北高の一番長い日8
「つかまらないわよ!」
吼えるヴァースキの目の前を高速で飛び去っていく。ウサギの力を得てパワーアップした碧に速度の衰えているヴァースキは全く対応できない。
このまま時間が稼げれば――
少し余裕が出てきてそんな余計なことを考えたのがいけなかったのか。そうではない。
今までヴァースキの背でおとなしくしていた彼の存在を失念していたのが悪かったのだ。
「この、クソウサギが! これでも食らいやがれ!」
超重力で暗黒竜の背に縛られていた。炭谷が懐から取り出した石礫を親指ではじき飛ばす。それはおそるべき速度と正確さで着地間際の碧の足元目がけて放たれた。
「きゃっ!?」
右足の踝に走る突然の痛みにバランスを崩した隙を破壊の竜が見逃すはずもない。竜の左脚が正確に碧目がけて払われる。
「くっ……!」
しかし碧はこれに素早く反応するとドラゴンの左手に向けて手を伸ばし、前方で交差させた。
瞬間、碧の前方に白い塊が壁のように現れ、ヴァースキの攻撃を受け止める。
しかしその攻撃力の全てを受け止めきれずに白い塊は散逸、分裂した塊はそれぞれが小さなウサギの形に戻って吹き飛ばされる。
さらにその向こうにいた碧にダメージが届いた。
「ぐふっ!」
そのダメージのほとんどを相殺したとは言え、それでもなお強力なヴァースキの攻撃が碧にクリーンヒットした。碧はその勢いを完全に殺すことができず、元は畑だった地面にクレーターを作って深くめり込んだ。
「碧さん!」
慎一郎が立ち上がろうとするが、まだ痛みが激しく立ち上がることができない。
「あたしがやる!」
結希奈が魔法を唱えようと手に持っていた杖をかざした。〈副脳〉にセットされている攻撃魔法を検索するところで気がついた。今彼女の〈副脳〉の中には回復系や防御系の魔法しかインストールされていない。だから先制攻撃に三十分の詠唱を要したのだが、すっかり忘れていた。
ヴァースキが吼え、目の前でうずくまる碧にとどめを刺そうと大きく口を開いた。
「碧さん!!」
慎一郎と結希奈が叫ぶが、それでどうなるものでもない。
人ひとりなど軽く飲み込めるほど大きな口が碧を今まさに飲み込もうとしたまさにその時、ヴァースキが突如のけぞった。
のけぞったヴァースキは遠方に向けて吼える。まるでそこにいる何かに向けて怒りを放つように。
まるで、ではない。その方角からまばゆく輝く光線が飛んできて、まっすぐヴァースキの顔面に命中した。
ヴァースキが叫ぶ。
あれはヴァースキの苦悶の声なのだろうか。再び大きく吼えるが、それで遠方からの攻撃が止むことはない。
光線は次々と飛んできてヴァースキへと命中する。ヴァースキが頭を動かしそれを避けようとしても微妙に軌道を変えて同じ箇所に命中するし、頭を隠すように身体で庇えば今度は首元――そこは戦闘開始時から執拗に彼女が狙っていた場所でもある――に命中してさらなる痛みを竜に与えた。
「今井さんだわ」
結希奈が振り返りながら言った。彼女の後方頭上、本校舎の屋上から連続して射出される正確無比な狙撃は〈竜王部〉の誇るスナイパー、今井楓のものだ。
「でも、今井さんも」
『うむ。カエデももう何時間も連続で矢を射続けておる。とうに限界を超えておるだろうに……』
本校舎の屋上で楓はひたすら弓を射続ける。他の弓道部員たちが限界を迎えて次々と脱落していく中、ただひたすら矢を召喚してそれを居続けていた。蔓を引く右手の指から血が流れようと、魔法の使いすぎで〈副脳〉がシャットダウンしようと彼女の攻撃は止まらない。
今は少しでも注意をこちらに引きつけておかなければ――
楓を動かしているのはその一念だった。暗黒竜の足元に勇敢に走っていって碧を救出しようとする人影が見えた。
「いでよ、聖なる光の矢。四の矢『不撓不屈』!」
楓の手の中にまた新しい光の矢が顕現してそれを射る。矢は一直線に目標目がけて飛翔し、またヴァースキの頭部に命中した。
ヴァースキが今までとは異なる動きを見せた。それまで折りたたまれていた翼を大きく広げたのだ。
『まずい! 奴め、飛んでカエデを攻撃する気じゃ!』
「どういうこと? ヴァースキは重力の魔法で飛べないんじゃ……?」
「いや、違うよ、結希奈。さっきあいつはおれに一歩踏み出して追撃をしてみせた。つまりあいつは……」
慎一郎の懸念をメリュジーヌが肯定した。
『うむ。やつを縛っている重力魔法の効果が薄れておる。もしかするともう飛べるほどにまで弱まっているのかもしれぬ』
「そんな……!」
地下で重力魔法を行使している生徒達は人数に余裕を持たせてあり、交代で魔法を使っているはずだ。それでもこの長時間に及ぶ戦闘は考慮されていなかった。限界が近いのかもしれない。
このままではヴァースキが元の動きを取り戻すのは時間の問題と言えた。
それは、今の慎一郎のように負傷した際に下がって治療を行うことができなくなるということになる。その末に待っているのは各個撃破の上の全滅だ。
『一刻も早く決着をつけねば。しかし、決定力に欠ける。どうしたものか……』
ヴァースキがドラゴンゾンビと化したことには生徒側に大いにメリットがあった。
身体能力が下がったことや肉体の再生が行えないためにダメージを蓄積できること、それに神聖属性の攻撃でダメージを与えられるということだ。鱗が剥がれてそこからダメージが通るということもある。
しかし逆にデメリットもあったのだ。
最大のデメリットはゾンビ化したことで多少のダメージでは倒れなくなっているということだ。この長期にわたる戦いを引き起こしたのはそのデメリットによる。
もしかすると、この誤算は戦いの趨勢にまで影響を及ぼしかねない。
「結希奈、ありがとう。もう下がって」
「でも、まだ終わってない!」
「大丈夫だ。もう動ける」
慎一郎が結希奈を押しのけようとしたが、痛みが走り顔が歪む。
「ほら!」
そのときヴァースキも大きく立ち上がり、大きく穴を開けた翼をはためかせた。その風圧で周囲にいた攻撃部隊が吹き飛ばされる。意識を失っている碧と、瑠璃たちその救出部隊も吹き飛ばされたのは不幸中の幸いといえるだろう。
『ヴァースキ! わしはここじゃ! 来い!』
メリュジーヌが叫んだ。しかしヴァースキは慎一郎に目もくれずに本校舎の屋上――楓を睨んでいる。
「突っ込むぞ。メリュジーヌ、アシストを」
『やむを得ん』
痛む身体を無視して慎一郎はぐっと身体を沈み込ませて力を入れる。
その時であった――
『みんな、下がって!』
脳内にその声が流れたかと思うと、朝日を遮るように東の方角、今では校庭にてがれきの山となっている体育館がかつて建っていた場所に大きなシルエットが浮かび上がった。
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