狂える戦鬼7

「ねえ、浅村くん」

 鬼から少し離れたところでひと息ついた慎一郎の所にすべての怪我人を運び終えたこよりが近づいてきた。


「細川さん。何か問題でも?」

「ううん、違うの。そうじゃなくて、あれ……」

 こよりが指さした方を見る。そこは地下の大広間の一番隅に当たる部分で、屋根の部分は大きな岩の塊が張り出しているのが見えた。


「あそこに“鬼”を誘い出せば、岩を落として鬼を押しつぶせるんじゃないかな」

『なるほど……。悪くないアイデアじゃな。じゃが、どうやって落とす? あれほどの大きさとなると一筋縄ではいかぬぞ』

 メリュジーヌの懸念に、こよりは自信の溢れる顔で頷いた。


「多分……ううん、きっと大丈夫。ゴーレムの魔法を応用すればあれくらいの岩なら十分落とせる。任せて」


「どう思う? メリュジーヌ? おれはやる価値はあると思う」

『ふむ……。このまま体力勝負を続けてもわしらの方が先に体力がつきそうじゃし、いつ重傷者が出るかもしれん。それに、終わりが見えていた方が力も出せるじゃろう。よし、コヨリよ、頼んだぞ!』

「わかったわ!」


 鬼の牽制を続けながら、徹や斉彬、秋山、金子にこよりの作戦を伝えた。役割分担が行われ、鬼を誘導するのは剣術部が、牽制とバックアップを担当するのが〈竜王部〉と決められた。文化祭の出し物をめちゃくちゃにされた剣術部の強い希望の結果である。


「あと五メートル! 金子さん、もう少し左に。二歩下がって!」

「わかった!」


 中距離から鬼を牽制できる慎一郎が全体を見渡して指揮を執る。鬼は自分が誘導されているとも知らず、本能のおもむくままに目の前の生意気な人間を叩き潰そうと暴れている。


 ――ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!


「当たるか!」

 秋山が軽やかに鬼の攻撃を躱す。さすがに全国大会常連の猛者だ。その動きに少しも疲れは感じられない。


 ――がぁぁぁっ!


 また攻撃が当たらなかった鬼は苛立ち、強引に秋山の隣の生徒にターゲットを変え、彼を見ずに攻撃を仕掛ける。

 しかしそれは鬼のイレギュラーな行動だった。

 鬼と目があったら回避することに慣れすぎていたその部員は一瞬、自分が攻撃対象になったことが理解できず、その場に立ち尽くした。


「くそっ……!」

 咄嗟に隣の秋山が男子生徒に飛びかかり、彼を突き飛ばした。

 しかしその鋼のような拳は突き飛ばした秋山の腹に正確に命中した。


「ぐはっ……!」

 何かが折れたような鈍い音とともに秋山が吹き飛ばされる。


「秋山さん!」

 剣術部の部員達が一斉に秋山のもとへ駆けつけようとしたところを鬼が撫でるように腕を振ると、数人の部員達がまとめて吹き飛ばされた。


 戦線の崩壊は一瞬だった。


『シンイチロウ!』

「わかってる! 今井さん、援護を!」

「はい!」

 慎一郎と斉彬が走り出し、楓が矢をつがえる。


「待て!」

 そこにその場を支配する鋭い声が飛んだ。金子の声だ。


「浅村、森、栗山! お前達は怪我人を下がらせろ! このデカブツはおれが引きつける!」

「バカな! お前一人で太刀打ちできる相手か!?」

 真っ青な顔で斉彬が反論する。

「冷静になれ、森! 今こうして議論している間にも負傷者は増えているんだぞ!」


 金子に言われ、斉彬は言いよどんだ。今また鬼の拳が振り払われ、数人の部員達が宙に浮いた。


「てやぁぁっ!」

 金子が背後から渾身の一撃を鬼に食らわせた。鬼の背に切り傷ができたが、それもすぐに塞がってしまうだろう。


 ――ぐわぁぁぁぁぁぁっ!!


