかく微笑んだ。




「それで、状況は?」

 まだ起き上がることができない慎一郎がメリュジーヌに聞いた。

『皆で抑えておる。じゃが、それもいつまでもつか……』


「どうするの? このままじゃ……」

 結希奈が不安げに訊いた。

 心配そうな結希奈の肩に手を乗せようとして、慎一郎は改めて自分の右腕が失われていることを実感した。そして、それをこの血まみれの少女が危険を顧みずに治療してくれたことを。


「おれの……右腕は……?」

『やつの――』

 言って、メリュジーヌはゴーレムと無数の弓矢の総攻撃を受けている黒いドラゴンを見た。今はさらに特別教室棟から出てきた文化系の部の生徒達からの魔法攻撃も加わっている。


「碧のかたきだ! 撃って撃って撃ちまくれ!」

 そんな山川翠の声が聞こえた。


『そなたの腕はヴァースキの腹の中じゃ。〈エクスカリバーⅢ〉とともにな』

「そうか……」


「ごめん。あたしじゃ……白魔法じゃその腕は完全には治せない」

「いや――」

 慎一郎は左手だけで上半身を持ち上げた。身体にまだ痛みは残っているものの、そんなものはもう気にならなくなっていた。


 慎一郎は左手を傍らで涙を浮かべる結希奈の手に乗せた。

「おれは――おれ達はその話をしてるんじゃない」

「?」


「おれ達はあいつを――ヴァースキを倒す話をしているんだ。これは千載一遇のチャンスだ」

「慎一郎、あんた何を言って……」

 慎一郎が起き上がろうとしているので、結希奈は肩を貸してやった。傷は概ね塞がっていたが、血が多く流れており、体力は十分とは言えなかった。


『できるか? わしがやってもよいが……いや、そなたがやるべきじゃろう』

「ああ。おれがあいつを……いや、北高を救う」




 結希奈に支えられながらヴァースキの前に立つ。こよりや生徒達やコボルト達が全力でヴァースキを押さえ込み、さらに大きくなった魔曲が彼らの気分を盛り上げる。


「一旦戻って体力を回復させてからの方が……」

 心配する結希奈に慎一郎は首を振る。

「体力は関係ない。関係ないんだ」

 そう言って慎一郎は目を閉じた。


 精神を集中させて身体の中の魔力を練り上げていく。

 練り上げた魔力をイメージに従って形作っていく

 それを右の肩甲骨のあたりから外に出していくイメージ。

 外に出た魔力の塊は慎一郎の意志に従ってするすると伸びていく。

 魔力で編み上げた腕は目的のもの以外は全てすり抜け進んでいく。


(この辺だ)

 慎一郎は伸ばした魔力を上下左右前後に動かし、目的のものを探す。

 最初は慎重に動かしていたが、やがて少しずつ大胆に、大きく動かしていく。相手も動いているから、それを加味して当たりをつけていく。

 それは暗闇の中、手探りで何かを探し出す作業。腹の中にある『それ』を魔力で編み上げた不可視の手で探し出すのだ。


(あった……)

 触れた瞬間にわかった。初めて手にしたときからそれを握らない日はなかった。


 〈エクスカリバーⅢ〉。


 こよりが作った合金を姫子が鍛え、結希奈が加護を与えた慎一郎の愛剣。

 今、それはヴァースキの腹の中にある。


 不可視の腕はヴァースキの身体をすり抜け、今、かの竜の腹の中にある〈エクスカリバーⅢ〉の柄を握っていた。


『やれ、シンイチロウ!』

 慎一郎は目を開くと、ヴァースキの腹の中にある〈エクスカリバーⅢ〉を思いっきり振り抜いた。




 ――ギャァァァァァァァアァアァアァァアァァァァァアァァァアァァァァアァァァァアアァァァアァアァ!


 突然腹の中で飲み込んだ剣が暴れ出した衝撃に叫び声を上げるヴァースキ。さしもの暗黒竜もはたわたの中までは強固な鱗に守られてはいない。


 〈エクスカリバーⅢ〉は思うままに腹の中で暴れ回り、巨大な竜の腸を破壊し尽くした後、頭の付け根、喉のあたりを突き破って出てきた。

 そして破壊の暗黒竜は腹から、喉から、口からどす黒い液体を大量に垂れ流し、轟音を立ててついに北高の校庭に倒れた。


 巨大な瓦礫の手を構築していたこよりが、本校舎の屋上で目を眇めていた楓が、負傷者の手当てをしていた瑠璃が、ゴンや翠、その他戦いに参加していた生徒達が、そして傍らで慎一郎を支える結希奈がそれを見た。


「やった……」

 最初に言葉を発したのは誰だったろうか。いつ終わるともしれぬこの戦いが本当に終わるときが来るとはいつしか誰も信じられなくなっていた。しかし、その一言で校内に勝利の実感が湧いてくる。


「やったのか?」

「やった……」

「俺たち……」

「勝ったのか……?」

「やった」「やった」「やった……」「やった!」

「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!」


 校庭が生徒達の歓声で包まれる中、慎一郎は全身の力が抜けていく。それを結希奈がしっかりと支えてくれた。血を流して体温が下がっていく中、そこだけがとても暖かく感じられた、生命の息吹だ。

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