72時間3

「次の議題です。というより、ここからが本題になります」

 イブリースの宣言に、会議室全体がぴんとした緊張感に包まれた。


「校庭に現れた黒いドラゴンについてです」


 前日の夜に現れた黒いドラゴン――暗黒竜ヴァースキは、今に至るもなお、かつて校庭だった大農場の中に佇んでいる。ぴくりとも動かず、一見、地下にあったときと同じように石化しているのかと思えるほどであるが、間違いなく石化の魔法は解けているのがその表面を見ればわかる。

 今ならわかる。石化などあの偉大なドラゴンからすればいつでも破ることはできたのだ。そのうえでヴァースキはタイミングを見計らってあそこで現れた。


「あのドラゴンの名称は暗黒竜ヴァースキ。歴史の授業で習ったかもしれませんが、かつてはインド全域を支配しており、およそ千年前、竜王メリュジーヌによって討伐されたドラゴンです。性格は残忍そのもの」

 『メリュジーヌ』というワードに反応して、幾人かの部長たちが慎一郎の方を見た。また別の幾人かは『残忍』ということばに反応して身体を恐怖に震わせた。




                      聖歴2026年12月10日(木)


「よう、メリュジーヌ。この姿で会うのは千年ぶりか? ようやく恨みを晴らせるときが来たってワケだ」


『ヴァースキ……』

 地殻を破って姿を現した巨大な黒い影、暗黒竜ヴァースキの頭上に立つ炭谷豊を忌々しげに睨むメリュジーヌ。


「おい、ジーヌ。どういうことだ? こいつがヴァースキ?」

 油断なく剣を構える徹が隣に立つメリュジーヌのアバターに聞いた。ヴァースキとは目の前の巨大な暗黒竜のことではなかったのか。


「そうさ。俺がヴァースキだ。この俺がな」

 その問いにはメリュジーヌではなく、炭谷が答えた。


『奴の肉体はヒマラヤの地下深くに封じ、魂は石にして粉々に砕いたはずじゃ。それは間違いない。じゃが何故……!?』

 メリュジーヌをはじめとした竜族は九世紀以降、その大きすぎる肉体を〈竜石〉と呼ばれる石に封じることで竜人となった。


 しかしその方針に逆らい、他ならぬメリュジーヌによって討伐させられたヴァースキは皮肉にも竜族を竜人に変える魔術の応用によって封じられた。

 肉体はそのまま討伐されたヒマラヤの地下深くに、そこから取り出されたヴァースキの魂は石にされた後、粉々に砕かれヒマラヤ山脈の広い地域に散布された。何かの拍子で石同士がひとつに戻らないように。


『一ヶ月前にヴァースキが現れたときは何者かがヴァースキの肉体を見つけ、操っているだけだと思っておった。じゃが、あれは……あの男は間違いなくヴァースキじゃ』


「要するにお前の処置が甘かったってことさ」

 ヴァースキの頭の上に立つ炭谷が嘲るようにメリュジーヌを見る。


「千年だぞ、千年。千年もあればガキのドラゴンだって一人前になるには十分な年月だ。ましてや俺はてめーが勝手に決めた〈十剣〉と呼ばれるほどの上位ドラゴンだ」


『まさか、貴様の正体は……』

 ぎり、とメリュジーヌが歯を噛む音が聞こえてきそうだった。


「そうだ! 俺はあの時てめーが砕いたヴァースキの魂の欠片のうち、比較的大きかったひとつだ! 成長し、知性を獲得して、ここまで力を蓄えるまで千年もかかったが、ようやくあの日の恨みを晴らす日が来た!」


『ヴァースキ、貴様の目的はわしか。わしへの復讐……そんなことのためにナリアキラを……』

「そんなことだと? ふざけるな!」


 炭谷の感情と呼応して、彼の下でこれまで静かに佇んでいた暗黒竜が激しく咆吼をした。それは魂の底から人を震え上がらせる恐怖。ビリビリと空間そのものが震えるようなその咆吼に、慎一郎たちは思わず数歩後ずさりした。


