北高の一番長い日7

 この季節の夜明けは一年で最も遅い。夜が明けるのは午前七時前だ。空はまだそこまで明るくなっていない。


 午前六時三分。ヴァースキとの戦いを始めてからすでに六時間半が経過している。

 ここに至るまで大きな被害は受けていない。大怪我の生徒は何人かいたが、瑠璃たちによって即座に保健室に運ばれ、保険医の辻綾子や保健委員たちの活躍もあって程なく前戦に送り返された。

 そういう点では順調であるといえる。北高生徒会の最大の目標は『死者を出さない』ことであった。


 だが、計算通りとは行かない部分もあった。その象徴である朝日が校庭に差し込み、黒いドラゴンをなお黒く浮かび上がらせる。

 戦闘開始からもうすぐ七時間。重力の魔法でヴァースキを縛り、手数で少しずつ体力を削って倒すという戦略はドラゴンの想定外のタフさにより崩壊しつつあった。


「はい。朝ご飯」

 ほんの四時間ほど前には体育館があったその跡地で、戦場から十分後退した斎藤に瑠璃が弁当と味噌汁を渡す。

 生徒会長の指示で全体を半数に分けて休憩を取っているのだ。食事担当の家庭科部などは今頃てんてこ舞いだろう。


「おう、サンキュ。いてて……」

 弁当を受け取る斎藤の顔が歪んだ。痛んだ脇腹を見ると、いつの間にか一部分が赤黒く染まっていた。知らない間に攻撃を受けていたらしい。


「なにこれ。折れてるんじゃないの? 保健室に連れて行こうか?」

 心配する瑠璃を前に、斎藤は自分の脇腹を見て、少しつつきながら少し考える。

「いや、大丈夫。早いところこれ食っちゃって交代してやらないとな」

「そっか。わかった」

 そう言って瑠璃は斎藤の背をぴたんと叩いた。


「いってー! なにすんだよ!」

「気合い入れてやったんだよ。あはは」

 そして瑠璃は少し離れた戦場へと目をやった。釣られて斎藤もそちらを見る。

 そこでは当初の半数以下に減ってはいたが今もなお、多くの生徒達が最強の生物相手に死闘を繰り広げていた。




 ヴァースキの軽自動車ほどもある巨大な顔が迫る。慎一郎は後ろにさがってそれを回避、カウンターで攻撃を加えようとした。


「!?」

 しかしいつもとは違うヴァースキの様子に一気に警戒心が上がる。


 その予感は正しかった。その攻撃は一種のフェイントだった。口の中に黒い粒子が終結しているのが見えた。慎一郎の至近距離でヴァースキは漆黒のブレスを吐いた。噛みつきに見せかけたブレス攻撃だ。


 しかしそのブレスは慎一郎の纏ったマントに完全に無効化された。これまでに何度か見た光景だ。

 しかし何故今ブレスを……?

 慎一郎が訝しんだのと同時にメリュジーヌの警告がとんだ。


『ブレスは目くらましじゃ! ブレスの流れに注視せよ!』

 その瞬間、ブレスの流れが変わった。空気全体が横方向から押し出されるような感覚。

 それはごくわずかな動きでしかなかったが、メリュジーヌからの警告で気をつけていたことが功を奏した。


「…………!」

 瞬間、暗闇の霧をかき分け、横から巨大な塊がたたきつけられてきた。

 横っ飛びで竜の右前足を回避する慎一郎。そこにヴァースキが口を大きく広げて待ち構えていた。


「くそっ!」

 咄嗟の判断で不可視の腕に握っている〈エクスカリバーⅢ〉のうち二本を手放し、空いた腕で無理やり自分の身体を後ろに転がした。


 ガチン! とヴァースキの歯がかみ合う音が目の前で聞こえた。危ないところを咄嗟の判断で乗り切った。ここより先は重力の鎖に縛られるヴァースキの攻撃は届かない。

 そう思ったのもつかの間、大地に縛られていたはずのドラゴンが一歩を踏み出し、体勢を崩して起き上がれない慎一郎の身体を跳ね上げた。


「しまっ……!」

 宙に跳ね上げられてしまえば身動きも取れなくなる。慎一郎の身体は放物線を描くようにヴァースキの方へと落下していく。その先には大きく口を広げる暗黒竜の真っ赤な口が――


 ガチン!


