地底の王国4
「……………………」
斉彬と組み合って動きを止めたワニをじっと見つめる一対の瞳。
今井楓が弓弦を引いて意識を集中させる。
彼女の集中力は〈竜王部〉随一だ。慎一郎の集中力もなかなかだが、彼女には一歩を譲る。
以前、弓道場で弓の練習をする楓の所にこよりが差し入れのお茶を持ち込んでいったときのことだ。
練習の邪魔をしたら悪いとすぐ後ろの机の上に熱いお茶を置いておいたのだが、数時間後にこよりが湯飲みを回収しに行ったときにお茶は冷たくなってそのまま置かれていた。
こよりはその時楓に声を掛けたのだが、その時に帰ってきた楓の言葉が忘れられないという。
「あっ、こよりさん。おはようございます!」
すでに日は傾き、弓道場は暗くなっていた。楓は朝から練習を続けていたが、まだ昼前だと思っていたらしい。
それほどまでの集中力は、まだ始めて数ヶ月の弓を扱う上で遺憾なく発揮されている。
威力こそ剣や魔法に及ばないものの、抜群の集中力からもたらされる文字通り糸に針を通すような正確さは敵の弱点を正確に射抜き、パーティーの危機を幾度となく救っている。
楓がすっと目を細める。彼女が弓を射るときの癖だ。
楓の矢でワニの鱗を抜くことはできない。しかしどの生物にも共通の弱点がある。どんな硬い鱗を持っていてもそこは無防備だ。
ワニと楓の距離は十メートルほど。斉彬と力比べをしているワニはほぼ静止状態にある。楓にとっては必中の距離だ。
「はッ!」
息を吐くタイミングに合わせて矢を射る。矢は一直線にワニの弱点――目に向かって吸い寄せられるように飛んでいく。
カンという乾いた音がした。
命中の寸前にワニが目を閉じ堅固なまぶたで矢を弾いたのだ。
「なっ……! マジかよ!」
それを最も近くで見ていた斉彬が目を見開く。
その瞬間、斉彬の力が弱まったのだろうか、一瞬の隙を見逃さずワニは咥えていた〈デュランダルⅡ〉を斉彬ごとクビの力で強引に振り回し、これまで咥えて離さなかった〈デュランダルⅡ〉を吐き捨てた。
「うわっ……!」
持っている両手剣ごと投げ捨てられた斉彬は迷宮の壁に身体を強打する。
「ぐはっ……!」
斉彬という重しを失ったワニは、悠然と最も近くにいるターゲットである楓に向けて歩き出した。
「いや……」
巨大なワニに殺意を向けられた楓は何もすることができず、その場でへたり込んでしまった。
「今井さん……!」「楓ちゃん、逃げて!」
結希奈とこよりが叫ぶが、楓は涙目で首を振るだけで立ち上がることができない。
「くそ……何か手はないか……何か……」
徹は牽制の魔法を連発しているが、足止めにもならない。その傍らで必死に考えを巡らせる。
その時目に入ったのは先ほど上陸したときにゴムボートに置き去りにしてきた部員達の鞄だ。
「こよりさん、手伝ってくれ……!」
「え、ええ!」
徹はこよりとともにゴムボートに向けて走り出した。そうしている間にもワニは楓との距離を詰めていく。
「これじゃない、これでもない……あった! こよりさん、ここに……」
「わかったわ!」
今まさに楓に覆い被さろうとしている巨大な白い怪物。
その時徹が叫んだ。
「こっちだ、爬虫類野郎!」
徹が何か、手のひら大のボールのようなものを投げた。
それはワニのいる場所から数メートル後方に落ちて、少し転がってから止まった。
『どこに向かって投げておる……!』
メリュジーヌが悲鳴を上げるが、それは杞憂に終わった。
ワニがおそるべき速度で徹の投げたボールのようなものに向かっていき、手のひら大のそれをひと飲みにしてしまったからだ。
「今井ちゃん、大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます……。力が入らなくて」
「こっちへ……! 早く離れて!」
徹とこよりが素早く楓をワニから遠ざける。
だが、幾ばくも離れないうちにワニは再び楓の方を向き直る。
「今だ、こよりさん!」
「わかったわ。――爆!!」
こよりが唱えると次の瞬間、くぐもった音とともにワニの胴体が倍ほどに膨らみ、すぐに戻った。
それきり、ワニはぴくりとも動かなくなった。
「ワニが食いつきそうなものを探したんだよ」
ワニを倒した後、負傷した慎一郎や斉彬の治療を行いがてら、昼食を取ることになった。
その時に徹がワニを倒した仕掛けの種明かしをする。
こよりが造った球形の小型ゴーレムの周りに、今日の昼食のために結希奈が用意したアスパラのベーコン巻きのベーコンを巻き付けたのだ。
効果は覿面で、ワニは罠とも知らずに“ゴーレムのベーコン巻き”に飛びついた。
『あさっての方向に投げたのも狙ったというのかや?』
「あったりまえよ」
ワニがベーコンを食べたのを確認した後、十分に距離を取ってからこよりに頼んでゴーレムを破裂させた。
身体の外は強固な鱗で覆われているワニだったが、さすがに身体の中からの攻撃には無力だった。
『なんという工夫じゃ。見事としか言いようがない。じゃが、しかし……』
徹の機転で見事に危機を脱した一行だったが、メリュジーヌの歯切れは悪い。それもそのはず――
「おれはアスパラだけでも美味いと思うけどな。ちゃんと味付けしてあるし」
慎一郎がベーコンのなくなったアスパラを口の中に放り込む。
『それはそうなのじゃが……。ええい、わしはベーコンも食べたかったのじゃ!』
地団駄を踏むメリュジーヌに皆が笑う。こうして全員で楽しく昼食を取れることはかけがえのない幸福なことであると、当のメリュジーヌが一番実感していた。
「とすると、あとはあれだな」
斉彬に続いて皆が振り返る。
ワニと戦っていたときは気にする余裕もなかったが、水たまりから続く道の先には石造りの砦とも神殿ともつかぬ構造物があり、彼らを奥へと誘っているようであった。
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