黄昏2

                       聖歴2026年10月6日(火)


 森斉彬の死の瞬間を目の当たりにした細川こよりの取り乱しようは尋常ではなかった。

 あまりの取り乱しようにこのままでは心が壊れてしまうと、メリュジーヌの指示で徹が魔法で強制的に眠らせたくらいだ。


「かなり強めの魔法をかけたから、二、三日目覚めないかもしれないぞ」

 ということなので、高橋家の中にある彼女の自室で寝かせ、結希奈と楓が交代で見守ることになった。


「そうそう。それでポットを温めて……うん、もういいね。そのお湯は捨てちゃっていいよ」

「えっ!? 捨てちゃうんですか?」

「うん。捨てていいよ。そのために多めにお湯わかしたんだから」

「わ、わかりました……」


 家庭科部の山川翠やまかわみどりに言われるがままにポットに入れたお湯を流しに捨てるのは今井楓いまいかえでだ。

 この珍しい組み合わせはお茶を自分で淹れたことがないという楓に、そこにちょうど通りかかった翠が「じゃあ、あたしがサイコーのお茶の淹れ方を教えてやるよ」とサイコーのお茶の入れ方講座を始めたのがきっかけだ。


「で、その間にお湯が少し冷めたから、お茶っ葉を入れて、お湯をポットに入れる」

「え? お湯が冷めたのに入れちゃっていいんですか? もう一度沸かした方が……」

「あんまり熱すぎてもダメなんだよ。熱湯からちょっと冷めたくらいがサイコーなんだよね」

「なるほど……勉強になります」

 そう言って楓はふむふむと傍らのメモ帳に言われたことをかき込んでいく。それほどの事でもないんだけどなと翠は苦笑だ。


「これで、三分くらい蒸らせばちょうどいい頃合いだよ。ミルクとお砂糖は好みに合わせてね」

「ありがとうございます。このハーブティのいい香りで、きっとこよりさんもリラックスすると思います」

「それじゃ、あたしは学校の方へ行くよ。またねー」

「はい、ありがとうございます」

 手をひらひら振って高橋家の台所から出て行く翠に深々と頭を下げる楓。


「よし、早速私の初めてのお茶をこよりさんのところへ持っていきましょう」




「こよりさんー。お茶が入りましたよ。そろそろ目を覚ましてくださいー」

 トレイにお茶セットを載せて、慣れない足取りでそろそろと階段を上っていきながら二階奥の部屋で眠っているこよりに声をかける。


「……………………」

 ようやく階段を上り、こよりの部屋の前まで来たところで楓は立ち尽くした。


「困りました。両手でお盆を持っているので扉を開けられません」

 しばらく考えた末、トレイを床に置いて扉を開ければいいと思い至った。


「こよりさん、そろそろ起きてください。私もう寂しくて……」

 扉を開けたとき、最初に感じたのは鉄の匂いだ。


「こよりさん……?」

 次に飛び込んできたのは床一面の赤、赤。


「こよりさん!!」

 楓はさながら血の池と化した部屋に躊躇なく飛び込み、その中心で倒れているこよりを抱き起こした。自分も血だらけになることも厭わず、今も血があふれ出し続ける左手の手首を必死になって押さえる。


「お願い……! 癒やしの力よ……!」

 楓が自身あまり得意でないと言っていた回復魔法を使い、必死でこよりの傷を塞ごうとする。押さえられたこよりの手首に淡い光がともる。

 しかし傷は塞がらない。それはまさに焼け石に水であり、今この瞬間もこよりの身体から体温が抜け落ちていくのがはっきりとわかった。


「こよりさん、こよりさん!」

 楓が手首を押さえながら抱きかかえたこよりの身体を揺すり、必死に彼女を目覚めさせようとしているが、こよりが目を覚ます気配はない。


「誰か……。誰か来て下さい……!!」

 楓の悲痛な叫びが高橋家に響いた。傍らには錬金術で加工したと思われる鋭利に尖ったナイフのような鉱物が血まみれになって転がっていた。




「私がいけなかったんです。こよりさんから目を離したりしなければ……」

 楓はうなだれ、自分を責める。

 保健室の前に集まった〈竜王部〉の部員達。中では結希奈と養護教諭の辻綾子が手首を切ったこよりの手当てを行っている。

 楓がこよりを見つけた時、運悪く高橋家にあまり生徒はいなかった。

 さらに運の悪いことに楓の叫び声に気づいてやってきた女子生徒達の中に回復魔法を使える者もいなかった。

 しかし、その中の一人が機転を利かせ、結希奈に〈念話〉をかけて結希奈を呼び寄せてくれた。

 彼女と結希奈の間にできた〈転移〉の魔法によって結希奈が駆けつけたのは発見からおよそ五分後だった。

 結希奈の回復魔法によって応急処置を済ませ、今入ってきたばかりの〈転移門〉でこよりを校内に運び、保健室まで連れて行って今治療を行っている。

『いや、そなたの責任ではない、カエデよ。こうなることを予見せず、対処を怠ったわしの責任じゃ』

 メリュジーヌのアバターが落ち込む楓の肩に手を当てた。それは触れることのできない立体映像でしかなかったが、メリュジーヌの言葉は楓の心を少し楽にしただろう。

 そんなとき、からりと大きさよりはかなり軽く感じる音を立てて保健室の扉が開いた。

 顔を見せた綾子のいつもの白衣は血で汚れており、疲労を隠しきれない。その後ろに立つ結希奈も同様だ。しかし安堵の表情を浮かべている。

「ひとまずは安定した。目覚めるにはもう少し時間がかかるだろう」

「こよりさんは……。こよりさんはご無事なんですか!? もしもの事があったら、私、私……」

 綾子に詰め寄った楓が泣き崩れる。そんな楓に綾子は優しく手を置いた。

「大丈夫だ。発見が早かったのと、応急処置が適切だったからな」

 涙で濡れた顔を上げた楓に綾子が微笑む。

「お手柄だ、今井」

「うわぁぁぁぁぁぁぁ……!」

 綾子の膝の上で大泣きする楓に、担任の養護教諭は優しく頭を撫でてやるのであった。

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