黄昏3
「ここは……?」
気がつくと、こよりは一面の花畑の上に立っていた。
赤、黄、白……。色とりどりの花々が雑多に咲いている。それはまるで、花の絨毯のように見渡す限り広がっている。
「きれい……」
こよりは嬉しくなって、辺りを見渡しながら歩き出した。素足が踏む土と草の感触が心地良い。
頭上を見上げると、雲ひとつない青空で、ぽかぽかとほどよい陽気があたりを照らしている。足元には色とりどりのちょうちょが待っており、どこから聞こえてくるのか、小鳥の声が耳を楽しませてくれる。
「どこかしら、ここ……?」
こよりは首をひねる。こんなきれいな花畑は見たことがない。しかし、この場所には来たことがある、そんな気がする。
「ひょっとして、天国だったりして。あはは、まさかね」
そんなことを思いながら花畑の散歩を楽しむ。
「ふんふふ~ん♪」
知らず知らずのうちに鼻声を歌っており、足取りも軽くスキップしていた。こんなに楽しい気持ちになったのはいつぶりだろう?
「すごくいい場所。斉彬くんにも教えてあげたいな」
と、つぶやいたところで足が止まった。
「そうだ、斉彬くん。斉彬くんはどこ……?」
辺りを見渡すが、斉彬はもちろん、人っ子一人見当たらない。
と、その時。
雲ひとつなかった青空がにわかに曇りだし、辺りが暗くなった。
いや、曇ったのではない。一瞬前まで青空だったそこは、青空どころか空ではなく、光も差し込まない岩の天井と化していた。
絨毯のように一面に敷き詰められていた花々はそこにはなく、代わりに茶色く枯れた草が辺りを覆っている。
無限に続くかと思われていたその花畑は不気味に黒く光る岩壁に覆われた大広間だった。
見覚えがある。ここは北高の地下迷宮。剣術部部室のある大広間。
伝説に出てくる“鬼”と戦い、ドラゴンのブレスから逃げ遅れた皆を守り、そして――
そして、最愛の人を失った場所。
「…………!」
気づけば、遙か向こう、大広間の奥に巨大な黒いドラゴンが立っていた。
間違いない、あのドラゴンだ。
そしてそのドラゴンの前に立ちはだかるひとつの影。
「斉彬くん……!!」
こよりは叫び、走り出した。もう失いたくない。今度こそは失敗しない。今度こそは。
しかし、走り出した瞬間、こよりの足が止まった。
彼女の肩を誰かが掴んだのだ。
「行くな」
「放して! 行かなきゃ! あの人を……斉彬くんを助けないと……!」
こよりは振り払おうとしたが、その腕はこよりの肩をがっちり掴んで放さない。
「行かせない。あいつは……オレはそれを望んでいない」
「いいから離して! 助けられないのなら、せめて斉彬くんと……!」
「ダメだ!! それだけは許さない! ここでこよりさんを守れなかったら、あいつの全てが無駄になる!」
「あなたに斉彬くんの何が……!!」
声の主に向き直ったこよりは息を呑んだ。
こよりの横に立ち、彼女の肩を掴んでいたのもまた斉彬だったからだ。
傍らに立つ斉彬はじっと正面を見渡している一方、もう一人の斉彬はドラゴンと対峙し、まるでこよりを守るかのように仁王立ちになっている。
「来いよ、クソトカゲ! こよりさんには指一本触れさせねえ!」
その言葉に反応したのか、漆黒のドラゴンは息を大きく吸った。胸が大きく膨らみ、黒く輝いている。その大きな口からは黒い霧が溢れ出している。
「ダメ! 逃げて!」
こよりが手を伸ばすが、斉彬には届かない。ドラゴンに対峙する斉彬は後ろを振り返って微笑んだ。
「大丈夫だ。こよりさんはオレが必ず守る」
ドラゴンが暗黒のブレスを吐き出した。全てを腐らせる死のブレスが斉彬を、そしてこよりを包み込む。
「…………っ!」
思わず顔を背けた。空気が動く音が全身を包み込む。しかし、思っていたような苦痛は感じられなかった。
