竜王部再始動5

 見た目はともかく、“辰”と“巳”のほこらの魔術的な応急処置を何とか終わらせた巽が高橋家の中にある自室でお茶を飲んでいるとき、結希奈からの連絡があった。


 曰く、思ったよりもほこらの再建が順調に進んでいるので、園芸部の山川碧を連れてきて欲しいとのことだった。

 山川碧はひょんなことから〈守護聖獣〉の一体である“卯”の〈守護聖獣〉に眷属を託された女子生徒だ。


 今では多くの“卯”の眷属たちが葵の手伝いに地上で活動しているが、少なくない数の眷属が地下に残り、今でも“卯”のほこらを守っている。

 そうしたウサギたちの守りを抜けて“卯”のほこらまで行く必要があるのだが、結希奈たちとしては無意味な戦いをしなくても話で場所を空けてもらえればそれに越したことはないと碧を連れてくることにしたのである。


 山川碧と、双子の妹の翠のことはよく知っている。〈竜海神社〉が何者かに封じられて外に出られなくなった生徒で、今は巽とともに高橋家に居候している。碧はおっとりしていて心優しい、好感の持てる少女だった。


「よいしょ、よいしょ」

 巽が小さな身体で高橋家の階段を一歩一歩慎重に降りていく。それを誰かが見ていたら非常に危なっかしく感じられただろう。


 今、巽が使っているのは“巳”の〈守護聖獣〉の身体だ。それは今まで使っていた“辰”の〈守護聖獣〉の身体に比べてずいぶん小さい。それが何をもたらしているかというと――


「うんしょ、よいしょ……うわぁぁっ……!」

 大きな音を立てて階段から落ちてしまった。幸い、下まで残り数段というところだったのでたいしたことはなかったのだが、階下から見上げていた黒猫がそれに驚いて慌てて逃げていった。


「あいたたた……。このからだは どうにも なれません」

 そう。身体が小さくなったことによって今まで当たり前にできていたことができなくなってしまったのだ。


 特にこの階段などは巽にとって最大の難関と言えるかもしれない。古い高橋家の階段は一段一段が高く、彼女の膝近くまである。当然一気に降りることはできず、一段一段ゆっくり降りるしかない。

 にもかかわらず、この有様だ。


「はじめて ひとのからだに なったときも、こんなに くろうは しませんでした」

 ドラゴンとして生を受けた彼女がその本体を竜石と呼ばれる石に封じ、竜人となったときはこれ以上に身体が大きく変化したが、ここまでは苦労しなかった。それは人間社会の構造が人間の大人サイズに作られていたからだ。


 今彼女の身長はおよそ百三十八センチ。女性としては長身だったこれまでと比べると三十センチ近く小さくなっている。それに加えて筋力も下がり、魔力などはほとんどないに等しい状態にまで落ち込んでいた。

 それでも、まだ生きているだけありがたいと思う。あの、命をなげうってヴァースキの石化をアシストしてくれた青年――森斉彬のためにもこの命は無駄にはできない。


 同じくずいぶん小さくなった草履を履いて今までは腰の高さに合った引手で玄関を開けて巽は与えられたお使いをこなすべく、森の中へと入っていった。




「えんげいぶ、えんげいぶ……」

 これまでであれば十五分もあればたどり着くことができた森の向こうの北高にたっぷり四十五分もかけてたどり着いた巽は、特別教室棟にあるという、園芸部の部室を探していた。

 もちろん、山川碧を探すためである。


 これまでであれば“卯”の〈守護聖獣〉の代理を探すことなど、どうということはなかったのだが、今の巽ははっきり言って無能である。気配を頼りに探すことはできず、人に頼るしかない。


 そういう訳なので、巽は手近な教室の扉を開けた。

 しかし、それが不運の始まりだった。その教室には『被服室』の札がかけられていたのだ。


「あのぅ、すみません」

 教室の扉を開け、舌足らずな語り口で山川碧の居場所を聞こうとする。


「えんげいぶの、やまか――」

「きゃーっ! 何この子!? かわいい……!」

「ホントだ。どこから迷い込んできたの? ねえ、お名前は?」

「ああん……食べちゃいたい……!」

「いや、その……わたしは……」

「いやーん、あたふたした仕草もかわいい……!」


 巽の声はその部屋にいた被服部の部員のお姉さん達――本当は巽の方が何百歳も年上だがそう言って差し支えないだろう――に取り囲まれ、さらには抱きつかれてもみくちゃにされてしまった。


「あの、わたしは……むぎゅ……はうぅ、は、はなしてくださいー!」

 抵抗むなしく巽はお姉さん達の海に沈んでいった――




「ひどいめにあいました……」


 数十分後、ようやく被服部から解放された巽はげっそりと疲れ果てていた。

 被服部は演劇部と家庭科部の一部が中心になって作られた部で、その名の通り北高での服飾事情を一手に引き受けている。


 そんな部だから裁縫好きが揃っているわけだが、普段は破損した制服の修繕だったり、破れたジャージを何着か組み合わせて新しいジャージを作ったりとか、そんな地味な仕事ばかりだった。


