不思議の国の楓5

 気がつくと、目の前の景色が変わっていました。


 教室の中です。私は、教卓の前に立たされています。いつの間にか身体の大きさも元に戻っています。なのに服は水色のドレスのままです。


 後ろを振り返ると、教室の後ろ半分には椅子と机が並べておかれていて、そのすべてに多くのトランプさん達が座っており、めいめい何か話しています。もちろん、全員同じ顔です。時折、私の方を見たり、指さしています。


 私は怖くなって前を見ました。ちょうどそのタイミングで教室の前の扉が開き、誰かが入ってきました。

 その人は、ゆっくり歩いてくると、まるで先生のように教卓の前に立って手に持っていたノートのようなものを教卓の上に置きます。


「あなたは……」

 小柄でふわふわのくせっ毛がかわいらしくはあるのですが、それとは対照的な鋭い目つき。真っ黒なまるで軍人さんのような制服を身に纏って左腕には『裁判長』という腕章をつけています。


 私はこの方を知っています。そうです。風紀委員長の岡田遙佳さんです。校則に厳しい風紀委員長さんとして有名な方です。

 私は思わず肩をすくめました。あれ? でも、肩には『裁判長』と書かれていたような……?


 コン、コン。乾いた音が教室に響きます。岡田さんが手に持っていた木づちを鳴らしたのです。


「鎮まれ!」

 その瞬間、あれほど騒がしかったトランプさん達が、まるでスイッチを切ったかのように静かになりました。


「それでは、裁判を始める」

 岡田さんが厳かに宣言しました。


「被告人、今井楓」

「は、はい!」

 おもわず返事をしてしまいました。私は被告人なんかじゃありません。


「罪状を」

 岡田さんが言うと、私の左手に座っていたトランプさん――先ほど畑の中にいたスペードの九の人です――が立ち上がりました。ちなみに、右手にも席は用意されているのですが、誰も座っていません。


「被告人は校則で禁止されているにもかかわらず、畑の中に入り込み、あろうことか畑の中で飲食を行いました。加えて、学校指定の制服を着用しておりません。大罪です」


 私はびっくりしました。畑の中に入ったのは事実ですが、私は誘われてお茶をしただけです。服に至っては気づいたら変わっていたのです。それなのに大罪なんて……!


「ち、違います……! 私は……」

 私は反論しようとしましたが、それは岡田さん――裁判長の木づちで叩く音で遮られてしまいました。先ほどよりも大きくて乱暴な、たたきつけるような音です。


「被告人に発言を求めてはいない! 法廷を侮辱する気か!」

「そんな……!」

 私は反論しましたが、岡田さん――裁判長は聞く耳を持ちません。それどころか、トランプさんの話だけを聞いて頷きながら何かノートに書き留めているではありませんか。


 まったく公平ではありません。断言できます。私は何も悪いことはしていません。


 それから岡田さんはおもむろに私の方を向いて、鋭い目で私を睨みつけます。私は少しだけ怯んでしまいましたが、目をそらすことなく岡田さんの視線を受け止められました。これも普段から地下迷宮でモンスターと戦っている成果でしょうか。

 岡田さんは私の方を見て口を開きました。そして、衝撃の一言を放ちます。


「判決を言い渡す。被告人は死刑!」


「ええっ!? そ、そんな無茶苦茶な!」

「刑は即時執行する!」

 岡田さんの宣言に答えるように教室には何人かのトランプさん――どの方も絵札なのが特徴的です――が教室に入ってきて私の周りを取り囲みます。


「連れて行け!」

 取り囲んでいたトランプさん達が私の腕を掴みました。そのまま引きずられるように私は連れ去られていきます。


「痛い! やめてください!」

 私が暴れ出したので、教室の扉近くでもみ合いになりました。そのせいもあって、トランプさん達が私の手をつかむ強さが強くなっていきます。


「痛いです! 離して!」

 叫びました。するとどういうことでしょう、私の腕を掴んでいた絵札のトランプさん達はみな一斉に腕を放して動きが固まってしまっていたのです。

 私はその一瞬を逃しませんでした。トランプさん達を振り払って、教室の外へと逃げ出しました。


「逃げたぞ! 追え! 必ず死刑を執行するのだ!」

 岡田さんの声が後ろから聞こえてきましたが、もう振り返りません。私は全力でその場から離れていきます。




 どういうわけかわかりませんが、教室の外はもとの畑の迷路でした。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 どこを走っているのか全くわかりませんが、とにかく走るしかありません。何せ捕まったら死刑なのです。死刑にはなりたくありません。


 後ろからはトランプさん達が私を追いかけてくるのでしょう、大勢の人たちの足音と息づかい、そして足音が聞こえてきます。

 私はがむしゃらに逃げました。作物が刈り取られてできている通路を無視して、作物の間に入っていきます。枝が髪にからまり、葉が顔を打ち、何かの実に肩をぶつけ、飛び出した根に足を取られそうになってもとにかく逃げ続けます。とにかく捕まったら終わりです。


 しかしその時には気づかなかったのですが、どれだけ走っても畑の外に出ることはありませんでした。そう、この畑は元々学校の校庭に作られたもので、ほんの数分も走ればどんなところにいても畑の外に出られるはずにもかかわらずです。


 訳がわからないまま走っていると、やがて開けた場所にたどり着きました。

 そこは周囲の作物に囲われて外からは見えないようになっている場所で、まるく作物が刈り取られてちょっとしたスペースになっているところです。


 初めて来た場所です。私はここで少しだけ休もうと腰を下ろしました。

 その時、手の先に何かが触れました。


「…………! これは……!」


 テーブルです。ティッシュの箱くらいの大きさの、小さな小さなテーブルです。

 私は驚きました。だって、そのテーブルの上にはさらに小さなティーカップが四組と、米粒みたいに小さなクッキーが散乱していたからです。


 そう、ここはさっき私がシルクハットのコボルトさんやネズミさんやウサギさん達とお茶を楽しんでいた広場だったのです。身体の大きさが変わっていたので全く気づきませんでした。


 私は捕まったときのことを思い出しました。トランプさん達はここにやってきて私を捕まえたのです。

 早く逃げなくっちゃ……。私は息も整わぬまま立ち上がり、その場を立ち去ろうとしました。


 しかし、すでに遅かったのです。


「あ……」

 私の背丈よりも大きな作物の間から同じ顔のトランプさん達が姿を現しました。まるで私が大きくなったのに合わせたように、トランプさん達も大きくなっています。


 前からも、右からも、左からも……。次々とトランプさんが現れます。

 目の前にはジョーカーの絵柄が描かれたトランプさんが現れました。

 計五十三人のトランプさん達は私を取り囲み、じりじりと距離を詰めてきます。


「やれ!」

 ジョーカーさんの号令と同時に、トランプさん達が一斉に飛びかかります。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」

 私の記憶はそこで途切れました。

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