冬来たる

冬来たる1

                      聖歴2026年12月10日(木)


 この季節の日の入りは早い。


 夕日に染まる北高を取り囲むように木々が生える〈竜海の森〉の中を小さな人影が走る。

 ゴンをリーダーとしたコボルトの戦士たち。“いぬ”のほこらから〈竜王部〉と行動を共にしていたコボルト達に加え、コボルト村から新しくやってきた増援も加えてその数、十。この日行われる北高奪還作戦、通称『初冬作戦』の端緒を開く役割を担う精鋭たちだ。


 北高の敷地内、〈竜海の森〉との北西の境目に職員用。来客用の駐車場がある。一台しか止められていないその大きなスペースは今、物置として活用されている。文化祭の時に作られた屋台や収穫直後の作物、使われなくなった道具類など。


 木々の間からばらばらと飛び出してきたコボルト達はそれらの影に隠れながら駐車場の中程へと進んでいく。

 やがて駐車場のほぼ中央に置きっぱなしになっている屋台の影に身を潜め、持っていた鞄から何かを取り出した。

 ゴンはそれを仲間のコボルト達に均等に分け与えると、受け取ったコボルト達は千々に散っていった。


 駐車場内にただひとり残ったゴンは自分の手元に残された一枚の紙をじっと見る。

 そこには奇妙な紋様だけが大きく描かれている。魔法陣だ。


 コボルトに複雑な魔法を使うことはできないが、魔法陣となれば話は別だ。あらかじめ完成直前まで作られた魔法陣に最後の一筆を加える。それくらいであればコボルトにもできる。


「もう少しっす……」

 作戦の最初の一歩はゴンが踏み出すことになっている。その重圧と高揚感に喉が動く。

 ゴンはじっと足元を見た。駐車場には校舎やその周りの柱などが長い影を落としている。ゴンはそれを見る。


 日没が近づくにつれ、それらの影はますます長くなっていき、空は暗くなる。

 やがて、一本の影がゴンの足元まで伸び、まるで這い上がってくるように彼の身体を登っていく。

 しかしその影も徐々に薄まっていく。世界全体が闇に覆われ、影が影でなくなる時間、黄昏時。


 ゴンは大きく息を吸って、吐いた。それを繰り返すこと、十回。


「今っすね」

 ゴンはつぶやいた。作戦開始は日没の少し後。慎一郎からは影が見えなくなって十回深呼吸したら作戦を始めると指示されていた。これで時計を持たないコボルトでも時間を合わせられる。


 ゴンは懐から短い棒を取り出した。ペンだ。ただのペンではない。魔力を通す特殊なインクが出るペンだ。ゴンはそのペンで持っている紙に書かれた魔法陣に欠けた最後のピースを埋める。


 魔法陣が完成した瞬間。それが強く輝きだした。と同時にゴンは全速力でその場を駆け出し、森の中へと戻っていった。

 彼が木の陰に隠れるか隠れないかというタイミングで、彼が先ほどまでいた駐車場の真ん中で耳をつんざくような轟音と強烈なフラッシュ、そしてかすかに大地の揺れる感触。


 戦士長が木の陰から駐車場を見返すと、そこには黒々とした煙が湧き上がっていた。

 それは爆発ではない。音と光と煙を出すだけで、遠くから見れば限りなく爆発のように見えるが全く破壊力はないという、結希奈の作った魔法陣だ。


 やがて、目論見通り校庭の方から幾人かの人間たちが現れて煙の方へと向かっていった。


 その時、まるでタイミングを合わせたかのように――ある程度は計算してそうしていたのだが、予想以上のタイミングだった――別の場所で爆発音と黒煙が立ち上がった。ゴンの仲間のコボルト達が起こしたのだ。


 それを合図とするかのようにゴンの左右で次々爆発音が起こる。駐車場に来ていた人間たちはばらばらにそれらの音の方へと向かっていく。おそらく、他の人間たちもやってくるだろう。


「やったっす!」

 作戦の初期目標が達成されたことを確信したゴンは、小さくガッツポーズをして、次の作戦のために移動を開始する。

 青毛の小さな犬型の亜人が夕闇が支配を広げていく校内に溶け込んでいった。

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