 それは鬼にとって蚊に刺されたような痛みしかないにせよ、蚊に刺されれば鬱陶しいことに違いはない。鬼は素早く振り向いて鬱陶しい“蚊”を払おうとした。


「こっちだ! 着いてこい!」

 金子が全力で走り去る。それを追いかける鬼。


「おれに構わず岩を落とすんだ。いいな!」

 走りながら金子がこよりに向けて叫んだ。金子はこよりが先ほど指摘した落下させる予定の大岩の下へ向けて走っている。


 こよりがメリュジーヌのアバターを見た。メリュジーヌは真剣な表情で頷いた。

「わかった!」

 こよりが大声で金子に答えた。金子は全速力で走っており、その声が聞こえたかはわからない。


「今のうちに救出を!」

 慎一郎の号令で部員達が動き出した。鬼の周りにいた十数人の剣術部員達が折り重なるように倒れている。まずは軽傷者をその場から動かして、おそらく下敷きになっているより重傷の者を助け出す作業から始めた。


「雅治さん!」

 やがてその中から秋山が助け出された。最初に鬼のパンチの直撃を食らった秋山の意識はなく、ぐったりしている。


「斉彬さん、ゴン。秋山さんを担架に乗せて救護所まで連れて行ってくれ。その間におれは他の人たちの怪我の様子を見る」

「わかった」「わかったっす!」


 こよりは鬼の上に岩を落とすための呪文を構築しているので、先ほどまで怪我人を運んでいたゴーレムはすでに岩に戻っている。二人は素早く秋山を担架に乗せて、大広間の反対側にある救護所へと向かっていった。


『まずいの』

 怪我人を様子を見たメリュジーヌは沈痛の面持ちだ。


『先ほどの男ほどではないが、重傷者が多い。早くなんとかしなければ』

「一人ずつ運んでいくしかない」

『…………そうじゃろうな』

 結希奈を呼ぼうにもずっと〈念話〉が使えず、連絡の取りようがない。


「徹、こっちの人を運んでくれ。おれはこの人を……」

「わかった」

 そう指示を出したとき、腹に響くような重い音と、少しの地面の揺れを感じた。こよりが岩を落としたのだ。


「やった……のか……」

 徹がつぶやいた。


 音の方を見ると、鬼が誘い込まれたあたりには巨大な岩の塊がひとつと、無数の両手で抱えるくらいの大きさの石が転がっていた。思ったよりも大きな崩落に、“うし”の守護聖獣と戦ったときに地下迷宮の屋根が崩落したときのことを思い出す。


「そうだ。金子さんは? 金子さん!」

 我に返った徹が岩の方へと走り出そうとすると、小さい石が積み上がって山のようになっている一部分が崩れた。中から押し出しているように石が落とされる。


「聞こえてる。……うまくいったみたいだな」

「金子さん!」

 中から袴姿の金子が現れた。全身泥だらけだが、見たところ負傷はしてないようだ。


「ふう。一部をゴーレムにして制御させたの。うまくいったみたいで良かった」

 少し離れた所でしゃがんで岩の落下を制御していたこよりが額の汗を拭い、笑顔で言った。


『勝利に酔っている場合ではない。怪我人の移送を急ぐのじゃ』

「そうだった。細川さん、ゴーレムを作って下さい。重傷者から運びます」

「すぐやるわ」


「俺はこの人を連れて行く。ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してくださいね」

「頼む、徹。金子さんは念のためにここに残って周囲の警戒を」

「心得た」


「私は斉彬さんとゴンちゃんに早く戻るよう、伝えてきます!」

「ありがとう、今井さん」


 慎一郎の指示で各々ができることをする。何人かの比較的怪我の程度の浅い剣術部員達は自力で歩いて救護所の方へ向かっていった。

 慎一郎は骨折をしていると思われる部員の足に簡単に添え木で固定をしたあと、彼をおぶった。


「いつっ……!」

「すいません!」

「いいさ……痛いってのは、生きてるってことだ」

 そう言って剣術部員は笑ったが、その後意識を失ったようだ。急いで手当てを施さねば。


 まだ何人かの重傷者が寝かされているが、一度に運べる怪我人の数には限界がある。早く戻って残りの負傷者を救出せねば。


 そう考えたときだった。




 ――ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!