ドラゴンのブレスはこよりの前方のある一点を境にして二つに分かれていた。大の字になって立ちはだかる斉彬の身体を中心に。
「こよりさんは……オレが……守る……!! うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!」
「やめて……! お願い……逃げて……」
駆け出そうにも手に載せられた腕のせいで一歩も踏み出すことができない。こよりは力なくくずおれて、手に顔を当ててさめざめと泣き出した。
「お願い……斉彬くん……。わたしが……守らないといけないのに……う、うぅぅぅぅ……」
「好きな女の子くらい、守らせてくれよ」
その優しい声は彼女の傍らに立つ斉彬から発せられたものだった。こよりが見上げると、そこにはこよりがよく知る優しげな
「でも、わたしが斉彬くんを守らなきゃいけないのに……。そのために
「でもさ、こよりさんが守らなきゃいけないのはオレだけじゃないだろ?」
「え……?」
いつの間にか漆黒のブレスに包まれた草原は消え、二人が初めて会った場所――〈竜王部〉の部室に二人は立っていた。結希奈や楓の私物、綾子の置いたお酒、テーブルの上に無造作に置かれたお菓子、黒板に描かれたフォーメーションや作戦の図柄、それにみんなの武器……。どれもこの半年で手に入れたかけがえのないものだ。
「みんなを……浅村、高橋、栗山、今井、外崎、そしてメリュジーヌ……。こよりさんの役目が“守ること”なら、みんなを守ってやってくれないかな」
「斉彬くん……」
「オレはもう……守れないからさ」
そう言って照れくさそうに笑う斉彬にこよりは思いっきり抱きついた。
「うん、わかった。もう誰にもこんな辛い気持ちは味わわせない。斉彬くんとの約束だから」
「頼んだぜ、こよりさん。……愛してる」
「……わたしも」
どちらともなく唇をあわせる。ぬくもりとともに大切な何かが流れ込んでくるような気がした。
斉彬の身体が少しずつ薄くなっていく。それでも力いっぱい抱きしめるのを止めない。
「いつか、必ず会いに行くから」
「ああ。六十年でも七十年でも待ってる」
「ふふふ。もうわたし、しわくちゃのおばあちゃんだね」
「おばあちゃんになったこよりさんもかわいいんだろうな」
「……ばか」
「後は頼んだ。仲間達を守ってやってくれ」
「任せて」
抱きしめていた身体の感触が消えるとともに世界全体も薄らいでく。まるで水の底から浮かび上がっていくような感覚を覚える。そして――
目を開ける。
ベッドも、シーツも、カーテンも、床も、天井も白で統一されている場所。そうか、ここは保健室のベッドの上か。
『目が覚めたようじゃな』
そう語りかけてきたのはメリュジーヌだった。
「ふふふ。どうして浅村くんが私の隣で寝ているの?」
そう。こよりの隣には慎一郎が横たわっており、優しい表情でこちらを見ていた。
どうやら、ベッドとベッドの間に簡易ベッドを置き、慎一郎はそこに横たわっているようだ。
「ゆ、輸血ですよ! 別に変なことはしてませんってば……!」
慌てたように弁解する慎一郎におかしくなって、こよりは、
「ふふふ。浅村くんがそんなことする人じゃないって知ってるから、大丈夫よ」
そして、自分の腕に繋がれているチューブを見た。それはいくつかの器具を経由して慎一郎の腕に繋がっていた。
「そっか、ずいぶんあったかく感じたのはこれのおかげだったんだね」
こよりは柔らかく笑った。
『うむ。乗り切ったようじゃの』
横たわる慎一郎の身体の上にふわりと降り立ったメリュジーヌも満足そうだ。
そうだ。やるべきことをやらないと。
こよりは真剣な表情で慎一郎に向き直り、言った。
「大切なお話があります。部員のみんなを集めてください」
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