狂える戦鬼2

 テントの中は混乱の一言だった。

 飛び散る木片、飛び交う怒号、響き渡る悲鳴。倒れてうずくまる制服姿の男女も一人や二人ではない。


 そしてその中心に立ち、破壊を撒き散らす黒い影。無造作に伸ばされた白い髪に隠された鋭い瞳は目につくものを全て憎み、人間の三倍はあろうかと思われる太さの屈強な腕がそれを実現のものにする。黒く盛り上がった分厚い胸板は敵のいかなる攻撃も寄せつかない。そしてその強さを象徴する頭上に尖る一本の角。


 戦鬼オーガ。それは破壊の体現者であり、弱きものにんげんから見れば恐怖の象徴。

 四百年の昔にこの地を恐怖に陥れたその破壊者が今また蘇り、かつて撒き散らした恐怖と破壊を再現している。




 ――おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!


「うわっ!」

 果敢にも戦鬼に挑みかかった剣術部の生徒がその重く速い拳を受けて跳ね飛ばされた。彼はすぐに上体を上げた。大きな怪我はないようだ。


 しかし、彼は完全に戦意を失ってしまったようだ。弾き飛ばされた剣を拾うこともないまま、両手で頭を庇っている。下半身に力が入らないのだろうか、立ち上がることもなく、足がガクガクと震えている。


「ゆ、許して……」

 しかし戦鬼は自らに反旗を翻したその男子生徒が許せないのか、ゆっくりと男子生徒の所まで歩いて行く。


「こ、来ないで……」

 男子生徒は尻を地面につけたまま、そのままじりじりと後ろに下がっていくが、やがてそれも限界を迎える。彼の所属している部が作ったテントの木でできた外壁に阻まれ、彼はそれ以上鬼から距離を取ることはできない。


「い、嫌だ……。来るな、やめてくれ……」

 男子生徒は目を瞑り頭を抱えた。全身が振えて袴の下に水たまりができた。

 戦鬼はゆっくりと拳を振り上げた。男子生徒にとって人生最後の一撃だ。そしてそれは勢いよく振り下ろされる。


「ひっ……いいっ……!」

 その悲鳴は衝撃によって妨げられた。ただし、正面からの戦鬼からもたらされた衝撃ではなく。間一髪横から彼の身体をかっ攫うように押し出された衝撃によって。


「大丈夫?」

 慎一郎によって救われた剣術部の部員のところにすかさず結希奈が駆け寄ってくる。怯える剣術部員の状態を素早く確認する。大きな怪我はしていないようだ。


「動ける? 早くここから逃げて」

「あ、足が動かないんだ……。あんた、回復魔法が使えるんだろ? だったら……」

「悪いけど、回復魔法はもっと大けがの人に取っておかなきゃいけないの。少しでもここから離れて」

「おれだって大けがなんだよ! ほら、あ、足が動かない!」


 それは腰を抜かしただけでしょとは言わなかった。代わりに無言で剣術部員の背後に回り、彼の脇に手をかけてずるずると引っ張る。ある程度離れたところで彼を寝かせ、

「慎一郎!」

 と声をかけた。




 慎一郎は両手に持つ二本の剣と周囲に浮かぶ八本の剣を携えて戦鬼と対峙していた。

 文化祭のぬいぐるみ劇のために〈浮遊剣〉の魔法をこの半月徹底的に訓練したおかげで、この軽い剣ならば四本の剣を浮かべることができるようになっていた。もう四本はメリュジーヌが操っている。


 戦鬼が慎一郎を睨む。それは今まさにとどめを刺そうとした獲物をかっ攫われた怒りによるものだったが、その感情はすぐに忘れ去られ、今は自分が睨んでも全く動じない目の前のちっぽけな存在に興味を抱いたのだった。

 戦鬼の興味というのは破壊衝動に他ならない。それを証明するかのように、鬼は無造作に慎一郎の胴ほどもある腕を振り下ろした。


 ――うがぁぁぁっ!


