72時間5

「お待ち申し上げておりました、竜王陛下。ご挨拶が遅れましたことをお詫び申し上げます」

『よい。そなたにも事情があったのだろう? こたびの非礼は不問に付す。ただし――』

 メリュジーヌが頭を垂れる菊池に重々しく言った。その言は威厳に満ちており、王の風格を醸し出している。


「はい、全力を尽くします」

『うむ。面を上げよ。始めるとしよう』

「こちらへ」

 菊池は顔を上げて立ち上がり、保健室の奥へと慎一郎を案内した。


 保健室の窓際には机をふたつ合わせたスペースが作ってあった。そこの片方に慎一郎を薦め、菊池本人は反対側に腰掛けた。窓を横に、慎一郎と菊池はちょうど対面する形になる。


 机の上には魔力ポットとあらかじめ暖められている食器類が置かれていた。菊池はそこから紅茶を注ぎ、慎一郎と自分の前に置いた。

「あ、ありがとうございます……」

 三年生の生徒会長にもてなされていることに戸惑いと違和感を覚えながら恐縮する慎一郎。


『時間が惜しい、必要なことだけ話す。それ以外はまた別の機会じゃ』

「心得ております」

 メリュジーヌと菊池の間で何らかのコンセンサスが取られているのだろうか。しかし、慎一郎抜きでそんな話し合いが行われたとはとても思えない。


『まずは――』

「ちょ、ちょっと待ってくれ、メリュジーヌ。そして会長」

 菊池とメリュジーヌのアバターが揃って彼の方を見る。


「何の話をしてるんですか? おれにもわかるように。いや、それ以前に……」

 慎一郎は言葉を切った。これを指摘するともう引き返せないような気がしたからだ。

 それでも意を決して生じた疑問を言語化する。


、菊池さん?」


 メリュジーヌの声と姿は〈念話〉の魔法を使って行われる。〈念話〉とは、お互い登録した人たち同士の間で魔力を使って通話をする魔法のことだ。つまり、お互い登録していないと使うことはできない。

 そして、慎一郎は菊池と念話番号を交換していない――


 意を決して指摘した慎一郎に、菊池はそれまで硬く引き締めていた表情を――

 崩した。


「ああ、すまなかった。僕はどうも途中の説明をすっ飛ばしてしまう癖があるようでね」

 菊池は立ち上がって慎一郎に手を差し出した。


「改めて自己紹介しよう。僕は菊池一きくちはじめ。県立北高生徒会の会長。そして――」

 そんなことは知っている――と言おうとして、慎一郎は続く言葉に驚かされた。


「竜王メリュジーヌ陛下親衛隊〈十剣〉の壱の剣にして日本国の守護者、”水神”ミズチ」


 〈十剣〉。かつての竜王メリュジーヌは一〇八の高位ドラゴンを従えていた。その中でも特に有力な十柱のドラゴンをメリュジーヌの十のつるぎ、通称〈十剣〉とと呼ぶ。

 世界でも最も強力な生命体である彼らはそのままその土地の国家の後ろ盾となり、現代では生き残っている八柱がそれぞれ八の国の守護者として知られている。


「ミズチ……って、あのミズチ……? テレビによく出てくる……?」

 ”ミズチ”は日本神話にも登場する由緒正しいドラゴンであり、現代でも日本の守護者として外遊や式典などで度々表舞台に出てくるドラゴンとして日本国民に知られている。


 巽や瑠璃などの〈守護聖獣〉をはじめ、一部の種族は辺りを飛び交っている魔力を感知してその声を聞き取ることができる。ミズチのような高位ドラゴンにとってそのようなことは朝飯前だ。


