群羊を駆りて猛虎を攻む2

                        聖歴2026年9月2日(水)


 九月になり、朝晩の空気に少しずつ秋の雰囲気が混ざるようになってきた。


 朝靄の中、ジャージ姿の男子生徒が二人、両手に抱えるほどの大きさの段ボール箱を抱えて歩いている。おそらく、どこかの部で早朝に採れた野菜だろう。農業系の部が料理系の部に早朝作物を卸す光景はここ北高では珍しい光景ではない。

 ふと、そのうちの一人が立ち止まった。その生徒は目の前にある高さ二メートル、幅四メートルほどの大きさの板――掲示板を見て足を止めたようだ。


「おい、何やってんだ。早く持ってかないと部長にどやされるぞ」

 それを見とがめたもう一人が掲示板の前に戻ってきた。


「いや、それがな……」

 そう言ってくい、と顎を掲示板の方へ少し動かす。見て見ろということらしい。


「……?」

 言われたもう一人の生徒の方が掲示板をのぞき込む。


「なになに……。生徒会長候補ぉ?」

 掲示板に貼ってあるポスターには風紀委員会の“認可”という印とともにこう書かれていた。


 生徒会長候補 榎田信司えのきだしんじ

 2年E組 風紀委員会所属

 規律正しい北高を実現するために微力ながら尽くします!


「な、驚いたろ? こんな状態だってのに生徒会長選挙なんてやるのか?」

「俺は今の生徒会長のままでいいと思うけどな。選挙とか、めんどいし」

「そうだよな。こちとら、収獲だけで精一杯だっての。ああ、腰がいてえ」

「知ってるか、お前? この前、マッサージ屋が開業したらしいぞ。かわいい女の子がやってるって噂だ」

「マジで!? 俺、ちょっと言ってみようかな」


 掲示板の前でタンボールを抱えた二人がそんな話をしているとき、彼らの会話を遮るようにガガッとノイズのような音が走った。


『あぁ……テステス。マイクテス』

 校内のいろんな所に取り付けられているスピーカーからの音声だ。


 かつては毎日チャイムを鳴らして生徒達に授業の開始終了を告げていたこのスピーカーも、北高が封印され、チャイムが鳴らなくなってからは部長会の招集など、ごく限られた場合を除いて使用されることはなくなっていた。最近使用されたのは花火大会の開催時だろうか。これを管理していた放送部は今では野菜を作っている。


『よし、ちゃんと聞こえているようだな』

 少し高めの女子生徒の声だ。そして改めて放送前に鳴らされるチャイムの音のあと、女子生徒の声が聞こえてきた。


『北校生の諸君、おはよう。私は風紀委員長の岡田遙佳おかだはるかだ』


 声の主は風紀委員長の岡田遙佳だとそれでわかった。規律に厳しく、校則に従わないものは例え生徒会長であっても容赦しないと評判の“鬼軍曹”だ。その二つ名にふさわしく、軍服のような制服を風紀委員に強いている。


『今日は諸君に重大なお知らせを行うためにこの放送を行うことにした。どうかそのまま聞いてもらいたい』

 そこで一旦話を切り、改めて遙佳は話し始めた。


『校則によると現生徒会の任期は文化祭の翌日、十月五日までとなっている。しかし現生徒会は非常事態を理由にこれを無期限に延期するという決定を何の権限もなしに行った。もちろん、これは校則違反である。この非常事態にわれわれ風紀委員会は生徒会長選挙の実施を独自に行うことにした。これを受けて生徒会長選挙がきたる九月十七日に行われる。生徒会長候補の受付は風紀委員会にて行っている。立候補は北高生であれば誰でも可能だ。生徒諸君は奮起して立候補し、政策を競わせてもらいたい。以上だ』


 マイクが置かれる音。少しして付け加えるように再び遙佳の声がスピーカーを通して聞こえてきた。


『ひとつ付け加えさせてもらおう。十月六日以降、現生徒会は解散され、何の権限もなくなる。生徒諸君は彼らの言葉に惑わされぬよう、注意を喚起するものである』


 再びのチャイム音のあと、放送は終了した。

 しかし、すでに掲示板の前には誰もいない。




「よろしいのですか?」

 早朝の生徒会室で、風紀委員長の放送を聞いた副会長のイブリースが会長の菊池に問う。


「かまわないさ」

 菊池は自席の後ろにある生徒会室唯一の窓から中庭を見渡す。そこには、早朝から何より彼ら自身が生きるためにはたらく生徒達の姿が見えた。


「北高は自主性を重んじる校風だ」

「しかし……!」


「自主性を重んじる校風なのだよ、イブリース。新しい生徒会長を僭称するのも、それを拒否するのも、全て北校生に委ねられている」

 菊池は少し離れた場所に立つイブリースの方を向き直った。


「イブリース」

「はい」

「僕はね、自分の行動に絶対の自信を持っている。今までも、そしてこれからも。そして、それは北高生たちにしっかり伝わっていると確信しているよ」


 その言葉に、イブリースはただ無言で深々と頭を下げるだけだった。

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