木から落ちた猿6
「ここは……」
そこは教室よりも一回りほど大きな部屋だった。
壁に取り付けられた幾本ものたいまつが煌々と部屋の中を照らし、他の部屋とは異なりきれいに整えられている。剥落した壁も崩落した岩もない。部屋の中央には赤いカーペットが敷かれており、その先には背もたれの高い豪奢な椅子が置かれている。
「玉座……みたいだけど……」
こよりの言うとおり、そこは玉座であった。
しかし一般的に想像できる玉座とは決定的に異なる部分があった。
そこに座る主と、そこにかしずく臣下たちの存在である。ここには慎一郎たち以外の誰もいないのだ。
「……! あそこ!」
結希奈が部屋の隅の方を指さした。そこには薄汚れた、この部屋にはそぐわないぼろ布――カーテンがかけられていた。時折風が吹いてカーテンがひらりとめくれ上がると、その奥に通路がみえる。
『臭いな。何かの罠かもしれぬ。十分に気をつけよ』
「ああ」
一行はゴーレムを先頭に、その通路へと入っていった。
男子高校生としては平均的な体格である慎一郎が屈んでやって通れるようなやっと通れるような天井の低い通路だ。その中は玉座の間とはうってかわって薄暗かった。それだけではない。そこは岩肌もむき出して、まるでつい最近新しく掘ったような様相だ。
「うーん……『まるで』じゃないかもしれないわよ」
結希奈が耳を澄ました。それに遅れて全員が足を止めて耳を澄ます。
何か硬いものが硬いものに当たっている音が聞こえた。
一行は左右に曲がりくねる通路に沿ってさらに奥へと進んでいく。
十メートルも進んだだろうか、先頭を歩く慎一郎が突然足を止めた。おかげですぐ後ろを歩いていた結希奈が彼の背中に顔をぶつけてしまう。
「いたっ! なんで突然止まるのよ!」
しかし、その抗議はすぐにフェードアウトした。慎一郎の前に壁を作るように三匹の猿のモンスターが並んで毛を逆立てていたからだ。
「こんな所で……!」
慎一郎が腰の剣に手をかけた。しかし、屈まなければ進めないようなこの狭い通路で剣は振り回せない。慎一郎が舌打ちをする。
『待て。こやつら、“申”の眷属じゃ。話が通じるかもしれん』
「そうか。なら……!」
慎一郎が腰の剣にかけていた手を離し、手のひらをサルにみせた。そして膝をついてサルのモンスターに話しかける。
「待ってくれ。おれ達は敵じゃない。お前たちの主人を――松阪さんを助けに来たんだ」
いつの間にか眠っていた。目の周りが少し引きつっているのを感じた。
瑠璃は血の付いたままの手で顔を拭った。乾きかけの血が顔にべったりと付くが気にもしない。
希望などなかった。もう一度分身を送り込む気にはとてもなれなかった。
もうどうでもいい。その一言に尽きる。このまま誰にも助けられず、干からびて死んでしまえばいい。
そう考えるとこの無駄に丈夫な身体が恨めしくなった。生き埋めになって三週間。一滴の水も飲んでいない。普通の人間ならとっくに死んでいる。
瑠璃は何の想いもなくただ天井を見ていた。
かつてはきれいに整えられ、地上で買ったお気に入りのシャンデリアが部屋を明るく照らしていたが、今瑠璃に見えるのは醜く崩れ落ちた岩肌が見えるだけだ。
あのシャンデリアもどこかの岩の下敷きになっているのだろう。いっそのこと自分も同じように潰してくれればいいのにと思った。
その願いが通じたのだろうか、頭上の岩が動いたような気がした。暗闇でもものがよく見える目だが、さすがに何の明かりもないこの暗さでははっきりとは見えない。
気のせいか……。と思ったところで瑠璃の顔にぱらぱらと砂が落ちてきた。
驚き、目を見開いたらそこに砂が落ちてきて思わず目を拭った。
その瞬間である。瑠璃の真上、天井をかろうじて支えている岩が砕け散った。
「ひっ……!」
息を呑み、動かない下半身を軸に上半身だけを動かせるだけ動かしてその場から逃げる。
しかし、砕け散った岩は不思議なことに下までは落ちてこなかった。部屋の中ほどで止まり、その代わりに砕けて空いた天井の穴からさらに大きな岩が落ちてくる。
今度こそ終わりだと思った。せめて最後の瞬間くらいはしっかり目に焼き付けておこうとその大きな目を見開いた。
だから見えた。それは大きな岩ではなく、扁平型のゴーレムだったということを。
ゴーレムはずしんという鈍い音を立てて、瑠璃の傍ら――先ほどまで瑠璃の頭のあったところだ――に着地した。
瑠璃が呆気にとられていると、ゴーレムの腕からひとつの影が降りてきた。影は瑠璃の所までやってくると、かがんで声をかけてきた。
「松阪さん……?」
「だ、ダーリン……?」
慎一郎だった。慎一郎が変な形のゴーレムに乗って助けに来てくれたのだ。
「松阪さんの無事を確認した!」
「わかったわ! もしもし……十八番ちゃん……?」
慎一郎の呼びかけで結希奈が穴の上で待機する“申”の眷属のリーダー格、十八番に〈念話〉をかけた。
「ダーリン? ダーリン……。ダリーン、ダーリン! だーりぃぃぃぃぃぃぃん……!!」
感極まった瑠璃が慎一郎に飛びつこうとした。だが瑠璃の下半身は崩れた岩の下敷きになって動かないので瑠璃は無様に床とキスをした。
「ぶべっ!」
その後、瑠璃の下半身はこよりがゴーレムの技術を利用してどかし、瑠璃の身体は三週間ぶりに自由を取り戻した。
「ダーリン!」
今度こそと慎一郎に抱きつこうとする瑠璃。しかし、頭上に開けた穴からの新たな闖入者によってそれは阻止された。
「マスター!」「マスター!」「マスター!」
穴から次々と降ってくる北高の冬服を着たサル耳の女子生徒達。彼女たちはいやし系白魔法同好会の部員であり、玉座の間の奥で通路を掘っていた瑠璃の眷属たちだった。
「うわっぷ!」
次々と抱きついてくる眷属たちの下敷きになってもみくちゃにされる瑠璃。
「て、てめえら……!?」
「彼女たちがこの真上まで通じる穴を掘ってくれたんだ」
玉座の間から繋がる通路で眷属たちと会った慎一郎たちは、すぐそこまで開通していたトンネルの最後の手伝いをしただけだ。瑠璃の感謝の気持ちを受け取るのは彼女たちだろう。
「おい、や、やめろ! うわ、どこ触ってんだ! や、やめ……!」
眷属たちの間から見え隠れする瑠璃の表情は、言葉とは裏腹に満面の笑顔に染まっていた。
瑠璃はその後、生き残りの眷属とともに地上のいやし系白魔法同好会の部室に移動し、そこで衰弱と怪我の静養を行うことになった。校内では彼女の眷属たる女子生徒達がかいがいしく世話をして校内を駆け回る姿を見かけるようになる。
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