竜王部再始動3

 部室棟脇の入り口から地下へと下る。


 そこはヴァースキによって一度は完全に破壊されたが、ひとまず応急処置として瓦礫が撤去され、最低限上り下りができるように縄ばしごが設置されていた。

 縄ばしごを下りると地下とは思えない広い空間が広がっている。


 四百メートルトラックという、他にはちょっと見られない広さを誇る北高の校庭よりもなお広いその空間は、徹達が地下迷宮と呼んでいる、北高の地下全体に広がっている地下組織の一部分に過ぎない。


 その隅、かつて“戌”のほこらがあった洞窟の近くに剣術部の部室がある。

 いや、あった、というべきだろうか――


 地下であるにもかかわらず、豊富な水と外から差し込む光によって青々と茂っていた木々は一本も残っていない。ほとんどは暗黒竜のブレスによって根元から腐れ落ち、数少ない残った木も当のドラゴンによってなぎ倒されていたのだ。


 それはその奥にある剣術部部室も同様だ。


 かつては周りの木々を使ってきれいに整備されていた丸太造りの部室は今やその痕跡も残さず、腐ったその残骸だけが山積みされている。

 徹はその残骸を横目に進んでいく。


 その途中、一人で黙々と瓦礫を片付ける女子生徒がいた。

 北高のものとは異なる制服姿。あの日、北高に対外試合に来ていて封印騒ぎに巻き込まれた港髙女子の制服だ。


「木村さん」

「あら、徹くん。こんにちは」

 木村と呼ばれた女子生徒が作業の手を止めてにっこり笑う。


「もう大丈夫なの? 上の方もいろいろ大変でしょう」

「ああ。でも大丈夫。だいぶ落ち着いてきたから、こっちを手伝おうかと」

 それを聞いて木村はぽん、と手を叩き、嬉しそうに笑った。


「まあ、それは助かるわ。人手が足りなくて、片付けもちっとも進まないところだったのよ。それに、秋山さんも喜ぶだろうし」

 木村は手に持っていた瓦礫を山に戻し、「さあさあ、いらっしゃい」と上機嫌で徹を案内する。


 完全に破壊された部室に変わり、生き残った剣術部員達は大広間の南西の隅、石化したヴァースキから最も離れた場所にその拠点を築いていた。


 木村とともに歩いて行くと、少し盛り上がって丘のようになった部分の向こう側に白いテントが見えてきた。

 体育祭などで使用されるパイプと布を組み合わせて作るタイプのテントを地上から持ち込んだのだ。今の剣術部にかつてのように木々を切り倒して木造の部室を作るだけの余力は残されていない。もっとも、材料となる木もほとんど残されていないわけだが。


「入って」

 木村の案内で徹はテントに吊り下げられているカーテンをくぐった。プライバシーを守るのがこのカーテンだけなのは厳しいなと徹は素直な感想を持った。


「うっ……!」

 思わずうめき声を漏らした。中に入った瞬間、むせかえるような血と汗とその他体臭などが混ざった強烈な臭いが押し寄せてきたからだ。


 それほど広くはないテントの中は、体育倉庫から持ってきたのだろうか、体操のマットの上に数人の男子生徒が横たえられている。

 いずれも身体のどこかに包帯を巻いて、粘っこい汗を流して苦しそうに眠っていた。

 プライバシーどころの騒ぎではない。彼らには寝返りを打つほどのスペースも用意されていないのだ。


「ごめんね。酷い有様でしょう? でも、どうにもならないの。人手が足りなくて……」

 木村が申し訳なさそうに言った。徹は激しく反発を覚えた。人手が足りないなら地上うえの生徒達に助けを求めればいいじゃないか。

 しかし、そうもいかないことも徹は痛いほどよくわかった。表面上は和解したとしても、剣術部と他の生徒達の間にはまだわだかまりがある。そのうえ、自分たちの出し物の最中にあの惨劇は起きたのだ。弱っている姿を見せたくないという気持ちは理解できた。


 しかし、それでも――


 歯を強く噛みしめた。自分の置かれた立場、ふがいなさ。自分が心底情けなくなる。


「こっちよ」

 横たわる生徒達を跨ぐようにして木村が徹を案内した。テントの奥にはさらにカーテンで仕切られた領域があり、木村はそこをめくって奥のパーティションへと入っていく。


「秋山さん、お客様よ」

 木村がカーテンの向こうから徹に入るよう促してくる。

 徹は誘われるままカーテンをくぐって中へ入った。入れ替わりに木村はテントの外へ出て行った。外の片付けの続きをするのだろう。




「やあ、坊ちゃんじゃないか」

「雅治さん……」

 力なく微笑んだ秋山に徹は暗澹たる気持ちになった。


 今や剣術部でただひとりの部長となった秋山雅治は、さすがに他の生徒達と雑魚寝というわけにも行かなかったのか、カーテンで区切られた領域が用意されていた。

 といってもほんの一畳ほどのスペースしかなく、広さ的には他の生徒とほとんど変わりない。


 その専用スペースに用意された椅子に浅く腰掛けている秋山は、徹に力なく手を挙げた。膝には毛布が掛けられていてよくわからないが、“鬼”にやられた怪我によって歩くことができないという。


