木から落ちた猿4

                      聖歴2026年10月26日(月)


 今日も無事に朝を迎えることができた。人よりも頑丈にできている自分の身体に感謝すべきか、それとも忌むべきか。


 明かりひとつない暗闇だ。しかし人と魔獣のハーフである彼女にとってそれは視覚を奪われるということにはならない。

 試しに身体を動かしてみる。しかし昨日と変わらず左右の腕は動くものの足は全く動かせない。


 あの日、“いやし系白魔法同好会”の活動中に引き裂かれるような身体の痛みを感じた松阪瑠璃まつさかるりはそのまま一人で自宅でもある“さる”のほこらへと帰還した。戻ったはいいものの、あまりの身体の痛みに意識を失っているとさらに激しい痛みで意識が覚醒した。


 瑠璃が知るよしもないが、それはヴァースキが現れたときに起こった衝撃によって瑠璃が暮らしていた石の砦が崩壊した瞬間だった。


 その時からずっとこの状態である。石造りだった彼女の自宅は完全に崩壊し、それがあだとなり、巨大な石柱が彼女の足の上に覆い被さって全く動くことができない。

 幸いにして、足先の感覚はあるから潰れてはいないようだ。身体のあちこちに切り傷や骨折などが見られたが、回復魔法で少しずつ治した。


 しかしそれだけだ。この場所に縫い付けられてから三週間経つが状況は一向に変わらない。いや、いつ崩れるかわからないこの石造りの空間を思えば状況は刻一刻と悪くなっていると考えていいだろう。


 眷属はいない。彼女がほこらに戻ってきた時点でほこら周辺の眷属は全て死んでいたし、地上に残してきた眷属たちにここに戻る術はない。


 助けは呼んでいる。〈竜王部〉の浅村慎一郎に呼びかけているのだが、今のところ彼が来る気配はない。それも仕方がない。彼女の呼びかけはもともと彼の身体を乗っ取るためにシンクロさせていた魔法で、瑠璃の言葉を直接伝えられるたぐいのものではないからだ。〈念話番号〉の交換をしていなかったのが悔やまれる。


「くそっ!」

 この日何度目かわからない悪態をつき、自分の上に覆い被さっている石を叩いた。しかし非力な瑠璃が殴った程度で石の柱が動くはずもなく、ただ手が痛いだけだ。


「あたし、このまま死ぬのかなぁ。まあ、それもいいか……」

 半ば捨て鉢になった時、皮肉にもひとつのアイデアを思いついた。うまく行くかどうかはわからないが、やってみる価値はある。


「いっ!」

 瑠璃は自分の髪を一本抜いて、ふっと息で飛ばした。

 髪は息に乗るとそのままふわりと飛んでいき、地面に落ちる前に小さな煙に包まれた。


 その煙がおさまると、中から親指大の大きさの人形が現れた。その姿は瑠璃のそれをそのまま小さくデフォルメしたような形状である。

 瑠璃が口の中で呪文をつぶやいて念を込めると、人形がぴくりと動いた。と同時に瑠璃の身体から力が抜ける。瑠璃の意識が人形に移ったのだ。


 分身の術――。瑠璃の父親である斉天大聖が得意としていた術に、瑠璃が独自のアレンジを施したものだ。


 人形は手足を大きく動かし、身体をひねり、前後に動かし、ぴょんぴょんと二度ほど軽くジャンプをして異常がないかを確かめた。問題なし。

「あいつの術ってのが気に入らないけど……。まいっか」


 人形――瑠璃はその場で首をぐるりと回して辺りを見回した。

 そこは瑠璃が生活をする彼女の部屋だったはずなのだが、今では完全に崩落して砦を形成していた石の塊がうずたかく積み上がっている。そこに彼女が安らぎを得ていた明るくて暖かい自室の面影は全く残っていない。北高の封印前からこつこつと買い集めていたお気に入りの生活用品やぬいぐるみなどのものも瓦礫の下に潰されている。


 瑠璃はぐったりとなっている自分の身体を見た。下半身が大きな柱にがっちりと固定されていて抜け出すことができなくなっているものの、部屋の中に置いてあった数々のもののようによく潰れなかったとは思う。

