朽ち果てた男2

                      聖歴2026年11月20日(金)


「……………………」

 慎一郎は無言のまま、こめかみに当てていた人差し指を下ろした。〈念話〉を切ったのだ。


「どうしたの?」

 結希奈の問いに慎一郎が肩をすくめた。

「ダメだ、通じない」

「通じない、って……まさか……」


 結希奈の脳裏に浮かんだのは一ヶ月半前のあの日のことだ。あの日、“鬼”が現れたとき、救援を呼ぼうにも一斉に〈念話〉が使えなかった。それが悲劇の始まりだったのだ。


 しかし慎一郎はそんな結希奈の不安を消すように軽く笑って首を左右に振った。

「いや、出ないんだ。昨日も出なかったし、何やってるんだ徹の奴」


 “亥”のほこらを再建した翌朝、慎一郎達はコボルト村から“戌”のほこらを目指すことにしていた。そこは近くに剣術部の部室があり、“戌”のほこらも剣術部が管理しているために、〈竜王部〉から剣術部へ行っている徹に一言言っておこうと昨日から〈念話〉をしてるのだが一向に繋がらない。


「ホントだ。何やってるのよ栗山の奴……」

 結希奈もこめかみから指を下ろしてため息をついた。


「ここで待っていても仕方ないし、行かない?」

「そうですね」

 こよりの提案に従って一行はコボルト村を発つことにした。




「さあ、ご案内するっす」


 昨日と同じように一行はゴンを先頭にコボルト村を発った。昨日と同じコボルトがコボルト村で作られた新しい“戌”のほこらを運んでくれる。“戌”のほこらということもあり、コボルトの職人が張り切って作ったものらしい。


 コボルト村から最後の再建先である“戌”のほこらへはかつては三十分ほどでたどり着ける場所にあったが、地下迷宮のあちこちが崩落し、コボルト達が新しい道を掘りまくった結果、二時間ほどかかるようになっていた。それも、コボルト達の案内なしにたどり着くことはできないルートだ。


 途中まで同じ道を行き、そこから別の道へと曲がる。

 “亥”のほこらの時と同じように道を上り下りしておそらくコボルト達が掘ったであろう道を進んでいく。先ほどとは異なり、木枠によって補強はされていなかったし、かがり火で照らされていなかったのでゴンが持っている明かりのみが頼りだ。


 誰が話すでもなく歩く無言の人間とコボルトの周りには彼らの足音と武具の揺れる音、それに松明が燃える音だけが聞こえてくる。

 道中、モンスターと出くわすこともなく順調に進んでいった。さしものモンスター達も石化されているとはいえ、最強の生物であるドラゴンのすぐ側でもめ事を起こそうとはしないようだ。


 昨日とよく似た コボルトサイズの小さな長い階段を登っていくと、やはり昨日と同じように通路の先が明るくなってきた。

 しかしそこは昨日ほこらの近くを照らしていたかがり火の明かりよりももっと柔らかくて定常的な明るさだ。


 一行は少しずつ明るくなっていく階段を上りきると広い空間に出た。

 そこは、地下にあるはずなのに光に包まれており、足元は背の低い草で覆われており、さらに奥の方には木も生えている。


 頭上に見えるひょうたん池から日の光を取り込んでいるそこは、地下迷宮で最も広い空間、通称『大広間』。剣術部の部室があり、近くには“戌”のほこらがあり、そしてヴァースキが現れ、かけがえのない命を失った場所。


「……………………」


 しばらくの間、全員がそこに立ち止まって広い空間を見渡した。草木が織りなす平和そのものの場所。そのもっとも奥に巨大な石の塊が鎮座している。

 全長二十メートル、体長高十五メートルにもおよぶそれは四肢を大地にめり込ませ、翼を大きく広げている。前方に突き出した頭部は口を大きく広げて今にも何かを吐きださんとしているかのようだ。


