灰かぶりのこより

灰かぶりのこより1

                       聖歴2026年10月1日(木)


 今日は文化祭の初日。

 とはいえ、わたしが所属する〈竜王部〉の出店は明日の二日目なので今日は一日フリーだから、いつもと同じように起きて、いつものように日課をこなす。


「あら、おはよう」

 寝間着代わりに使っているTシャツ短パンから学校指定のジャージに着替えて部屋から階下に降りる途中、黒くて小さな同居人――黒猫のラッシーちゃんと会ったので挨拶をする。ラッシーちゃんは「にゃー」と挨拶してくれた。ほんとかわいい。


 毎朝のランニングは欠かせない。北高ここで暮らし始めてからも台風が来たなどのよほどのことがない限り休んだことはない。でないと――


「おはよう、こよりちゃん」

「え? ずいぶん早いね、結希奈ちゃん」

 階下に降りると階段の側にある台所から声をかけられた。この家の家主の高橋結希奈ちゃんだ。


「うん。今のうちに明日の仕込みをしておこうと思ってね」

 明日、わたしと結希奈ちゃんの〈竜王部〉は『ショーレストラン』を出店予定だ。お客さんに料理を食べてもらいながらぬいぐるみの劇をする。


 結希奈ちゃんは料理の中心人物だ。そうか、もう今日のうちから準備しなきゃいけないのか……。普段料理を全くしない――禁止されている――わたしには想像もできなかった。

 だから、少しでも役に立てればと申し出た。


「わたしも手伝おうか? 何かできることがあれば……」

「いや、いいから!」


 やっぱり……。しかも、速攻で断られてしまった。そりゃあ、前に失敗したことはあるかもしれないけど、それでも練習しなきゃ上手くならないと思うんだけどなぁ。わたしだってお湯を沸かしたり、野菜のヘタをとったりくらいはできるんだけど。多分。


 でもまあ、そんなことを言っても結希奈ちゃんを困らせるだけなので、ここは引き下がります。


「そう……。頑張ってね。わたしはいつものランニングに行ってくるから」

「うん、行ってらっしゃい」

 結希奈ちゃんはキッチンの中でせわしなく動きながら答えた。こちらを振り返る余裕すらないらしい。大変だなぁ……。


「邪魔しちゃいけないから行こうっと」

 わたしは玄関の中で軽くストレッチをしてから家の扉を開けた。よし、今日も頑張ろう。




「おやほう、こよりさん!」

「斉彬くん!?」

 玄関の引き戸を開けた先には三年生で同じ〈竜王部〉の森斉彬くんが爽やかな笑顔で立っていた。


「どうしたの? 待ち合わせは部室じゃなかった? というか、まだ五時だけど!?」

「いやー、待ちきれなくて」

 あはは、と斉彬くんは自分の頭をかいた。ご丁寧に玄関前の何も遮るものがない場所で立っていたためか、朝晩はかなり涼しくなったこの時期なのに額からつつ、と汗が流れている。


 今日、わたしは斉彬くんと文化祭を一緒にまわる約束をしていた。待ちきれない気持ちはわかるし、そこまで楽しみにしてくれて嬉しくは思うんだけど、でも限界というものがある。


 わたしはびしっと斉彬くんの顔の前に人差し指を突き出して毅然と宣言した。

「出かける準備もしてない女の子の家に来るなんてマナー違反よ。出直してきて」

「え? でもジャージ姿のこよりさんも完璧なまでにかわいいけど……」

「そういう問題じゃなーい!」


 思わず大声を上げてしまった。わたしのあまりの剣幕に驚いたのか、斉彬くんは「ごめんなさーい」と謝りながら駆け足で学校の方へと戻っていった。


 まったく、斉彬くんには困ったものだ。でも、知らず知らずのうちに顔がにやけてきてしまう。あれだけ気持ちをぶつけられて女の子として嬉しくないはずがない。


「でも!」

 自分で自分の頬をぱーんとひっぱたいて切り替えた。楽しいことはやるべきことをやってから。斉彬くんひとに求めておいて自分はそれをやらないなんて、そんなのは私自身が許さない。


 玄関前で軽く準備運動をしてから、日課のランニングを始めた。




「結希奈ちゃん、シャワー借りるね」

「いいよー」

 ランニングを終えて一旦部屋に戻り、タオルと着替えを取ってきたわたしは、キッチンでせわしなく働く結希奈ちゃんに一声かけてからシャワーを浴びた。


「ふぅ……気持ちいい」

 少しぬるめに調節したシャワーのお湯が体中の汗を洗い流して少し火照っていた全身を冷やしてくれる。わたしはつい、おばさん臭い声を出してしまった。

 ……気をつけないと。きっと、そういうところから若さって失われていくんだと思う。


 自慢の薬草畑で作った薬草から作ったシャンプーで身体と髪を洗ってシャワールームから出た。髪を念入りに乾かしてから、いよいよこの時間だ。


 今朝、斉彬くんを追い返してでもランニングを行った理由。

 ゆっくりと体重計の上に乗る。


「うげ……」

 思わずうめいてしまった。今朝のランニングの甲斐はまったくなかった。せめてもの悪あがきとばかりに身体を覆っていたバスタオルをとってみても体重計の数値は誤差レベルでしか変わらない。


 もともと太りやすい体質だったのは自覚してる。だけど北高に来る前からの日課のランニングは欠かしていなかったし、それに加えて毎日地下迷宮に籠もっていたから、ここ数ヶ月は体重も安定していた。むしろ減ったくらい。

 それがここ数週間での異変。


 心当たりはある。もうこれ以上ないくらいに。


「恨むわよ、結希奈ちゃん……」

 思わずぼやいてしまった。完全に責任転嫁……というわけでもない。結希奈ちゃんの作った料理が今のわたしの体重増になっているから。


 つまり、文化祭の『ショーレストラン』の試作品だ。


 明日の本番に備えて当然、メニューの試行錯誤があった。まあ簡単に言うとその時の試食が原因。一食当たりの量はそれほど多くはないんだけど、とにかく試食する種類が多い。


 そう、結希奈ちゃんてば、意外と凝り性というか完璧主義で、あれでもないこれでもないといろいろ試すたびに食べさせられる。しかも、文化祭の準備のせいで地下迷宮に入る頻度も減ったから運動量もかなり減った。

 困ったことに、これがどれもおいしいのだ。


「はぁ……」

 大きなため息。これはもう、あれしかない。あれよあれ。ダイエット。


 今日の文化祭では多分、たくさんの模擬店が出店されるだろう。しかし、わたしは鋼の意思でそれらのすべてを拒絶してスリムな身体を手に入れるのだ!


 よし、行こう。

 わたしは体重計から降りて部屋に戻り、いつもの制服に着替えた。


「それじゃ、行ってくるね」

 まだキッチンで作業してる結希奈ちゃんに挨拶して家を出た。が――


「はぁ……」

 玄関を出た瞬間に再びのため息。それもそのはず。


「こよりさん! さあ行こう!」

 そこには再びやってきた斉彬くんが待っていたのだから、ため息も出るわよ。

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