「…………!!」

 一瞬の判断で慎一郎は大きく後ろに飛んだ。戦鬼の攻撃の範囲の外に。


 だが、次の瞬間、慎一郎の目の前に戦鬼がいた。

 おそるべき速度で距離を詰め、必殺の威力を持つ拳を繰り出してくる。


 慎一郎は咄嗟に自分の制御下にある四本の〈浮遊剣〉と、両手に持った剣を重ねて防御した。


「ぐうっ……!」

 両手に衝撃が伝わってくる。


 しかし、咄嗟の判断とはいえ、手持ちの剣を全て防御に回したのは正解であった。そうでなければ彼の両腕は砕けていただろう。


 初撃はなんとか防いだが、戦鬼はそのままの姿勢でぎりぎりと力を込めてくる。慎一郎はそれを全力で押しとどめている。少しでも気を抜くと一瞬で潰されてしまいそうな力だ。


『そのまま奴を押さえておれ!』

 メリュジーヌはそう言うと、彼女の操る四本の剣がばらばらに両手両足、鬼の腱を狙って正確に振られた。どんな生物であろうとそこを断たれて動くことはできない。


 しかしその攻撃は甲高い音を立ててはじき返された。まるで剣で石を叩いたかのような音だった。

『なんじゃと!? なんという堅さじゃ!』


 ――ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!


 戦鬼は彼の周りで必死に彼を傷つけようと飛び回っている剣には目もくれることなく、目の前で交差されている剣に向けてさらに力を込めた。


「くそっ……なんて力だ。メリュ……ジーヌ……。そう長くは持ちこたえられそうにない」

 慎一郎の全身の筋肉が悲鳴を上げている。がくがくと手足が痙攣し、やがて左膝が地面についた。

 上から押さえつける形になった戦鬼の力はさらに強まる。慎一郎は限界を感じていた。


『くそっ、くそっ! 達人は道具を選ばぬものじゃが、このなまくらでは……っ!』

 メリュジーヌが戦鬼の目や首や胸や脇や腰を狙って斬りつけるが、そのいずれもが戦鬼の硬い表皮に阻まれ、また驚異的な回復力にろくにダメージを与えることができない。


 そうしている間にも鬼の力はさらに強くなった。どれだけの力を残しているのだ、この化け物は。

 慎一郎はさらに押し込まれる。両足が膝をつき、全身はとうに限界を迎えている。目がかすんできて、今自分がこの強大な鬼の拳に耐えられているのが不思議なほどだ。


 勝利を確信した鬼の口角が上がった。その向こうに、誰かが走ってくるのが見える。

「秋山……さん?」


 慎一郎が持つものと同じ剣を携えてこちらに向けて走ってくる剣術部部長の秋山雅治。その表情は怒りに燃えている。

「だめ……だ……。こっちに来ちゃ……。逃げるんだ……秋山さん……!」

 しかしそれはかすれてまともな声にならない。


 それなのに、秋山はまるで慎一郎の声に反応したかのようにその場に立ち止まった。

 そして秋山はその場で腰につけている剣の鞘に手をかけた。居合いの構えだ。鬼と秋山の距離はまだ十メートル以上もある。


「秋山さん……? 何を?」


 そう思ったとき、秋山が抜剣した。秋山の剣は美しい弧を描き、再び元の鞘に収まる。

 一見、何も起こらなかったように思える。秋山の攻撃は悪鬼には届かず、悪鬼が慎一郎を押しつぶそうと力を込めているのは変わらない。


 しかし、慎一郎は見た。


 秋山が抜剣したその場所のすぐ目の前に立つ一本の柱。

 剣術部のショーが行われていた大きなテントの布張りの屋根を支える大黒柱。秋山はそれを両断したのだ。


 切り口からゆっくりと太い柱がずれ落ちていく。

 次の瞬間、バサリという音とともに、視界が真っ白に染まった。

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