群羊を駆りて猛虎を攻む3

                        聖歴2026年9月3日(木)


「浅村、行ったぞ!」


 斉彬が傍らの岩を彼の〈デュランダルⅡ〉で叩くと、大きな音が鳴った。その音に驚いた白い塊は向きを変えて慎一郎の方へとやってきた。

 白い塊の動きはそれほど早くない。今の慎一郎であれば難なく対処できる早さだ。

 慎一郎は腰を低く落とし、いつでも動き出せる体勢を取りながら襲いかかってくる白い塊をじっくりと見る。


 よく見るとそれはひとつの塊ではない。

 いくつもの白い塊が一体となってまるでひとつの意思で襲いかかってくるようだった。


 その塊ひとつひとつをじっくりと見る。

 どれも変わらないように見える。いや、ほとんどは全く同じ姿形をしている。

 しかし、その中で一頭だけ異なる姿をしているものがいるはずだ。


 それが、“ひつじ”の〈守護聖獣〉。

 激闘の末、“うま”の〈守護聖獣〉を倒してからわずか十日余りで〈竜王部〉は“未”のほこらと〈守護聖獣〉を発見した。


『シンイチロウ、限界じゃ』

「いや、大丈夫。ぎりぎりまで引きつける」

 メリュジーヌの指示にも従わず、ただじっと迫り来るヒツジのモンスター達を見る。

 群れの中にただ一頭だけいるはずのボス。〈守護聖獣〉でもあるそれを見つけ出すのだ。


『避けろ、シンイチロウ!』

「……! しまった!」


 気がついたときにはヒツジの群れはすぐ目の前に迫っていた。ヒツジは臆病で、大きな音を出すとそれに驚いて逃げてしまう。それを利用して部員達で群れを囲んで順番に群れを動かし、その隙に〈守護聖獣〉を探す。そういう作戦だった。

 しかし追い詰められたヒツジたちは目の前の人間――慎一郎から逃げるわけではなく、突進を選択した。ヒツジがパニックに陥っていたのが災いしたのだ。


「ぐはっ……!」

「きゃぁぁぁっ!」「慎一郎!」


 楓の悲鳴と結希奈の叫び声が迷宮内にとどろく。慎一郎はヒツジの群れに大きく跳ね飛ばされ、そのままヒツジの群れの上へと落下していく。そして――


「あ、あれ……?」

 ぽよんとヒツジのふわふわの体毛が優しく落下してきた慎一郎を受け止め、そのままノーダメージで群れの外に押し出されてしまった。


「慎一郎、大丈夫?」

 すかさず結希奈が駆け寄り、慎一郎の状態を確認する。

「あ、ああ……。なんともない。大丈夫だ」


『まったく、集中するのもよいが、自分の身の安全を確保してからじゃ!』

「悪い」

 メリュジーヌの叱責に慎一郎は素直に頭を下げた。


 そうしている間にもヒツジの群れは進行方向を変えて今度は徹の方へと向かっている。


「くそ……。こんな雑魚、魔法で一撃なのになぁ……」

『そういうわけにも行かぬ。全ては充実した食生活のためじゃ!』

「はいはい、わかりましたよ」

 ぼやきながらも徹はヒツジの群れをじっと見る。やはり〈守護聖獣〉を見極めるためだ。


 彼らがヒツジになるべく危害を加えないように、〈守護聖獣〉だけを倒そうとしているのには深いわけがあった。





                        聖歴2026年9月2日(水)


「ピンチよ」

 その日の朝、地下迷宮に入る前に毎日行われているミーティングの席で開口一番、結希奈がそう告げた。


「ピンチ……?」

 こよりがまだ眠そうな顔でお菓子を口に放り込みながら聞いた。最近販売が開始され、瞬く間に人気商品となったポテチだ。


「そう、それよ、こよりさん!」

 ビシィ! と結希奈がこよりを指さし、他の皆がこよりがくわえているポテチに注目する。


「これ? ポテチ?」

 ぱり、という音が朝の部室に響き渡る。


『シンイチロウよ、わしもポテチが食いたい』

「いいから、結希奈の話を聞けよ」

 そんなメリュジーヌと慎一郎のやりとりが聞こえているのかいないのか、結希奈はそこにいる全員を見渡し、衝撃の事実を告げる。


「部のお金がもう残り少ないの。このままだと、昼のお弁当がなくなる」


『な、なんじゃと――――――――――――――――!!』

 いの一番に反応したのはやはりメリュジーヌ。あまりの声の大きさにそこにいる全員が思わず耳を押さえる。もしこれが誰にでも聞こえる声なら間違いなく苦情が来るレベルの声だった。


