北高の一番長い日10

『どうした、シンイチロウ! 何を焦っておる?』

 全力でドラゴンの元へと走る慎一郎にメリュジーヌが問うた。


「炭谷だ! 炭谷がさっきから表に出てきていない!」

『何を言っておる? あやつならヴァースキの背に重力魔法で縛り付けられておるではない……しまった、そういうことか!』


 重力魔法の効果が薄れた結果、ヴァースキは動きを取り戻した。ならば、その背で重力によって動きを封じられていたヴァースキの魂、炭谷は?

 メリュジーヌがそれに気づいたとき、黒いドラゴンを締め上げる白い蛇の身体の影からゆらりと小さな影が立ち上がった。


 炭谷は腰の剣を抜くと、それを振りかざした。

「やめろーっ!」

 慎一郎が叫ぶが、当然のことながら炭谷はそれに全く斟酌することなく無造作にそれを振り下ろした。


 ――うぐっ……!

 巽の苦痛の声が聞こえた。


 炭谷はそのまま二度、三度と剣を振り下ろして巽の身体を切りつけた。白く巨大な蛇の身体はそのたびにびくっ、びくっと震えるが、竜への戒めを説こうとしない。


「巽さん、逃げるんだ!」

 ――だいじょうぶ、です。わたしのことより……このおとこを……。


 慎一郎は全力で駆けた。ヴァースキの背でこちらを見下ろす炭谷までの距離はみるみる縮まり、不可視の剣が届く範囲まで距離を縮めた。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 慎一郎とメリュジーヌ、二人の操る〈エクスカリバーⅢ〉八本が炭谷に殺到する。効果が薄れているとは言え、重力魔法が効いている炭谷に四方から襲いかかるそれを躱す方法はない。


 しかし、メリュジーヌは見た。その剣が男の身体を切り裂く寸前ににやりと笑みを浮かべたところを。彼女は一瞬でその可能性に思い至った。

『いかん、罠じゃ!』


 時すでに遅し。〈エクスカリバーⅢ〉が炭谷の身体を貫いた瞬間、その姿はかき消えた。空を切る八本の剣。巽の身体が光り、小さくなっていくのが見えた。

 その時、目の前の空間が揺らいだ。かと思うと、そのゆらぎは徐々に人の姿を成していく。

「幻惑の魔法……!?」


 魔法により自らの姿を消し、代わりに幻を立てていた炭谷が慎一郎の目の前に現れた。

 低い位置に構えた剣を慎一郎目がけて振り上げる。


「ぐっ……!」

 炭谷の剣と慎一郎の身体の間に青く輝く盾が一瞬現れて消えた。結希奈に持たされていた”竜のおまもり”の効果が発動したのだ。


 間髪を容れず炭谷は振り上げた剣を流れるような動きで振り下ろした。しかしこれは慎一郎が咄嗟の判断で右手の〈エクスカリバーⅢ〉ではじき返した。

 体勢が崩れた炭谷に追撃とばかりに左手で斬りかかる慎一郎。炭谷はこれを後ろに下がってやり過ごす。

 慎一郎はこれを追いかけるように一歩前に出て右手で斬りかかる。しかし炭谷はさらに下がってこれを回避。


「……?」

 違和感を覚えた。炭谷の立場であれば〈浮遊剣〉でリーチの長い慎一郎に対抗するため、懐に入らねばならないのではないか。なのに何故、後ろに下がり続ける?


 そんな考えが浮かんだとき、炭谷はさらに驚きの行動に出た。

 持っていた剣を慎一郎目がけて投げつけたのだ。


「なに……!?」

 咄嗟の判断で身体を半身にしてこれを回避する。

 そして注意を炭谷に戻したときであった。

 目の前に巨大な影――ヴァースキの頭が迫っていた。


『いかん、避けろ!』

 メリュジーヌの警告が飛ぶ。しかし炭谷に誘い出され、体勢を崩してしまった慎一郎にヴァースキの動きに対応する術はない。


 最初に感じたのは痛みではなかった。肉がえぐられる音。続いて身体の中で何か硬いものが砕ける音。そして自分の右腕で何かが引きちぎられる音。熱湯が腕にかかったように感じられたのは一瞬だった。すぐに失血で身体全体が例えようもなく寒くなる。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」

 ヴァースキに右腕を根元から食いちぎられ、浅村慎一郎はその場で意識を失った。




 その瞬間、最も冷静に次の手を打ったのは生徒会室でこの様子を見ていた菊池だった。

 彼は即座に立ち上がり、生徒会室の中を見渡す。書記と会計は物資の補給に出ており、今この部屋にいるのは隅でダンボール箱の中身を確認していたイブリースだけである。


 菊池はそれを確認すると、北高が封印されてから一度も開けたことがなかった生徒会長席の一番上の引き出しを懐から取りだした鍵で開けた。

 そこには何も入っていなかった。いや、そうではない。そう見せかけていただけだ。


 菊池は机の上に置いてあったペーパーカッターで指先を斬ると、流れ出した血を引き出しの底面に垂らす。

 すると引き出しの中が突然光り出した。光は複雑な紋様を描いているのがわかる。何らかの魔法陣が起動したのだ。


 その魔法陣の起動をキーとして生徒会室の壁がその前に置いてある本棚ごと動き出した。

 半メートルほど後ろにずれたかと思うと、その後横にスライドする。重い音を立てて本棚が動くと、そこには人ひとり入れるほどの入り口ができた。


「イブリース君」

 菊池が声を掛けると金髪の副会長はすでにそうされることを予期していたのか、生徒会長席の前で待機していた。


「”最大戦力”を投入する」

「しかしあれは――。いえ、わかりました」


「これを」

 菊池は先ほど引き出しを開けた鍵をイブリースに渡した。

「E-559の棚だ。頼む」

「はい」

 イブリースが半地下の隠し部屋に入っていくのを、菊池は苦悶の表情で見つめていた。




 その瞬間、最も迅速に対処したのはメリュジーヌだった。


 彼女が精神を宿している〈副脳〉は、持ち主である慎一郎の脳と魔術的に接続されている。これは、やりとりできる情報を任意に選択できるということを意味している。つまり、視覚や嗅覚の情報(臭いや味も)をメリュジーヌが感じ取ることはできるが、満腹感や痛みなどをメリュジーヌは共有していないということだ。


『いかん! このままでは……!』

 右腕を引きちぎられた慎一郎の精神を守るため、この意識を即座にカット。


「慎一郎!」

 危険を顧みずにかけつけた結希奈にメリュジーヌが指示を出した。

『止血を最優先に。その後すぐに意識を回復させる』


「意識を……って、何言ってんのよ、あんた……!」

『急げ! ことは一刻を争う!』

「わ、わかったわ……」


 結希奈が倒れて動かない慎一郎の元にしゃがみ込む。彼の肩口からは今もなお勢いよく血が溢れ出している。結希奈は全く躊躇することなくその手を取り、血で汚れながら傷口にガーゼを当てた。そして呪文を唱える。


「竜海の森を守る竜よ……」

 淡い光が結希奈の手から溢れ出る。ここから先は結希奈の力と慎一郎の精神力が生死を分ける。


「あたしがあんたを絶対に救ってみせるから!」

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