 そこに現れたのが美幼女ともいえる巽の登場だ。


 まるで蜘蛛の巣に絡められた蝶のように被服部に絡め取られた巽は、彼女たちによって一瞬で着せ替え人形にさせられてしまったのだ。

 ドレスやセーラー服、メイド服……。巽はなすがまま、あらゆる趣味の服を着せられては脱がされ、そのたびにお姉さん達の黄色い声が巻き起こり、それは服のストックが尽きるまで続いたのだ。


「いつでも来てねー!」

 お姉さん達の見送りを背に受けて被服部を後にした。もう二度とこの部屋には近寄らないと心に誓った。


「あ……。あおいさんのことをきくのを、わすれていました……」

 巽はため息をついた。もうあの被服部に戻る気にはなれないが、園芸部の部室がどこにあるかわからない。


 仕方がないので、被服部の隣の部屋に入っていった。


 巽は竜人ではあったが長い間〈竜海神社〉の中にこもって暮らしていたために人間社会には不慣れであった。

 有り体に言えば、世間知らずであった。


 今の自分の姿が人間――特に女子高校生達にどう見られるかということにあまりに無頓着であった。

 結論から言えば、訪れるどの部室でも被服部とほぼ同じような扱いを受けた。どこでも動く人形扱いだ。


 ある部では何故か絵のモデルにさせられたし、別の部ではやたらジュースを飲まされた。お菓子ばかり出されたこともある。


 その中には高橋家で寝起きする女子生徒も多く見られたが、誰ひとりとして巽に気がつかなかった。小さくなってからは二つのほこらの修復に忙しく、ほとんど生徒達の前に顔を出さなかったせいで、この幼い少女があの凜々しい〈竜海神社〉の巫女であると誰も気がつかなかったのである。


 しかし、収獲はあった。

 やたら食事をさせられた部――お菓子の部とは別の部である――に山川碧の双子の妹、山川翠がいたのである。


「碧? ああ、今の時間なら部室じゃなくて農場にいるんじゃないかな? ほら、昔校庭だったトコ」


 それを聞いた瞬間、巽は座らされていたお子様用の椅子――何故そんなものが高校の部室にあるのかは不明である――から飛び降り、子供らしからぬ速度で家庭科部の部室から飛び出ていった。


「行っちゃった……。ところであの子、誰?」

 翠の質問に答えられる者はその教室の中には誰もいなかった。




「やまかわさーん! やまかわあおいさーん!」


 脇目も振らず本校舎前の畑に飛び込んだ巽は何の手がかりもないままただ我武者羅に畑の中を駆け回って碧を探した。竜人時代なら空も飛べるし人間一人、ましてや〈守護聖獣〉の気配などすぐに探し当てられるのだが、今の巽にはそんなこと望むべくもない。


 当てもなく自分の背丈よりも遥かに高い収穫前の作物の中を駆け回っていると、前方の作物が揺れたような気がした。


「やまかわ……さん……?」

 作物をかき分けてそちらの方へと向かう巽。しかし数歩歩いたところでその足はぴたりと止まった。右も左も――あらゆる方向からがさごそと作物が揺れる音がしたからだ。


 これは決して作物が風に揺られている音ではない。

 今の巽は無力だ。ドラゴンの姿になることも、強力な魔法を行使することも、“寅”を倒した華麗な剣技を繰り出すことも、神事で度々披露した弓の技を披露することもできない。


 つつ、と巽の額に汗が滴る。


 次の瞬間、十体にも及ぼうという白い影が一斉に巽に襲いかかった!

「うわっ……! こ、この……! やめなさい……! ああっ……!」

 次々飛びかかるに巽はなすすべもなく、組み伏せられてしまった。手足を動かそうにも今の非力な巽にはこの小さなウサギ達を振り払うことすらできない。


「はうっ、やめっ……はぁっ……!」

 口の中にまで入ってくるウサギに抵抗することも諦め、なすがままにされていると、さらに何者かがやってくる音が聞こえてきた。


 これ以上何者かに襲われたら、どうしようもない……。

 巽が最悪の事態を覚悟したとき、そのは現れた。


「畑泥棒って報告があったけど……あら?」

「やまかわ……あおい……さん……」

「誰? ……って、巽さん!?」


 尋ね人は幸い(?)にも今の巽を見て巽だと気づいてくれた二人目の人物となってくれた。園芸部部長にしてウサギたちの主、山川碧だ。




「翠ちゃんから小さな女の子が探してたって〈念話〉もらったけど、巽さんだったとはびっくりだわ」


 碧の一言でウサギからの拘束を解かれた巽は、結希奈からの伝言を碧に伝えた。碧は二つ返事で了承してくれて、その後地下迷宮の入り口で結希奈たちと合流して地下へと潜っていった。

 この日、夜までに“子”、“丑”、“寅”、“卯”と“辰”、“巳”のほこらを封印し、ほこらの再封印は順調に進んでいた。


 しかし、巽は気づいてしまった。驚愕の事実に。


「わたしにたのまずとも、ちょくせつ あおいさんに〈ねんわ〉すれば よかったのでは ありませんか?」

「あっ……!」


 その日の夜、帰ってきた結希奈にそのことを指摘すると、結希奈はそそくさと自分の部屋に帰っていったのだった。

 それ以来、巽は高橋家で寝食をともにする人たちとよく交流することにした。動く人形扱いはしばらく変わらなかったが……。

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