いのちの水をもとめて5

 幸い、穴はそれほど深くなく、三人とも怪我なく着地することができた。

「光よ!」

 綾子が呪文を唱えると光の珠が現れ、あたりを照らし出す。


 教師の使う〈光球〉の魔法は、生徒達が使うものと異なるのかと言われると、ほとんど変わりはない。

 現代では魔法は○ニーやパ○ソニックや○芝などの魔法メーカーが開発した魔法を使っており、これらの安価で誰でも使えるレベルの魔法は大人から子供まで誰が使ってもほとんど効果が変わらない。

 逆に言うと徹やこより、結希奈が使っている魔法はこの数ヶ月でかなりアレンジが加えられており、市販の魔法よりも格段に威力や効率が上がっているのだ。


 しかし〈光球〉のようなある一定以上の光量があればいい魔法などに改良の余地はなく、綾子が使う魔法も徹や結希奈やこよりが使う魔法も(メーカーの違いはあれど)効果という点ではほとんど変わりはない。


「行くぞ。はぐれるなよ」

 さすがに地下迷宮の中になると綾子も後ろに続く生徒達を放っておくことはできないようだ。モンスター跋扈する地下迷宮に生徒達を連れて自らの趣味嗜好のために入っていくこと自体が教師としてどうなのかという問題はさておき。


 魔法の明かりに照らされた地下通路は不可視の壁に沿って外周を少しずつ下っているようだ。

 こよりが普段地下迷宮を探索するときに持ち込んでいる魔法のマップがないため、詳しいことはわからないが、おそらく、〈竜王部〉がまだ探索していない通路なのだろう。

 もしかすると既知の場所とは繋がっていないのかもしれない。


 数分間、ゆっくりとした足取りで下り坂を進んでいくが、土壁のトンネルにはこれまでの所、分かれ道のようなものはない。これなら地図がなくても迷うことはないだろう。

 無言のまま、通路の中を歩いて行く。綾子の足取りに迷いはない。


 分かれ道のない通路をさらに進んでいくと、〈光球〉に照らされた影が奥の方に見えた。

「……!!」

 すかさず慎一郎が身を落として剣を構える。校内では武器を携帯して歩くことは禁止されていたが、先ほど取り落とした剣を一本だけ持ってきてしまっていたのが幸いした。


「先生、下がって」

 綾子を庇うように慎一郎が前に出る。綾子が光源を前に動かすと、その光を不気味に反射する一対の瞳。


「浅村くん、気をつけて……」

 武器を持っていない楓が心配そうに声を掛けてきた。慎一郎は彼女を安心させるために少しだけ振り向いて笑い、再び影の方を見る。


 影がゆっくりとこちらに振り向くのが見えた。通路の大きさから比較すると、体高一メートル弱くらいの四足のモンスター。モンスターはゆっくりと身体を低くして、身体に力を溜めるのがわかった。


『来るぞ!』

 メリュジーヌの警告が飛ぶのと同時にモンスターが勢いよく走り出した。


 ――ブモォォォォォ……!


 巨大な肉の塊が猛烈な勢いで迫ってくる。鋭い牙に特徴的な鼻。短い足をフル回転させて迫ってくるイノシシのモンスター。

 コボルト村で倒したあの巨大なイノシシ――“”の〈守護聖獣〉――とは比べものにならないが、それでも野生の猪よりはふたまわりほど大きい。


 脇目も振らずに慎一郎に突進してくるイノシシ。速度が乗っているうえに重さもある。正面からぶつかってはこちらが不利だ。

 一瞬のうちに慎一郎は判断を下した。相手の勢いを利用してすれ違いざまに打撃を与え、イノシシを壁にぶつけて停止させつつダメージを与える。


 イノシシは上り坂をものともせずに登ってくる。それはかつて、同じような坂を猛烈な勢いで駆けてくる巨大イノシシを彷彿とさせた。このモンスターは間違いなくあの巨大モンスターの眷属だ。

 あの時は蔦の魔法や縄で勢いを減じたり、落とし穴を掘ったりといろいろ工夫したが、今はそんな余裕もなければ人手も足りない。


 イノシシが迫る。意識を集中させると時間がゆっくり動くように感じる。余計な音が消え、イノシシの足音と自分の心音だけが聞こえてくる。しかし、視野は狭くならない。周囲のあらゆるものが手に取るようにわかる。後ろで控えている綾子や楓がどこにいるかもわかる。


 イノシシが正面からぶつかる瞬間、慎一郎は少しだけ体重をずらしてイノシシを左から受けるように身体を動かす。

 その時であった。イノシシと目が合った。


『いかん! 奴め、フェイントを……!』

 メリュジーヌが叫んだときは慎一郎はイノシシの突撃を正面から受け止め、大きく弾き飛ばされていた。地面にぶつかる衝撃で肺の中の空気が強制的に排出される。


「ぐはっ……!」

 すぐに起き上がらねば……。後の二人は丸腰だ。この状態であのモンスターに襲われれば……。


 そう考えたが身体は言うことを聞かない。どうにか首だけを起こすと、今まさに最悪の事態に発展しようとしていた。

 イノシシが綾子と楓に向けて突進している。あの牙が当たればただでは済むまい。


「先生には、指一本……ひづめ一本だって触れさせません!」

 楓が両手を広げて綾子の前に立ち塞がるが、焼け石に水なのは明らかだ。彼女もそれは十分承知しているだろう。身体が細かく震えているのがわかる。


 仁王立ちになる楓の脇を、ゆらりとひとつの影がすり抜けていった。

「…………先生!?」

 楓が守ろうとした綾子その人が楓の前に躍り出る。予想外のことに楓は一瞬固まってしまった。


 しかし、楓のそんな驚きなど全く気にすることなく綾子は迫り来るイノシシの前に躍り出て、悪意ある魔物を睨みつける。


 そして――


 バゴンという、今まで聞いたことがない音ともに、迷宮全体が揺れたのではないかというほどの衝撃がした。と同時に、


「私の生徒に何してくれんだコラ――――――――!!」

 思わず声の主を見た。


 そこには、据わった目で横向きに壁にめり込んでいるイノシシを睨みつける綾子の姿があった。ぜいぜいと荒く息をしてこれでもかとイノシシに蹴りを入れている。

 哀れすれ違いざま綾子から胴体に強烈な蹴りを入れられたそのモンスターは、壁にめり込んだまま身動きも取ることができず、ただなすがままの状態だ。

 時折、思い出したかのように苦しげな声を上げるのがまた哀れさを醸し出す。


「…………」『…………』「…………」


 生徒達とメリュジーヌの乾いた視線を感じ取ったのか、イノシシに何度か蹴りを入れた後、取り繕うように咳払いをすると、

「すまん、見苦しいところを見せた」

 と、ばつが悪そうに一歩下がった。


 その隙を見計らってイノシシはその胴に綾子の外履き用のサンダルの跡をいくつもつけたまま、ふらふらと通路の奥へと逃げ去っていった。


 当の綾子は、

「まったく、酒が切れると加減ができん」

 などと言いながらさらに通路の奥を目指して 一人ひたひたと歩いて行ってしまう。


『何だったんじゃ、今のは……?』

 そうつぶやくメリュジーヌの声に応えるものはなく、慎一郎と楓は養護教諭の後を追いかけるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る