 現代白魔法とはいえ、万能ではない。白魔法は基本的に人間の持つ治癒力を加速させる魔術なので、人体の治癒力で回復できないものは白魔法でも治癒することはできない。


 最新の設備を使用した高度白魔法や高度錬金術であれば可能だが、外界と断絶されたこの北高では設備もないし、高校生に使える魔法でもなかった。

 つまり、秋山は外に出られるようになるまでこのままだということだ。


 しかし、徹が最も気になったのはそこではなかった。

「雅治さん……メシ、食ってないんだろ?」

 その一言に秋山の顔に浮かんでいた薄い笑みがスッと消えた。


「あいつらに体力、つけさせてやらないといけないからな」

 そう言ってカーテンの向こうを見る秋山の頬には深い影が落ちていた。


 かつて鍛えられた筋肉で全身を覆い、エネルギッシュに徹を引っ張り回していたあの幼なじみのお兄ちゃんの面影は微塵も感じられない。あのオーガとドラゴンが暴れた災厄の日からまだ数日も経っていないというのに。


 食べ物を食べていないだけではないだろう。強い自責の念と後悔が秋山の身体を蝕み、彼の肉体をわずか数日でここまで削ったのだ。


「わかった。なら俺が食料を調達してくる。〈竜王部〉の活動で稼いだ金もいくらかあるからな。それくらい……」


 しかし、その申し出に秋山は頭を力なく振った。

「大丈夫だ。坊ちゃんに迷惑はかけられない。今まで何とかしてきたんだ。これからも……」


「何言ってんだよ!」

 相手が怪我人だということも忘れ、徹が詰め寄った。


「他人かよ? 俺たち、そんな関係じゃないだろ! 迷惑? ああ、迷惑かけろってんだ! 今まで何とかしてきたって? 生き残りが全員怪我人で何とかできるのか? あ? 言ってみろよ!」

 徹のあまりの剣幕に秋山は驚いていたようだが、やがてふっ、と身体から力が抜けた。


「強くなったな、坊ちゃん」

「…………何言ってんだよ。俺は前から……強いんだよ」

 徹が顔を背けたのは弱った秋山の顔を見たくないわけではない。




「行方不明?」

 狭い部長専用スペースに向かい合って座る徹が聞き返した。


「いやだって、あのドラゴンにやられた奴の遺体は回収できなかったんだろ? それなのに行方不明ってどういうことだ?」


「あいつは――瑞樹みずきはその日の朝から姿が見えなかったんだ。もともと瑞樹と炭谷は文化祭の役目からは外されていて……あれ? 炭谷? 炭谷って誰だ?」


「そうか……なら、どこかに生きてるかもしれないってことだな! 良かった……。ああ、早く戻ってこいよ、何やってるんだよ瑞樹……!」

 北高剣術部の一年生マネージャーである岸瑞樹きしみずきは徹と秋山共通の知り合い――幼なじみだ。最悪の状況を予想していたが、どうやらそうではないことを聞いて徹は安堵した。


「なら、瑞樹のためにも早く元気にならないとな、雅治さん!」

「ああ、そうだな……」

 秋山が薄く笑った。ほんの数日前まではこんな笑い方をする男ではなかったと思うと、徹の胸中は複雑になる。


「じゃあ早速、食料を調達してくるよ。料理は木村さん達に任せればいいんだろ?」

 徹が椅子を立ち上がると、秋山がその手を引いて動きを制する。


「……? どうしたんだよ?」

「その前に、会ってもらいたいお方がいる」

 その瞳は先ほどまでとはうってかわって力が込められていた。痩せ細った顔に、そこだけはかつての秋山が戻ってきたかのような鋭い瞳だ。


「わ、わかったよ……」

 ちょうどその時、カーテンが開いて木村が顔を出した。


「いらっしゃいました」

「ありがとう。お通ししてくれ」

 木村に案内されてカーテンをくぐったその人物を見て、徹は目を見張った。


「どうしたあなたがここに……? いや……」

 徹が大きく頭を振った。その瞬間、徹の目つきが変わったのだが、それに気を止める人物はここにはいない。何故なら、そこにいる全員が同じ瞳をしていたからだ。


「そうだ。一度お会いしましたね。どうして忘れていたんだろう。でも、今ならはっきりと思い出せる……。今度こそ、あなたのもとで……」

 徹は跪き、その人物に深々と頭を下げた。

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