「『あの』ミズチかわからないが……。世界にはほかにミズチを名乗るドラゴンはいないから、多分そうだと思う」


「貴方がミズチなら――」

 菊池は慎一郎の緊張を解きほぐそうと笑顔を見せたのだが、それが逆に彼の癇に障った。


「貴方がミズチなら、あのヴァースキを倒してくださいよ! いや、それ以前に、おれ達をここから出すことだってできるんじゃないですか?」

 詰め寄る慎一郎に、菊池は困った顔をした。


『シンイチロウ』

 メリュジーヌの冷静な声が熱くなった慎一郎の頭を冷やす。


「……悪い」

「構わないよ。君のその怒りは正当なものだ。しかし――」


『今は一秒でも時間が惜しい。ミズチよ、人間たちの手でヴァースキを殺すための知恵を寄越せ』

「仰せのままに」

 再びうやうやしく頭を下げる菊池を見て、慎一郎はただ憮然とするかなかった。




『彼のものを殺すのに必要な要素がふたつある。攻撃と防御じゃ』

「攻撃と防御……?」


『うむ。シンイチロウ、そなたも見たじゃろう? ヴァースキの暗黒のブレスが剣術部やあのオーガを跡形もなく消し去るところを』

「ああ、見た。あんなものを見せられた後で勝算があると言われても、にわかには信じられない」


「ヴァースキは一度殺されている。それを討ち取ったのは紛れもない、ここにおわす竜王陛下だ」

「メリュジーヌが……!?」


『あのブレスは対策が取れる。二ヶ月前の時のように不意打ちを食らったのならまだしも、今回のように準備期間があるのならば恐れるものではない』

「竜王陛下、私に対抗術式をお授けください。生徒会メンバーで期間内にブレス無効の防具を人数分揃えてみせましょう」

『頼む』


 すると、彼らが話している場所からほど近くにある普段は綾子が使っている机の上から紙とペンがふわりと浮かび上がり、慎一郎が今座っている机の上に降りてきた。ペンが何やら複雑な紋様を紙に記している。メリュジーヌが対抗術式となる魔法陣を書いているのだ。


『これが千年前にわしが用いた対抗術式じゃ。今ならばもっと効率の良いものができるであろう』

「これでは高校生が身につけるには少々魔力の負担が大きいようですから、私のほうで最適化を行いましょう」

『任せる』

 メリュジーヌが鷹揚に頷いた。


『次に攻撃に関してじゃが――』

「ヴァースキの肉体はヒマラヤの地下深くに埋められて千年が経ちます。いくらドラゴンの肉体といえども、腐敗化が進んでいます」


『なるほど……。今の奴はいわば、ドラゴンゾンビということじゃな』

「ドラゴンゾンビ……?」

 慎一郎の疑問にメリュジーヌが答える。

『動く屍と化したドラゴンじゃ。生きているドラゴンよりもいくらか与しやすい相手であるが、それでも厳しい相手であることに違いはない』


「しかし、ドラゴンゾンビであるならば、神聖属性の攻撃がいくらか有効のはず。浅村君」

「はい」

 菊池が慎一郎を見る。正確には、慎一郎の傍らに立てかけてある二本の〈エクスカリバーⅢ〉に。


「君の、その剣を見せてくれないか? その剣は状況に応じて付与できる魔法が替えられると聞いた」

「あ、はい。どうぞ」

 言われるままに慎一郎は菊池に〈エクスカリバーⅢ〉を渡した。


 菊池は〈エクスカリバーⅢ〉の鞘をじっくりと見て、それから鞘からそれを引き抜いて剣身をじっと見る。

「いい剣だ。竜王陛下が目を掛けられるだけのことはある」

 そして菊池は剣を鞘に収めて慎一郎に返した。


「この剣に神聖属性を付与させよう。柄に刻む魔法陣は僕の方で作成しておく。それを見て君の鍛冶士に刻んでもらえばいい」

「よろしくお願いします」


「それから、対策としては――」

『奴に空を飛ばれると厄介じゃ。足止めの方法を』

「それならば、私に考えがあります。お任せを。それよりも懸念が」

『申してみよ』


「〈竜王部〉の部員たちはいずれもがかなりの手練れとなり、戦力として申し分ないのですが、なにふん数が少ない」

『それならば心配する必要はない』

「と、申しますと……?」


『シンイチロウたちがこれまでに培ってきた行いが強力な武器となる』

「……なるほど、そういうわけですか。さすがは竜王陛下。そこまでお考えだったとは」

『当たり前じゃ』


「…………?」

 メリュジーヌと菊池が揃って二人を見るが、慎一郎には何のことかさっぱりわからなかった。


 その後もメリュジーヌと菊池、二人の打ち合わせは続き、ある程度の形になったところで部長会の時間となった。菊池は安静が必要だという建前で保健室にこもり、早速準備に取りかかるということだ。


「浅村君」

 保健室から出ようとした慎一郎に菊池が声を掛けてきた。


「君には苦労をかける。しかし、僕の”計画”は君なしでは完成しない。僕の全てをかけて君を守るから、安心して欲しい」


「……………………失礼します」

 慎一郎はそれには返事をせず、そのまま保健室を出て部長会が行われる会議室へと向かった。


 こうして、慎一郎たちは高校生だけでドラゴンに挑むという、世界的にも例を見ない戦いへの道を歩み出した。

 彼らに残された時間はおよそ二日半。

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