『ど、どういうことじゃ? わしの唯一の楽しみがなくなるというのか?』

 今度はうろたえ、すがるように結希奈に訴えかけるメリュジーヌ。涙を流し、オロオロと泣いている。これがあの歴史に名高い竜王だとは誰に言っても信じてもらえないだろう。


「落ち着いて、ジーヌ。『このままだと』って言ったでしょ」

「ということは、まだ金は尽きてないってことか?」

「今はまだ、ね」


 謎の魔術的封印によって外部と隔絶されている今の北高は、独自の貨幣経済で成り立っている。生徒会が発行した独自通貨〈北高円〉によって校内で生産されるさまざまなモノやサービスを購入することができるのだ。


 他の多くの部がさまざまなモノやサービスを生み出して〈北高円〉を得ているのに対し、生徒会から直々に地下迷宮の探索を依頼されている〈竜王部〉は、自ら価値を生み出すことができない。

 その代わり、生徒会から定期的に報酬を得たり、地下迷宮で採れる鉱石や肉などを売ってお金にしていたが、それを専門にしている部に比べたら微々たるものだ。


 各部によって違いはあるだろうが、〈竜王部〉は部全体で得たお金の一定量を部のお金としてプールし、残りを部員個人のお金として分けている。お金の管理をしているのは結希奈だ。


「ということは、バイトする必要があるわけか。うーむ、短期ならともかく、あれはオススメできんぞ」

 斉彬が腕を組んで唸る。彼は以前、こよりの誕生日プレゼントを購入するために短期のバイトをいくつか掛け持っていたことがある。


「いや、あれはバイトがというより、斉彬さんの働き方に問題があったんじゃないんですか?」

「そうなのか?」

 慎一郎の指摘に目をみはる斉彬。どうやら、彼は働くということは心身共に限界まで酷使するということになるらしい。


「あ、あの……」

 部室の奥の方で声がした。ような気がした。


 皆が不審に思って声のしたと思われる方を見ると、そこには鍛冶部と掛け持ちで〈竜王部〉に参加している外崎姫子がいた。


「ひっ……!」

 姫子は皆の注目を浴びたことに怯えて机の陰に隠れてしまった。


 しかし、すぐに恐る恐る顔を出してきて、皆の注目に耐える。


「どうしたの、外崎さん?」

 こよりが姫子に優しく聞いた。以前、ともに武器を作ったことがあるからか、姫子はこよりにもっとも気を許しているように見える。懐いているともいう。


「あの……。鍛冶部のお金を……〈竜王部〉に入れてもいいかなって……お、思います。うひっ! め、迷惑ならいいけど……」

「迷惑だなんてそんな……!」

 こよりが手を振って姫子の言を否定した。


「でも、鍛冶部と〈竜王部〉は別の部ですから、頼るわけにはいきませんよね……」

 楓が困った表情で姫子を見た。それでまた姫子が少し机の後ろに入ってしまった。


「鍛冶部には無料ただで武器を作ってもらってるし、これ以上頼るわけにはいかないですよ。お気持ちだけ受け取っておきます」

「うぅ……わ、わかった……わかりました……」

 慎一郎の言葉に姫子は自説を引っ込め、また同時に机の影に隠れてしまった。


『ヒメコに頼るのは論外だとしても、ならばどうするんじゃ? 毎日の食事の問題じゃ、ことは一刻を争うぞ』


「私が弓道部から借りてきましょうか?」

 楓が手を上げた。彼女は今も弓道部との掛け持ちであり、その結びつきは強い。


「それはダメでしょ。弓道部は活動休止中だし、もしかすると俺たちよりも財布が心許ないかもしれない」

 徹の指摘ももっともだ。先の戦いにより半壊状態になった弓道部は、部員達が揃って療養に入っており、〈竜王部〉以上に収入のあてがないはずだ。


「そうですね……。すみません」

 楓がしゅんと小さくなってしまった。


「ううん、今井さんの気持ちはうれしいわ」

 結希奈は楓に優しく微笑みかけ、そして皆を見渡して続けた。


「実はね、ちょっと大きめの“依頼”が入っているのよ」

 校内で最も地下迷宮に通じている〈竜王部〉には時折他の部から“依頼”が持ち込まれる。多くは地下迷宮内でしか採れない植物や鉱物、それにモンスターの肉だ。

 しかし最近では地下迷宮に入る部が増えてきて、そういった“依頼”の数も減っていた。

 〈竜王部〉の財政が厳しくなった原因の一つにこの“依頼”の減少が挙げられる。


「あてがあるなら最初から言えよ……」

「何か言った、栗山?」

「何も」

 結希奈に睨まれた徹が彼女から視線を逸らした。


『それで、“依頼”とはなんじゃ、ユキナよ?』

 メリュジーヌの一言に、結希奈は待ってましたと胸を張る。小柄な身体に不釣り合いな大きな胸がより強調された。


「みんな、この依頼を受けてきたあたしに感謝しなさいよ!」

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