 それまでぴくりとも動かなかった鬼を押しつぶした大岩が、跡形もなくはじけ飛んだかと思うと、中から巨大な影が現れた。


「バカな……!」

 金子のその言葉はその場の全ての気持ちを代弁したものだっただろう。


 白い髪の下に怒りに燃える瞳を光らせ、戦鬼は自分をこんな目に遭わせた卑小な人間達を睨みつける。


「くそっ!」

 金子が戦鬼に向かって走り出した。少しでも注意を引きつける腹づもりなのだろうが、それはあまりに無謀のように思われた。


「金子さん、無茶だ!」

 慎一郎が金子の援護をしようと背負っている怪我人を下ろそうとする。しかし、


「行け! 怪我人をこのままにしておく訳にはいかん! おれもどれだけ持ちこたえられるかわからんぞ!」

「しかし!」

「このままだと全滅だ! いいから行け!」

「くっ……」


「慎一郎、行こう! 急いで人手を集めて戻らないと、金子さんも危ない!」

「徹……。わかった! 金子さん、どうか無茶をしないで!」

「おれを誰だと思ってる。今年は全国優勝も狙える実力だぞ!」


 戦鬼が金子に拳を振り下ろす。金子はその動きに剣をあわせた。斉彬のやり方を参考に、戦鬼の攻撃をいなしたのだ。

 しかし斉彬の〈デュランダルⅡ〉ほどの強度を持たない市販の剣術用の剣では鬼の王の有り余るパワーに耐えきれなかった。

 甲高い金属音とともに剣身が折れ、輝く剣身が弧を描く。


「くそっ!」

 金子は咄嗟に後ろ向きにジャンプして鬼のパンチの勢いを殺した。

 しかし、鬼はそれを見越していたかのように猛ダッシュをして金子との距離を詰めた。


「…………!!」


 ――うがぁぁぁっ!


 鬼の拳が金子の胴にきれいにヒットした。その衝撃に金子の身体は大きく吹き飛ばされた。運が悪いことに、そこは負傷者が横たえられているすぐそばだ。


「金子さん……!」

「ま、まだいたのか浅村……。いいから、早く行け……これしきの攻撃、おれには……ぐぼおっ!」


 金子が地面に膝をつき、どす黒い血を吐いた。戦鬼が勝ち誇ったかのようにゆっくりと金子の方へと歩いてくる。

 何人かの重傷者が金子の危機に起き上がろうとしている。もともと、今すぐ運び出すほどではないが、自分で歩けるほどでもない怪我人だ。立ち上がるのもままならない。


「やめろ……やめてくれ……」

 金子がそれら部員達の全てを守るように立ち上がった。慎一郎はこれから起こる惨劇を前に、ただ見ていることしかできない。


 鬼がにやりと笑った。自分以外の全てを破壊しなければ気の済まないその気性が、ようやくその目的の一端を叶えられることに対する歓喜の笑みだ。

 鬼の右手が振り上げられ、必殺の一撃が満身創痍の金子に向けて振り下ろされる。




 その時だった。


「…………!?」

 突然、慎一郎の目の前が真っ暗になった。

 慎一郎の視界いっぱいにまるで真っ黒なアコーディオンカーテンが閉じられたかのように黒い領域が広がっていったのである。


 慎一郎の視界からみて左から右へと流れていく黒い霧の塊のようなカーテンはたった今、金子と鬼が戦っていた場所をも飲み込んだ。

 まるで生命そのものを吸い尽くしそうなその漆黒の霧の塊に立ち尽くす慎一郎達。


『まずい! 今すぐ逃げるんじゃ、シンイチロウ! !』

 メリュジーヌが叫ぶが、慎一郎はその声さえも霧の塊に吸われてしまったかのように立ち尽くし、その場を動けないでいた。




 ――オォォオォォォォォォォォォォォォォオォォォォォォオォォォオォォォ!!


 腹の底から恐怖で震え上がるその咆吼。その瞬間、その場に居合わせた全ての人々はこの世界で自分は踏み潰されるだけの卑小な存在であることを思い知った。

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