森斉彬3
それぞれ怪我人を背負った慎一郎と徹が“戌”のほこらへと繋がる洞窟の中に緊急的に避難した結希奈達の所に無事に合流できたのは、あの黒い竜が慎一郎たちに興味を示さず、剣術部の部室――と、外へと繋がる通路――の破壊に夢中になっていたからに他ならない。
慎一郎達四人が洞窟に入ったあと、メリュジーヌの指示でこよりが洞窟の入り口を塞いだ。そのしばらく後でドラゴンの攻撃が始まった。
全てを腐らせるという黒竜のブレス。今この瞬間もこよりが断続的に作り出している土の壁を破壊し続けている。
ドラゴンのブレスとこよりの土壁が壮絶な戦いを繰り広げているそこから少し離れた場所、洞窟内の奥、“戌”のほこらの近くでもまた別の戦いが繰り広げられていた。
「三番の麻酔魔法が切れる時間です。かけ直しを」
「ダメ、出血が止まらない……!」
「痛い、痛いよぉ……」
「大丈夫。大丈夫だから。だから諦めないで!」
「母さん、母さん……!」
「血が足りないの! どうすれば……」
「こっちにも薬草をちょうだい!」
血の臭いとうめき声が充満するその場所には、重傷者の多くが集められていた。
全員が“鬼”の攻撃によって傷ついた生徒達である。ドラゴンの攻撃に晒された生徒は誰一人この洞窟にはたどり着いていない。たどり着けていない。
軽傷者は幸い、ドラゴンの出現前に地上へと帰すことができたが、大きく動かせない重傷者の応急処置を結希奈が中心となって剣術部のマネージャー陣や白魔法の心得がある生徒達が行っているうちにこの騒ぎとなり、重傷者だけが取り残されるという皮肉な事態になってしまったのである。
「いや! ダメ! 逝っちゃいやだ! 逝かないで! お願い!」
悲痛な叫び声が洞窟内を支配する中、淡々と作業を行っている男女がいる。
「結希奈、傷が開いた!」
「こっちは任せて。慎一郎はこっちの傷の縫合を。麻酔は同時にかけるわ。ジーヌは新しい包帯を取って。縫合が終わったらすぐに巻いて。……ガーゼはもうないの」
「わかった」『承知した』
結希奈が怪我人の腹に手を当てると淡い光が患部を照らし、患者の表情が少し和らぐ。それを見た慎一郎が足の開いた傷をじっと見つめると側に置いてあった針と糸がふわりと浮かんで傷口を縫い合わせていく。
その上では巻かれた包帯がするすると自動的に解かれていく。
慎一郎とメリュジーヌの〈浮遊剣〉だ。
魔法の力で剣を操るその魔法は手で直接ものを触らない魔術だ。それは怪我人の手当てに最適とも言える。患部をむやみに触ることも、手を血で汚すこともないので昔からよく怪我人の手当てをしたとメリュジーヌは言う。
「これでよし、と」
結希奈が立ち上がった。彼の腹の傷を見ると、傷口は残っているものの、出血は止まっていた。普段は傷口が消えるまで回復魔法を行使するのだが、今はそんな余裕はない。
慎一郎とメリュジーヌも任された怪我の手当てが終わり、結希奈のあとについて次の怪我人のもとへと向かっていった。
「くそっ!」
そんな手当ての様子を見て秋山が洞窟の壁を叩いた。
「落ち着け。傷口が開くぞ」
その隣に座っている斉彬が秋山をたしなめる。
斉彬達によって担ぎ込まれた秋山は重傷ではあるものの、出血はあまり酷くなかったために応急処置だけを受けて怪我人達が運び込まれたエリアの隅に寝かされている。
“鬼”の直撃を受けた秋山の足はあり得ない方向に曲がっているが、秋山はそれを自らに対する罰として受け入れていた。
「俺のせいだ。部長のくせに部員を守れなかった……。くそっ!」
再び壁を殴る秋山の頭を、斉彬がポカリとはたいた。
「森……?」
「バーカ。一人で抱えてんじゃねえ。あんなの誰にも止められないだろうが」
冗談めかした斉彬のその言い方に、秋山の表情が和らいだ。
「そうか。そう言ってくれると助かる」
秋山は二本の腕のうち、動く右手を握り、そして開くのをじっと見ていた。
「さすがだな、森。地下の部室に引きこもっていた俺たちと違って落ち着いてる。くぐり抜けた修羅場の違いってやつか?」
「まあな」
斉彬は肩をすくめ、冗談めかして言った。
「さて、と」
立ち上がる斉彬に「どこへ?」と秋山。
「トイレだよ。バーカ」
秋山の方を見ずに手を振って答える斉彬のその表情は、言葉とは裏腹に厳しいものだった。
「くそったれが!」
洞窟のさらに奥、誰もいないところまで来たところで斉彬は感情を爆発させた。力任せに殴った洞窟の土壁がぱらぱらと少し崩れた。
誰が落ち着いている? 修羅場の違い? ふざけるな!
斉彬が強く歯をかみしめる。ぎりっという音ともに、奥歯が少し欠けるのがわかった。
金子達が巻き込まれたというドラゴンのブレスの現場に斉彬は居合わせなかった。そこにいられなかった悔しさと、何故もっと早く戻れなかったのかという後悔。何より、一番大切な人に守られているのに自分は何もできないふがいなさが斉彬の心をじりじりと焦がしていく。
「くそっ!」
再び壁を殴る。こんなことをしても何もならないということはわかっているが、溢れ出す感情をどう処理していいのかわからなかった。
「ひっ……!」
声が聞こえた。誰もいないところまで来たと思ったが、誰かいたようだ。
「悪い。驚かせるつもりは……って、ゴンか」
少し離れた所で固まっていたのはゴンだった。結希奈にでも頼まれたのか、その小さな身体に比して大きな箱を持って驚いていた。
「び、びっくりしたっす……。こんな所で何してるっすか?」
別に、と素っ気なく答えた。非力に見えるコボルトのゴンでさえもこの場をどうにかしようと奮闘しているのに、これでは本当の役立たずではないか。
そんな自虐の沼に陥っている斉彬の頭に、ふとひとつの考えが浮かんだ。
「なあ、ゴン。ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「おいらにっすか……? 何でしょう?」
「なあ、メリュジーヌ」
『なんじゃ、シンイチロウよ』
結希奈の指示で怪我人の包帯を取り替える途中、慎一郎は二時間前から気になっていたことを切り出した。
「お前、知ってるんだろ? あのドラゴン」
『……………………』
メリュジーヌはすぐには答えなかった。それこそが答えを雄弁に物語っているということなど百も承知だろう。
しかし慎一郎は答えを促すことはなく、ただ黙々と怪我人達の包帯を取り替え、古い包帯を捨て、新しい包帯を取り出して次の怪我人に巻く作業を続けた。
『そうか……。わしがお主の記憶をある程度見られるのと同様、お主もわしの記憶がある程度見られるのじゃったな』
メリュジーヌは深くため息をついて、絞り出すかのように答えた。
『ヴァースキ』
「…………?」
『奴の名じゃ。暗黒竜ヴァースキ。わしの懐刀〈十剣〉の零の剣であり……』
ちらとメリュジーヌのアバターを見た。その表情は苦悶に満ちたものであり、そして――
『わしが唯一、手にかけようとした同胞じゃ』
慎一郎は、メリュジーヌの顔が怒りに歪むのを初めて見た。
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