 再びヴァースキの歯がかみ合う音を至近距離で聞いた。ヴァースキの口の中に落ちる寸前、白い影が飛び出して慎一郎の身体をかっ攫ったのだ。


「大丈夫、慎一郎くん?」

 慎一郎を間一髪のところで救った真っ白な毛に覆われた人物――長い耳とふわふわの尻尾をもつそのシルエットを人物と呼んでいいのならばだが――はヴァースキから少し離れた所に着地すると慎一郎を下ろしてその様子を気遣った。


「あ、あなたは……?」

 そう聞かれたウサギ人間のような人物ははっと気づいたかのように手を振ると、顔の周りを覆っていた白い毛がわさわさと動いて顔が見えるようになった。

 園芸部部長にして”卯”の〈守護聖獣〉代理こと山川碧やまかわあおいである。


「慎一郎くんはここで治療を受けて。見たところ、だいぶボロボロだから」

「で、でも――」

 慎一郎の見立てではいくらウサギの眷属たちの力を借りてパワーアップを果たしていたとしても彼女がヴァースキの攻撃を抑えられるとは思えない。


「大丈夫だから」

 そう言って碧はおそるべき速度でヴァースキの元へと走っていった。


「すぐに治療するから。応急処置だけど、いいよね?」

 素早く駆け寄ってきた結希奈が慎一郎の全身につけられた傷を治していく。これまで幾度となくヴァースキの攻撃を受けていたが、彼が持ち場を離れるのは危険すぎてこれはでまともな治療さえもできなかったのだ。


「放してくれ、結希奈! 碧さんが! 碧さんじゃあのヴァースキは止められない! おれが行かないと……!」

 暴れる慎一郎の顔を結希奈がひっぱたいた。ぱあんと言う音はしかし、戦場の喧騒にかき消されて周囲で戦っている者には聞こえない。


「自惚れないで! 誰が止められないって? 見てみなさいよ!」

 結希奈に言われるまま戦場を見ると、白いウサギ人間がヴァースキの目の前で巨大なドラゴン相手に翻弄しているではないか。ドラゴンの攻撃をかすらせもせず、ただハイスピードで目の前を走り回る。それがどれほどの恐怖と緊張感の元で行われているのか、ここまで戦っていた慎一郎には痛いほどよくわかった。


「あんたのやることはしっかり怪我を治してバトンタッチすること。治してる間にこれ食べてなさい」

 突き出されたのはバスケットだ。慎一郎がそれを開くと中にぎっしり詰まったサンドイッチが現れた。


『ほう、これはうまそうじゃ!』

 メリュジーヌの感情が一瞬で高まったのが慎一郎にもわかった。


「ほ、本当はあたしが作りたかったんだけど、そんな時間ないから……。家庭科部の翠さんのお手製よ。味は保証するからちゃんと味わいなさい」

『そうじゃな。食事は重要じゃ。力を出してくれるだけでなく、心も落ち着かせてくれる。悔しければ早く食べ終えて戦線に復帰せよ』

「…………わかった」


 慎一郎はバスケットの中身を無造作に取り出して口の中に入れた。いわゆるBLTサンドだが、味付けが濃いめにしてあって、今の慎一郎には信じられないほど美味に感じられた。


『うひょーっ! これはうまい! こんなにうまいサンドイッチは初めてじゃ! ささ、早く次のを。そっちの卵焼きがはみ出ているのなどはどうじゃ?』

 メリュジーヌがいつも以上にはしゃいでいる。それが敢えてやっていることだとわかっているからこそ慎一郎は嬉しくなり、ひとつ、またひとつとサンドイッチを口に運んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る