朽ち果てた男3

 慎一郎は木々をかき分け、剣術部の部室の方へと向かっていった。


 途中、あちこちに木材やトタン板の破片が散らばっており、また、それらを集めた集積場があった。この中から使える資材を選んでなんとか体裁を整えたのが今目の前に見えるみすぼらしい部室だ。


 歩いていると足元から乾いた音がした。目をやると、そこには枯れ草が生えていた。

 枯れ草は一直線に、何列も並んでいた。よく見ると、枯れ草が生えている場所は畝になっており、そこが放置された畑だと知った。


 端的に言ってそこは荒れ地だ。剣術部の部室はそんな荒れ果てた場所に建っていた。

 自分たちを傷つけたドラゴンと同じ空間で怪我を負いながら、あるいは怪我した仲間の介護をしながら過ごす一ヶ月半はどんなだったのだろう。


 部室の前までやってきた。


 テントと廃材でできた部室は以前よりも粗末な作りになっているとはいえ、それでも外と内とを隔てる扉はある。慎一郎は扉を軽くノックをして声をかけた。


「すいません」

 しかし返事はない。ここには慎一郎しかおらず、またヴァースキがいる大広間の中なので他に生物もいない。だから返事がないと本当に無音だ。


 もう一度ノックをして呼んでみる。

「すいません! 誰かいませんか?」


 やはり返事がない。もう一度ノック。

「徹? いないのか? 連絡が付かないから来たぞ!」


 仕方がないので扉を押してみた。思った通り鍵などはついておらず、キィという音を立てて扉は何の抵抗もなく開いた。


 扉の向こうは外と同じ明るさだった。地下空間に建てられている部室に雨風を防ぐ屋根は必要なく、必要なのはプライバシーを守るカーテンだけだ。

 部室に貼ってすぐの玄関スペースともいうべき場所からもうひとつ扉を開けて奥へ進むと、広い部屋に続いていた。


「ここは……」

 そこは十二畳くらいの部屋だった。一面にびっしりと掛け布団が敷き詰められているが、誰もいない。そこに横になっていた人物達が起き上がったときそのままに掛け布団が無造作に放置されている。


 そして何より目に付くのは敷き布団のシーツのそこかしこに残る血痕……。すでにどす黒くなっており、それが昨日今日つけられたものではないことがわかる。


『怪我人達はここに寝かされていたのであろう』

 メリュジーヌの言うとおりだと思う。だが、彼らは今どこに? あれからもう一ヶ月半も経っている。重傷者でももう怪我が完治していてもおかしくない時期だ。だからここに誰も寝ていないことはわかるのだが……。


 慎一郎はなるべく布団を踏まないように注意しながら部屋の奥へと進んでいった。その先にさらに扉があるのが見えたからだ。


 扉をそっと押すと、やはり簡単に開いた。

 奥の部屋は畳一畳分くらいのスペースしかなかった。一瞬物置かと思ったが、部屋の片隅に安楽椅子と、無造作に毛布が置かれていた。脇に置いてあるテーブルにはまだ中身が残っている水差しが置かれていることから、誰かの部屋ではないかと思われた。


「……な……の……い……」


 何か聞こえた。声だ。部屋には先ほど慎一郎が入ってきた扉しかないが、天井がないから、声は外から聞こえてきたのだとすぐに気がついた。


 慎一郎は一旦部室の外に出て部室の横を回って反対側に向かう。部室の周りは生い茂った雑草と無造作に転がっている大岩、引き抜こうとした途中になっている切り株や放置してある農機具、さび付いた剣術用の剣などが放置されていて、酷い有様だった。


 入り口のあった反対側まで回り込むと、そこにはバルコニー――と言っても差し支えがないだろう――があった。柵で仕切られているバルコニーの隅には先ほどの小さな部屋にあったものと同じような安楽椅子があり、そして今度はそこに腰掛ける者がいた。

