10 years before, they haven't yet met... 3

 それから男の子といろいろ見て回った。境内の中にある五重塔とか、近くにある演芸場の前で写真を撮ってみたりとか、和菓子のお店――カナエの家ではない。カナエ、ごめんね――で試食させてもらったりとか。


 交差点の近くにある公衆トイレで用を済ませた。男の子はトイレの前で待ってると言ってたけど、あまり待たせるのは悪いから急いで出てきた。


「お待たせー」

 ハンカチで手を拭きながら石造りのトイレから出て、そこで待っていてくれた男の子に謝ろうとした。

 しかし、彼はどこにもいない。


「あれ? どこ行ったの?」

 慌てて歩道まで駆け出して辺りを見る。平日とは言え夏休みだ。人も多いし車も多い。小さい子供だから飛び出して事故に遭ったのではないかと心配になってガードレールから身を乗り出し左右を見渡すが事故は起こっていないようだ。


 だとすると彼はどこに行ったのだろう?


 わたしは交差点の向こうにある橋の方を見た。その向こうにはさっき彼が行きたがったタワーがある。もしかして一人で歩いて行ったのだろうか?

 あのタワーは日本で一番高い塔だ。近くに見えても見た目よりもずっと遠くにある。小学生の足なら歩いて一時間はかかるのではないか。


 わたしは橋の方へ走り出した。しかし、すぐ交差点の信号に阻まれてしまった。

 焦れるわたしだが、この通りは広くて車の量も多いので、信号を無視して渡ることはとてもできない。

 と、目の前を見覚えのある小さな影が見覚えのないやはり小さな影を引いて歩いてくるのが見えた。


「ここで大丈夫だよ。ありがとね」

「うん。気をつけてな、ばあちゃん!」

 男の子は持っていた大きな荷物を腰の曲がったおばあさんに返すと、おばあさんはぺこぺことお辞儀をしながら駅の方へと歩いて行った。


「姉ちゃん!」

 わたしが見てたことに気づいた男の子が駆け寄ってきた。


「おばあさんを助けてあげてたんだ」

「うん! 大きな荷物を持ってて大変そうだったから」

 そう言ったかと思うと、笑顔が急に曇った。


「待ってるって言ったのに、約束守ってなくてごめんなさい」

「え? ううん、いいよ。助けてあげたんでしょ? えらいね」

 わたしは男の子の前でしゃがみ、頭を撫でた。

 男の子はとても嬉しそうな顔をした。


「なあ、姉ちゃん。オレ、アイスが食べたいな」

 男の子が甘えたように言ってくるので、わたしは嬉しくなった。


「うん、いいよ。あっちにおいしいソフトクリームを出してくれるお店があるんだ。行こうか」

 そう言って男の子の手を取る。自分でも気づかないうちに男の子と手を繋いで歩くのが自然になっていた。


「あ。でも……」

 わたしは空をぐるりと見回して気がついた。


 夏らしい真っ青な空はいつの間にか赤く染まっており、東の空からは夜の闇が迫ってきている。タワーがライトアップを始めてきれいに光っている。

「もう遅いけど大丈夫? お父さんやお母さんは心配してない?」

 そうだ。この子は冒険と称して小学生としてはかなり遠いところから一人でやってきたのだった。


「大丈夫だよ! ちゃんと〈念話〉で連絡したから! ……げ!」

「どうしたの……?」

 男の子の顔が渋くなっていく。右上の方を見てからわたしの方を見た。視界の右上は、ちょうど〈念話〉関連の状態が表示される辺りだ。


「めっちゃ着信溜まってたの、気づかなかった……」

「たいへん……! 今すぐ連絡した方がいいよ!」

「そうする……」




「うん、うん、うん。大丈夫だって! うん。……わかった」

 少し離れた所で男の子が〈念話〉をしている。当たり前だけど、わたしからはどういう話をしているのかはわからないが、あまり怒られないといいなと思う。


 〈念話〉を終えた男の子がわたしの所に戻ってきた。心なしか少しかたが落ちているようにも見える。

「どうだった?」

「すぐ帰ってこいって」

 男の子は残念そうに言うが、まあそうだろう。日ももうすぐ暮れる。小学生は家に帰らなければならない時間だ。


「それじゃ、ねえちゃん。今日はありがとう」

「うん、楽しんでもらえたらよかったな。元気でね」

「うん……」

 男の子が駅の改札をくぐっていった。そこで忘れていたことを思い出して彼を呼び止めた。


「待って!」

「…………? どうしたの?」


 男の子が不思議そうな顔でわたしを見た。わたしはカバンを開けて、中をまさぐる。

 さっき買っておいた紙袋を見つけて取り出した。


「これ、おみやげ」

 おまんじゅうの入った紙袋を男の子に手渡した。


「オレに?」

 目を丸くして驚いている男の子に、わたしはうんと頷いた。


「さっき、おうちに〈念話〉してるときにこっそり買っておいたんだ。あとで食べてね」

 男の子の顔が歪んだかと思うと、彼はごしごしと顔を拭った。そして笑顔になり、

「ありがとう、姉ちゃん! 今日は楽しかったぜ!」

 そうして、男の子は大きく手を振って駅の中に消えていった。


 と思ったら、走って戻ってきた。


 そして、改札のすぐ向こうで立ち止まったかと思うと、周りに人がいるのにも構わず大きな声で、

「オレ、大人になったら姉ちゃんを嫁に迎えに行くから! だから、それまで待っててくれ!」


 そのまま、わたしの返事も待たずにまたダッシュで駅の中へと消えていった。

 彼の耳は後ろから見てもわかるほどに真っ赤になっていた。


 それは言われたわたしの方も同じだったのだが……。


「でもわたし、あの子の名前も連絡先も知らないんだけどな……」

 その後、その場で少し待っていたが男の子が戻ってくる気配はなかった。


 駅の外に出たらもうすっかり日も暮れていた。

 空を見上げると、半分ほどに欠けた月が駅前商店街のライトアップにも負けずに明るく輝いていた。

 ふと視界の隅にある時計アプリの表示を見た。


「あーっ、もうこんな時間! わたしも早く帰らないと怒られちゃう!」

 そのまま走って家路を急いだのだった。


 それが不思議な男の子との夏の日の思い出。しかし、ほかの記憶と同様、時が経つにつれてその思い出はかすれ、思い起こされることもなくなっていった。


 そんな当たり前の思い出。

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