 さしもの〈守護聖獣〉といえど、これらの石の塊に押しつぶされて無事では済むまい。


 そんな惨状の室内に、小さな隙間を見つけた。こぶし大ほどの小さな隙間だが、親指大の大きさになっている瑠璃には十分な大きさだ。

 隙間の奥から空気が流れてきているのを感じる。ここを辿っていけば外に出られるかもしれない。

 人形は小さな手足を崩れた瓦礫に引っかけ、隙間に入っていった。




 瓦礫をかき分け、隙間の中を数メートル進んだ。数メートルといえど、この身体である。一時間近くの時間を費やした大冒険である。

 その甲斐もあって瓦礫の山から何とか抜け出すことができた。


 そこはもともと大きな通路として使っていた場所だ。〈竜王部〉の浅村慎一郎たちを迎えた場所でもある。

 等間隔に燭台が並んでいて丁寧に石が積み上げられていた通路は今では見る影もない。壁や天井に張り付けた石は全て崩れ落ち、ところどころ大きな岩が崩落して通路を塞いでいる。

 そのせいで近くにある水脈から水が漏れているのだろうか、ぴちょん、ぴちょんと水滴が落ちる音が不気味に聞こえている。


 瑠璃は小高い山にも見える大きな岩の脇を通り抜け、落ちてきた水滴が流れ出してできた小川を渡り、砦の入り口があると思われる方向へ向かって歩いて行く。


 トコトコトコトコと短い足を一生懸命動かしながら前に進んでいく。進めど進めど前に進まない。身体が小さいのだから仕方がないのだが、あまりに歩みが遅いので瑠璃はイライラしてきた。

 そのせいではないだろうが、迫り来る危機に気がつくのが遅れた。


「ちっ……」

 足を止めた瑠璃が顔をしかめて舌打ちをした。

 それを合図とするかのように親指サイズの瑠璃の周りに影が現れる。


 二本足のは、人形を取り囲むように回り込んできた。


「ニワトリ風情が……。人の家の中を我が物顔で歩いてんじゃねーぞ」

 普段であれば“申”の〈守護聖獣〉である瑠璃にとってニワトリのモンスターなど取るに足らないあいてだ。“酉”の〈守護聖獣〉であるコカトリスならばともかく、この眷属たちはおそるべき石化の能力も持っていない。


 しかし今の瑠璃は親指ほどの大きさしかない。パワーもスピードもなければ、魔法もほとんど使えない。この親指大の人形にとって、彼女を取り囲む敵は巨大なコカトリスにも匹敵する強敵であると言えた。


 ――コケ――――――――ッ!


 瑠璃を取り囲むニワトリたちの中でも比較的大きな一体――群れのリーダーなのだろう――が鳴き声を上げると、ニワトリたちが一斉に瑠璃に襲いかかってきた。


「舐めるな!」

 三百六十度の方向から無秩序に襲いかかってくるニワトリたちの攻撃を瑠璃は冷静にさばく。

 相手の攻撃は早く、前後左右から飛んでくるが動きは単調だ。瑠璃はうまく攻撃を誘ってニワトリの同士討ちを誘った。


 ――コケー! コケケー!!


 同士討ちをしたニワトリどうしでいさかいを起こしている。目論見通りだ。


 ――ケケー!


 さらに襲いかかるニワトリのクチバシをひょいとかわし、ニワトリの首を支点にぐるりと回りながらジャンプ。デフォルメされた人形はひらりと軽やかにニワトリの背にまたがった。


「そら、走れ!」

 ――コケー!!


 瑠璃がニワトリの尾に生えている毛を一本抜くと、ニワトリは大きな叫び声を上げて羽を羽ばたかせながら猛スピードで走り始めた。


「ははははは! いけー!」

 走るニワトリの背にまたがる瑠璃は上機嫌でニワトリの毛を次々抜いていく。そのたびにニワトリは叫び、速度を上げて走っていく。


 ニワトリの群れを十分に引き離し、追っ手がないことを確認してから瑠璃はひらりとニワトリの背から飛び降りた。飛び降り間際にもう一本毛を抜いてニワトリの注意がこちらに向かないようにもしておいた。


「よし……」

 瑠璃は飛び降りたところにある壁に目を向けた。そこは、砦の入り口に通じる上り階段だ。ちょっとした隠し通路になっていて、瑠璃以外の眷属にも知らせていない通路のひとつである。