 慎一郎は腰の剣に手を当てながらゆっくりと近づいて行く。


「……さん……あさ……きた……」

 しかし、くだんの人物は慎一郎の存在に気づいていないのか、全くこちらに注意を向ける様子がない。


「……もう……うご……い……けい……」

 歌を歌っているのだろう、安楽椅子を前後に揺らしているその男の前まで回り込み、顔を見たとき、慎一郎はそのあまりに哀れな状況の男に息を呑んだ。

「……!」


 その声にようやく慎一郎の存在に気づいたのか、男はゆっくりと彼の方を見る。

 いや、それは思い過ごしだった。何故なら、彼の瞳には何も映ってはいなかったからだ。


 何も映していない瞳、ツヤもなく手入れされていない髪、目の下には隈が残り、げっそりとこけた頬とそこにうっすらと生える髭。

 およそ精気というものが感じられないその男を最初、慎一郎は誰だかわからなかった。


 最初に気づいたのはメリュジーヌだ。

『こやつ、何とかという剣術部の部長じゃな』


「秋山さん? まさか……!」

 秋山雅治あきやままさはる。剣術部部長で徹の幼なじみ。剣術の腕は確かで、これまで北高と港高の剣術部を引っ張ってきたリーダーシップの持ち主。


 しかし今では見る影もない。まるで時計が五十年も進んでしまったかのように枯れ果てているその姿に慎一郎は愕然とした。

 しかし目の形や面影は確かに秋山のものだ。にわかには信じられないが……。


「あ……あ……」

 男が慎一郎に手を伸ばした。その手は細かく震えており、かつての力強さは微塵も感じられない。


 何故なら慎一郎の知る彼は活力に溢れ、衣服の上からでもわかるほど盛り上がった筋肉は彼の力強さと頼もしさの象徴であったからだ。

 今の安楽椅子に力なく横たわっている彼からはとても想像できない。その手足はまるで棒のようにか細く、自らの腕を上げるのにも苦労している。


「秋山さん! 秋山さん! 何が起こってるんですか? 徹は、他のみんなはどこへ? 秋山さん!」

 慎一郎は秋山の肩を掴んで彼を揺さぶった。しかし秋山はそんな状況にも全く反応せず、ただ「あ……あ……」と意味のない言葉とつぶやいているだけだ。


『精神操作を受けた後遺症のようにも見えるが……』

「精神操作……!?」

『いや、詳しいことは魔術的な設備の整った場所で調べぬことにはわからぬが……それよりも』

「ああ。秋山さんのこの状態だ。なんとかしないと」

 秋山の精神状態も気になるが、なにより彼のあまりにも細く、軽くなってしまっている身体に愕然とした。


『深刻な栄養失調のようじゃな。すぐにでもアヤコの所へ連れて行った方が良い』

 メリュジーヌのその言葉に慎一郎は頷いた。本来ならば剣術部の誰かに話を通すのが筋だと思うが、そんなことをする気にはならなかった。この一ヶ月半、あまりいい扱いをされてこなかっただろう秋山の相談を剣術部員にしたとしてもいい返事が得られるようにはとても思えない。


「すぐに連れて行こう。結希奈に連絡を……」

 そう考えて、“戌”のほこらで再建作業をしているであろう結希奈に〈念話〉で連絡をしようとしたとき、部室の向こう側から声が聞こえてきた。


「慎一郎ー? いるの?」

「こっちだ! 来てくれ!」


 慎一郎が呼ぶと、結希奈たちは部室を回ってこちら側にやってきた。結希奈にこより、楓、そしてゴンをはじめとするコボルト達。


「ほこらは?」

「問題ないわ。それよりも……」

 結希奈が秋山の方を見た。慎一郎はこれまでのいきさつを手早く説明すると、彼女たちは息を呑み、悲しそうな顔をした。


 その時である。秋山の瞳に突然光が戻った。同時に、初めて意味のある言葉を紡ぎ出す。


「お前は……浅村……」

「秋山さん!? 大丈夫ですか? 一体、何があったんですか?」


 秋山は先ほどと同じように、棒のように細い手を慎一郎に差し出した。慎一郎はそれをしっかりと握る。その手は見た目よりも細く、細かく震えていて、そして血が通っていないかのように冷たかった。


「あいつを……坊ちゃんを止めてくれ……でないと……取り返しの付かないことに……」

「坊ちゃん……? 徹ですか? 徹が何を?」


「俺じゃもう、坊ちゃんを止めることはできない。だから、浅村……頼む」

「徹はどこに? 秋山さん?」


「俺が悪いんだ。俺が、あいつを剣術部の部長なんかにしたから……」

「徹が部長に? どういうことです?」


「今のあいつは狂信者だ。早く……早く止めて……く……あ、ああああああああ!」

 そこまで言うと、秋山は突然頭を抱えて苦しみだした。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 その細い身体のどこにそんな力が残されたのかと思うほどの力で暴れ出し、慎一郎がやっとの思いで押さえつける。秋山の爪が慎一郎の肌に食い込み、血が流れる。


「秋山さん、しっかり! しっかりしてくれ!」

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! あああ……あ……」


 秋山はひとしきり叫んで暴れたと思ったら、突然静かになった。そして身体全体から力が抜けた。瞳からは再び光が失せ、少し前の秋山に戻ったようにも思える。


「なんだったんだ……。それにしても……」

『トオルが何かしようとしているようにも聞こえたが……。じゃが、どこまで信じれば良いか……』

「徹……。どこにいるんだ……」




 その後、改めて徹に〈念話〉をかけてみたが、やはり出なかった。静かになった秋山だが、いつ豹変するかもわからないのでこよりが持ってきた薬草を嗅がせて眠らせることにした。


 秋山はこよりが造りだしたゴーレムに乗せて運ぶことにした。通常のゴーレムが一体、そして背中の部分が大きく広がっていて担架のようになっているゴーレムが一体。あの文化祭の惨事のあと、こよりが新しく開発した担架ゴーレムだ。


「行こう。外に出て何が起こってるのか確かめないと」

 秋山を担架に乗せ、部室の近くにある地上への出口へと向かう。

 何かが起ころうとしているのは間違いない。あの文化祭の時とは異なる嫌な感じが彼を包んでいた。

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