伝説の樹の下で3

 午後は黒魔術の実習だ。普段は教室で行う授業だが、今日は実技をともなうので、魔術実験室に移動しての授業となる。移動ということもあってか、みんなのテンションは上がり気味だ。

 教室の黒板には『魔法増幅』と書かれている。今は教科担当の教師がこれから行われる実習についての説明を行っている。


「魔法の威力を増幅させる方法はいくつかありますが、今日は呪文詠唱による魔法の増幅の実習を行います。先週の授業でも説明したように、増幅の呪文は本来の呪文の前に詠唱する必要があり、また、その後の魔法本体の呪文にも増幅の種類によって異なる変化が――」


 教師の説明が続くが、ほとんどの生徒達はその話を聞いていないだろう。おれも話半分に聞き流していた。

 皆そわそわしている。魔法をぶっ放したくて仕方がないのだ。


「それでは、実際に行ってみることにします」

 待ちに待った一言。さすがに歓声を上げて喜ぶ生徒はいなかったが、皆一様に「待ってました」と言わんばかりに笑顔をその表情にたたえている。




「風よ!」

 その一言でレールに取り付けられた装置が勢いよく動き出す。文庫本サイズのその箱はレールに沿って走っていき、その終端に取り付けられている風船に当たってそれを大きな音で破裂させて止まった。


 実験室には、部屋の端から端までの長さがあるその装置が三台、今日の実習のために設置されていた。

 高さ一メートルくらいの台座の上に取り付けられているレールの終端には風船が、反対側の始点には文庫分サイズの車輪のついた箱が取り付けられている。

 箱のさらに上には帆船よろしく布の帆が取り付けられており、風の魔法によってレールの上を箱が移動していく仕組みだ。


 しかし、車輪は固く調整されており、通常の風魔法では動かないようになっている。これを動かして終端にたどり着かせるためには風魔法を増幅させてより強い風を当てなければならない。


 三つの装置にそれぞれ生徒達が分かれて実習を行う。生徒の数に対して装置は多くないので行列ができるが、それほど難しい実習ではないので多くても二、三回の実行でうまく魔法の増幅ができている。すぐにおれの番まで回ってきそうだ。


「ようし、俺の出番だな。見てろよ慎一郎」

 おれの前に並んでいた徹が腕まくりをするしぐさをしながら装置の前に立った。すでに係の生徒が終端の風船と始点の箱をセットしてくれており、いつでも実験ができる状態だ。


 徹は帆の前に両手をかざして呪文を唱えようとしたが、その前に何か思いついたように後ろに並ぶおれに耳打ちしてきた。

「見てろよ。増幅せずにあの箱を風船の所まで動かしてやる」


 その言葉に一瞬驚いたが、普段から徹の魔法を見ているから、それも不可能ではないだろうと思った。

「まあ、徹の魔法の腕ならそれくらいできるだろうな。ただ、あんまり無茶するなよ」

 そう注意したのだが、どういうわけか徹は目を丸くしておれの方を見た。


「あれ? 俺、お前にそんなに魔法見せてたっけ? 授業でしか使ってないと思うんだが」

「え……?」

 またあの違和感だ。


 何かがおかしい。しかし、何がおかしいのかもわからない。

 徹の言っていることは正しい。徹の魔法は授業で数回見ただけのはずだ。なのに……。


「おい、どうした、慎一郎。ちゃんと見ててくれよ」

 徹のその声で我に返った。徹は帆に手をかざして呪文を唱えている。それは先ほど説明された強化された魔法ではなく通常の風魔法だ。


「風よ!」

 次の瞬間、徹の手のひらから暴風とも呼ぶべき風が巻き起こった。それに押されて箱が動き出す。が、その勢いで術者でもある徹も後ろに飛ばされてしまった。


「おっと。気をつけろよ」

「わるいわるい」

 ちょうどおれの方に飛ばされてきたのでうまく受け止められた。


 しかしそれが悪かった。

 その時、二、三歩だろうか、後ずさったら後ろに並んでいた女子にぶつかってしまったのだ。


「きゃっ」

 小さなその声が聞こえたときにはもう遅く、後ろで並んでいた女子を突き飛ばしてしまった。


「ご、ごめん……!」

 慌てて突き飛ばしてしまった女子に手を伸ばす。長い髪を乱して尻餅をついていたそのすらりとした女子は同じクラスの今井さんだ。おとなしい女子なので、あまり話をしたことはない。


「大丈夫?」

 立ち上がるのを手伝おうと今井さんの方に手を伸ばすが、彼女はおれの手と顔を交互に見るだけでその手を取ろうとはしない。


 伸ばした手のやり場に困っていると、周囲の生徒達をかき分けて小さな影が今井さんのところにやってきた。

「ちょっとあんた達、何やってんの!」


 鋭い声に思わず身をすくませる。その目と同様に眉をつり上げて怒りを露わにしている女子。クラス委員長の高橋結希奈さんだ。


「げ。結希奈だ」

 徹が小声で言ってすかさずおれの影に隠れる。かたや自分流を貫いて何かとトラブルを起こしがちな徹。かたや委員長としてクラスメイト達のまとめ役になることが多い高橋さん。入学以来、何かと相性が悪い二人だ。


 徹の声が高橋さんに聞こえたのだろう、キッときつい目を徹に向けると、徹はすかさず俺を盾にする。


「何であんたなんかに名前で呼ばれないといけないのよ、栗山。馴れ馴れしい!」

 しかしその甲斐もなく、高橋さんはつかつかとこちらに歩み寄ってきて、おれの後ろに隠れる徹に対して怒りをぶちまける。


「見てたわよ。あんたが無茶したから今井さんが突き飛ばされたんじゃない!」

 背後で徹がびくりと身体を震わせるのがわかった。徹としても自分が無茶をしたせいだということはわかっているのだろう。しかしこんな風に問い詰められては徹も謝るに謝れない。


 今井さんの方を見ると、クラスの女子に抱え起こされていたのが見えた。「大丈夫」と笑顔で言っていたので、たいしたことはないのだろう。よかった。後で謝っておかないとな。


「おまえには関係ないだろ……。お節介な奴」

 おれにさえ聞こえるか聞こえないかのレベルだったその声は、しかし高橋さんにはしっかり聞こえたらしく、委員長の怒りはさらにヒートアップする。


「あんたが……そうさせてるんでしょうがっ!」

 高橋さんの手が伸びて徹につかみかかろうとする。しかし徹はすかさずそれをかわす。

 さらに高橋さんが回り込む。しかし徹は逃げる。


 ……どうでもいいけど、おれの身体の周りで追いかけっこするの、辞めてくれないかなぁ。


「まあまあまあまあ。二人とも、落ち着いて。ね、ここはあたしに免じて」

 その時、二人の間に瑠璃が割って入った。二人の間に割って入るということは俺に密着するということで、何だかいい匂いで頭がクラクラする。


「松坂さん、そこどいて! 今日こそは栗山にちゃんとわからせてやるんだから!」

「うーん、それも悪くないけど、今授業中だよ」

「…………!」

 高橋さんの怒りがすっと冷めていくのがわかった。怒りで我を忘れていたようだ。


「ほら、先生も困ってるみたいだし。ね」

 振り返ると、教卓の前で困り果てた表情の教科担任の先生が見えた。

 高橋さんは仕方ないとばかりに大きくため息をついて自分の席の方へ戻っていった。


 戻る途中、徹にしっかりと

「このことは辻先生に言いつけるからね」

 と、釘を刺すのは忘れなかった。


「嫌な奴」

 徹のその言葉は、今度は高橋さんには聞こえなかったようだ。

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