「今日のおやつはイチゴのクレープ」

 瑠璃が合い言葉を壁の前で言うと、軽い振動とともに壁の一部が開いた。隠し扉の仕組みは壊れずに動いてくれた。


 幸いなことに、上り階段は崩落することなく、階段の機能をそのまま残している。しかし、そこは大きな問題を抱えていた。


「…………まいったな」


 瑠璃が階段を見上げた。親指サイズの彼女にとって、階段の一段一段は断崖絶壁だ。それが果てしなく暗闇の奥へ続いている。

 しかしやるしかない。瑠璃は覚悟を決めて岩山を登るように階段に手をかけ、登り始めた。




 何時間登っただろうか。この身体は魔術で動いているので精神力の消費はあれど、肉体的な疲労を感じないのは幸いだ。

 後ろを振り向くと、延々と今上ってきた階段が続いている。しかしこれから登る高さはこれより遥かに高い。


 だがその壁を前にして瑠璃はため息をついていた。

「どうすんのよ、これ……」

 瑠璃の前に広がる大きな裂け目――階段の一部が崩れて大きなクレバスになっていた。


 裂け目の幅は一メートルもない。しかし今の瑠璃にとってはジャンプして飛び越えられるかどうかといった距離だ。


 下をのぞき込む。もともと真っ暗な通路だったが、裂け目の奥はさらに暗くて下が見えない。

 瑠璃に引き下がるという選択肢はなかった。他に道はないし、諦めたらそれは瓦礫の中での孤独な死を意味する。


「やるしかないか」

 両手で頬を叩く。ぱぁんという乾いた音が他に音のない階段に響き渡る。

 前の段ぎりぎりまで下がり、勢いよく助走をつけて大ジャンプ……!


(いける……!)

 ぎりぎり向こう岸に手が届く距離だ。瑠璃は大きく手を伸ばして向こう岸をつかむ。


 しかし――


「なっ……!」

 掴んだ階段の先が無常にも剥がれ落ち、分身の小さな身体はクレバスの奥に真っ逆さまに落ちていく。


 落下の瞬間、一瞬意識が途切れたような気がした。実際には意識が途切れたのではなく、人形との接続が切れかかったのだ。幾度にも及ぶ衝撃によって瑠璃と分身の間の魔術的な接続が切れかかっているのかもしれない。


 しかしそれでも瑠璃は諦めなかった。落ちたのは数メートルだろうか、垂直に切り立つ裂け目の壁をまた一歩ずつ這い上がり、何時間もかけてクレバスを登り切った。

 そのままの勢いでさらに階段を上り、ようやく最上段まで登り切った。その奥の通路も激しく崩れているが、それを乗り越えれば砦の外に出られる場所だ。


「あと、ちょっと……」

 砦の外に出てもそこは地下迷宮のかなり奥の方で、外に出られるわけではないが、それでもひとつのマイルストーンとして瑠璃に希望を持たせてくれた。


「よし……」

 小さな足を動かし、トコトコと歩いたときだった。


 何か大きなものが落ちた音と激しい衝撃を感じたかと思うと、突然接続が切れた。


「……………………」

 呆気にとられたが、すぐに我を取り戻して接続を回復しようとする。しかし、いくらやっても分身との接続は戻らない。


「な、なんでよ……」

 運悪く分身の真上に大きな石が崩落してきたのだろう。分身の存在をもう感じることができない。


「くそ! くそ! くそ! くそ!」

 崩れた自室で下半身を挟まれたままの自分に戻ってしまった瑠璃は、腹立ち紛れにその場で床をたたきつけた。力任せに石造りの床を叩くと拳から血が出て、激しい痛みを感じるが、それでも構わず床を叩き続ける。


 無音の暗闇にドスッ、ドスッという石を殴る音だけが響く。

 やがて、その音もしなくなった。かわりに瑠璃のすすり泣くような声。


「う、うぅぅぅ……なんで、なんでよ……」

 血で真っ赤に染まった両手を顔に当てる。その間からはひっきりなしに血ではない透明の液体が流れ出した。


「助けて……助けてよ……。お願い、あたしをここから出して……。ダーリン……」

 しかしその声は闇に吸い込まれたまま、誰の耳にも届かなかった。

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