いのちの水をもとめて6

 再び地下の通路を歩いて行くと、ここに降りてから初めての分かれ道があった。

 Yの字のようになっている三叉路なのだが、奥に繋がっているのは右側の道だけである。左側の通路は落石があったのだろう、岩が崩れていて先に進むことはできない。


 先頭を歩く慎一郎が右側の道を歩こうとしたところ、綾子に止められた。


「まて浅村。どこへ行く?」

「どこって、こっちの奥の方ですけど……」

「酒の匂いはこっちからだ。行くぞ」

「行くって……岩が崩れてますけど、どうやって?」

「お前、なんとかできないのか?」

「なんとかって言われても……」


 顧問の無茶ぶりに困った表情の慎一郎だったが、そこにメリュジーヌのアバターがとことこと歩いてきて崩れている岩をじっと見る。


『ふむ。この程度ならじゃろう』

「斬れる……って、どうするんですか?」

 そう聞いてきた楓の方を向いて、メリュジーヌは我が意を得たりと言わんばかりに“にかっ”と笑う。


『もちろん、でじゃ』

 メリュジーヌが指さしたのは慎一郎の腰に刺さっている〈エクスカリバーⅡ〉だった。




 〈エクスカリバーⅡ〉は、こよりが錬金術で作成した特殊合金を姫子が鍛え、結希奈が加護を与えたものだ。メリュジーヌの経験を受け継ぐ今の慎一郎であればこの程度の岩は斬れるというのがメリュジーヌの主張だ。


『そうじゃ。精神を研ぎ澄ませよ。力を一点に集中させ、それを一気に開放させる……』

 メリュジーヌのアドバイスのもと、慎一郎が剣を構える。


 普段であれば腰を低く落として半身の体勢になり、身体の力を抜いて最大四本の剣を自在に動かせるようにしているのだが、今は動かない目標いわを相手に剣一本で対峙している。


 右手に持った剣を肩の高さで水平に持ち、肘を後ろに下げる。左手は剣の切っ先に添えるように構える。一見、突きを繰り出すような構えにも見えるが、慎一郎にとって精神を集中させるにはこの構えが一番やりやすかった。


『構えなどどんな形でも良い。その者にとって最もやりやすい形にすればよいのだ』

 とは、メリュジーヌの教えである。メリュジーヌの忠実な教え子である慎一郎はそれに従い、最もやりやすいこの構えを見つけ出していた。


 精神を集中させ、目の前の岩を見ていると、少しずつ岩のことがわかってくる。

 それはいくつかの大きな岩と、多くの小さな岩が絶妙なバランスの上で成り立っている。それらは意外なほどしっかりと組み合わさっており、少々力を加えただけでは崩れそうにない。


 だから、


 すぅと息を吸った。剣を持った右手が剣と一体化する感覚。さらに押し進めると、身体全体が剣と一体化して、ついには自分と剣の区別がつかなくなる。

 自分――剣にどれくらいの力があり、どこをどうすれば斬れるのかが手に取るようにわかる。

 ごく自然に、当たり前に剣が出た。アルファベットのXの形に斬る二連斬り。


 〈エクスカリバーⅡ〉は当たり前のように岩に吸い込まれ、まるで豆腐を切るかのように重さ数百キロもあろうかという巨大な岩を粉砕した。


 慎一郎が思い描いたとおりに崩れる岩。それらは目の前に立っていた慎一郎を避けるように崩れ、向こう側の通路と繋がった。


『ふむ。まあまあじゃの』

 彼の剣の師匠はなかなか厳しかった。




 通路を塞いでいた岩は崩れたとはいえ、その高さはまだ腰ほどはある。

 慎一郎は慎重にその上に登ると足元を確認し、楓と綾子を引っ張り上げて、そして向こう側に下ろしてやった。


「よっ、と」

 白衣をふわりとはためかせて綾子が岩の破片から向こう側の通路へと降りる。


 そこは、大きな広間だった。


 広さは教室より少し大きいくらいだろうか、天井は高く、地下であるにもかかわらず、これまでの狭い通路と異なり、圧迫感はない。

 目につくのは部屋の中にいくつも設置されている巨大な壺のようなもの――いや、これはかめだ。


 そう。ここは人の手によって整備された部屋だ。


 部屋の中にいたジャージ姿の生徒達が突然崩れ落ちた部屋の岩壁に驚き、崩れた岩をよじ登って現れた三人の男女を見つめている。


「な、何ですかあなた達は。ここは醸造研……」

「酒だ!」

 慎一郎達に近づいてくる代表らしき生徒の横をすり抜け、綾子が瓶に走り出す。瓶に立てかけてあるはしごに登り、その中に飛び込みそうな勢いで頭を突っ込んだ。


「先生、何やってんですか!」

 そのまま瓶の中に入って酒を飲み干してしまうのではと危惧した慎一郎が叫ぶ。

 が、予想に反して綾子はすぐに顔を瓶から出した。今にも泣きそうな表情とともに。


「ど、どうしたんですか……?」

 しょんぼりとした表情で瓶にかけたれたはしごを下りてきた綾子に楓が声を掛けた。


 綾子は今にも倒れそうなほどに憔悴しきっており、やっとの事で一言だけ絞り出すように言った。


「お酒じゃなかった……」

「当たり前じゃないですか。北高ここにいるのは先生以外、全員高校生。未成年ですよ」

 そう言って現れたのは先ほど綾子の前に出てきて何事か言おうとした眼鏡の女子生徒だ。


「“醸造研究会”ではお酒は造っていません。造っているのは醤油やみりん、酢です」

 女子生徒は綾子に向けてとどめの一言を言い切った。


「そ、そんな……私の……お酒……みりん……」

 綾子はそう言い残すとそのままばたりと倒れた。


「せ、先生――!」

 慌てて駆け寄る慎一郎達の姿を綾子はもちろん覚えていない。




 “醸造研究会”は家庭科部など、いくつかの調理系の部が部員を出し合って作った部である。その名の通り、醤油やみりんなど、料理に欠かせない調味料を作って卸している。

 こんな地下迷宮に活動拠点を構えているのは、地下の方が温度が一定しているからに他ならない。


 ちなみに、慎一郎が破壊した岩は反対側から見ればきちんと整備された石の壁だった。あちらからはモンスターが出るので塞いだのだという。正式な入り口は本校舎の近くに隠すことなく設置されているという。


 そして、比喩ではない“命の水”である酒を切らした綾子というと……。


「三番瓶の熟成は明日の八時までだ。そこ、何をトロトロしてる! 次の工程に移れ! グズグズしてると尻に酒瓶ぶち込むぞ!」


 醸造研究会の顧問に就任していた。


 曰く、「醤油も酒も、みりんも酒も、酢も酒も材料は同じ」だそうで、早期の発酵に用いる魔法陣の違いによって同じ材料で醤油やみりんや酢を酒に変える方法を開発したらしい。

 最近では蒸留酒を造るために錬金術師であるこよりを引っ張り回していたり、園芸部に麦を作らせて麦酒ビールを作ろうとしていたりしているとか。


 今まで聞いたことがないような綾子のやる気ある声が今日も醸造所に響き渡る。

 調味料に加えて綾子用の酒まで造ることになった醸造研究会だったが、その味は格段にアップしたともっぱらの評判である。


「あー、お酒おいし♪」

 綾子の酒(と調味料)造りの探求はまだ始まったばかりである。 

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