 いや、『いるかのようだ』ではない。実際に吐き出していたのだ。何もかもを腐らせる暗黒のブレス。それを全身で受け止める青年がいたからこそいまこの竜は石となってそこに鎮座しているのだ。


 ヴァースキ。


 かつて〈竜王〉メリュジーヌ配下のドラゴンのうち、最も強力な〈十剣〉の一角でもあったその巨大な竜は竜王に反旗を翻し、討伐されたと聞く。

 それがどうして二十一世紀の日本に現れたのかは定かではない。ひとつだけ言えることは、このドラゴンをもう二度と動かしてはならないということだけだ。


 だから慎一郎たちはこうして地下迷宮を巡り、破壊された十二のほこらを順番に再建して回っているのだ。


「今のところ大丈夫そうね」

 沈黙を破ったのはこよりだった。彼女はいつの間にか双眼鏡を取り出して石となったヴァースキを観察している。慎一郎も彼女に倣うようにして双眼鏡を取り出してヴァースキをよく見る。


 その表面はこれまで何度も確認してきた時と同じく完全に石化されており、表面にひびが入ったり、劣化している様子は見当たらない。


『うむ。問題はなさそうじゃの』

 慎一郎と視覚を共有しているメリュジーヌも太鼓判を押した。


 ヴァースキの様子を確認した一行は、そのまま大広間の外周沿いに移動していった。問題ないとは言え、あの強大な破壊神ともいうべき存在に近づきたいとは思わない。知らず知らずのうちに一行の足も速まっていた。




 大広間の外周沿いに移動しながら少し歩くと、木々の間になぎ倒された木片と、その間にひっそりと建つテントが見えてきた。剣術部の部室だ。


 かつては木でできたもう少ししっかりした作りだったのだが、その部員のほとんどが死亡、あるいは重軽傷を負ってしまった剣術部にそこまでの余力は残されていないのだ。この部室は地上から持ち込まれたテントを中心に、ほとんど廃材に近い木材やトタンなどで拡張した簡単な造りになっている。


 慎一郎などはいつまでもこんな所に部室を構えていないで校舎に戻ってくれば良いと思っていた。実際、親友の徹も同じように考えていたはずで、そのために剣術部に言っているはずなのだが、ここ数週間はすっかり疎遠になるどころか、今も徹とは連絡も付かない。


 昨日と同じように一校の最後尾を歩いていた慎一郎は、そこまで歩いたところでふと足を止め、右前方に見える布と木とトタンでできた部室を見た。


「…………? どうしたのですか?」

 前を歩いていた楓が立ち止まった慎一郎に気がついて、気遣わしげに声をかけてきた。

「…………いや、何でもない」

 そう言ってから、慎一郎はかぶりを振って前言を翻した。


「いや、ちょっと剣術部の部室に行ってくるよ。徹がいるかもしれないし、挨拶してくる」

「なら、私たちも!」

「いや、今井さん達は先にほこらに行って作業をしていてくれ、すぐに行くから」

「でも……」

「それにほら、コボルト達にいつまでも持たせておくわけにも行かないだろう?」

 そう言うと楓はコボルト達の方を見た。確かに、小さなほこらではあるが、コボルト達もまた小さいので、これをずっと持たせたままにしておくのも気がひけた。


「……そうですね。では、あとはお願いします」

 楓はぺこりと頭を下げて戦闘で待っていたゴンに「行きましょう」と告げ、歩き出した。

 それを見て慎一郎は剣術部の方へ歩き出そうとしたとき、後ろから声をかけられた。


「気をつけてね」

 振り返ると、結希奈が心配そうな表情でこちらを見ていた。

「大丈夫だって。徹に会いに行くだけだよ」

「そ、そうだね。あたし、何で心配してるんだろ」

 結希奈はあははと笑いながら前を歩く一行の方へと走っていった。


「……さて、俺も行くか」

 慎一郎も止めていた足を再び動き出した。常に共にあるメリュジーヌは何も言わなかった。

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