「そのために……そのためだけに俺はこの千年を生きてきた。人間なんていう、下等生物の肉体に身をやつしてまで生きてきたんだ! この屈辱の日々、貴様にはわかるまい!」


 目が血走るほどに怒る炭谷はしかし、次の瞬間まるで別人かのようににやりと笑った。

「さあ、続きをやろうぜ、メリュジーヌ。今度こそてめーをぶっ殺してやる」


『…………よいじゃろう。わしの精神は今、ここな浅村慎一郎の〈副脳〉に宿っておる。シンイチロウには申し訳ないが、その〈副脳〉を破壊すればわしの精神は消滅するじゃろう。脆いものじゃ』


「メリュジーヌ!? お前、何を言って……」

 慎一郎は肩から提げている自分の〈副脳〉ケースを守るように抱え込んだ。


『よいのじゃ。それでそなたたちの命が守られるのであれば安いものじゃ』

 その顔はまるで女神のように慈愛に満ちあふれたものであったが、当の炭谷には到底納得のいくものではなかった。


「……ざ、けるな! ふざけるな!」

 再び暗黒竜が吼える。繰り返される竜の咆吼に耐えきれなかったのか、竜の咆吼をたたきつけられた本校舎のガラスが一斉に割れた。


「俺はてめーと戦ってぶっ殺してえんだ! 四の五の言わずにさっさと元の姿に戻りやがれ!」


『無理じゃ』

「……なんだと? テメェ、ふざけてるのか? ああだこうだ言ってるとここの虫ケラにんげんどもを皆殺しにするぞ!」


『わしの話を聞け!』

 怒りに震える炭谷であったが、メリュジーヌの一喝により虚を突かれたようだ。


『元の姿に戻りたくとも戻れんのじゃ。わしには……魂を宿すべき肉体がない。〈竜石〉がな』

「な……なんだと……!?」


『ヴァースキよ、そなたは知らぬかもしれぬが、わしは精神だけを六百年前の世界から現代に召喚されたのじゃ。精神だけをな』

「なんだって……!? そんなバカな……」

 炭谷がちらと傍らの徹を見た。徹は神妙な顔で頷いた。


「いや、騙されねえぞ! 六百年がなんだ! ドラゴンの肉体が六百年くらいで朽ちるワケねーだろうが! 俺の身体だってヒマラヤの地中で千年持ちこたえた!」


『あるいは、そうかもしれぬ。わしがシンイチロウによってこの時代に呼び出された時、わしはパリにあるドラゴンパレスにおったからな。あるいは今もそこに残されてるかもしれぬ』


「そういえば、ルーブル美術館にそんなものがあるって昔テレビで見たことがあるな……」

 徹がつぶやいた。


「なら今すぐ取ってきやがれ! 今なら人間でも数日あれば行って帰ってこれるはずだ!」


『どうやって……?』

「は?」


『どうやって取りに行くというのじゃ? わしらはこの半年間、ここから出る方法を探し続けているが、それは今を持っても適わぬ』

「なん……だと……!?」


『お主も散々苦労してそのヴァースキを呼び寄せたんじゃろう? この結界はそれほど強力なのじゃ』


「そんな……馬鹿な……。俺の……俺の計画が……こんな所で……」

 がっくりとうなだれ、ヴァースキの頭の上で膝をつく炭谷。


『そういうわけじゃ。ヴァースキよ。過去のわだかまりもあろうが、ここは協力して外に出る手段をだな――』

 メリュジーヌが手を差し出したが――


「ふ」

『?』


「ふふふふふふ」

 宵闇でよくは見えないが、どうやら炭谷の背が震えているようだ。


「ふははははははははははは!」

 炭谷は立ち上がり、大声で笑い出した。


『!?』


「そんな虚言に騙されるか! 俺に殺されてくないから嘘をついているな、浅はかなり、メリュジーヌ!」

『はぁ……? そなたは何を言って――』


「三日だ!」

 炭谷は竜の頭上で右手の指を三本立てた。


『…………?』

「三日待ってやる。それまでに〈竜石〉を持ってこい。そこでぶっ殺してやる! 持ってこないと人間(ウジ虫)どもも皆殺しだ! ふはははははは!」


『待て!』


 メリュジーヌの静止も聞かず、炭谷はヴァースキの頭からひらりと降りた。慌ててヴァースキの側方に回るが、すでに炭谷の姿はどこにも見当たらなかった。

 十二月の寒空に静かに佇む暗黒のドラゴンのみが残された。

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