群羊を駆りて猛虎を攻む

群羊を駆りて猛虎を攻む1

                       

                      聖歴2026年6月19日(金)?


 ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ……。


 脳内で鳴り響くのは時計アプリのアラーム機能の音だ。もう朝か。

 世の中には起きられない人のためにアプリと連動したマジックアイテムのボタンを押さないと止まらないタイプの目覚ましもあるらしい。つまり、起き上がってボタンのあるところまで歩かないと頭の中で延々とアラームが鳴り続けるのだ。

 しかし、慎一郎はそこまで寝起きが悪いわけではないのでそんな目覚ましは持っていなかった。


 時計アプリに意識を集中してアラームを止めた。カーテンの隙間から差し込んでくる朝日がまぶしい。今日はいい天気だ。


 慎一郎はむくりとベッドから起き上がった。

 階下からは朝食のいい匂いと、母が何かを刻んでいるトントンという音が聞こえてくる。


 夏服の袖に腕を通した。今月から着始めた北高指定の夏服。もう半月余が経過したにもかかわらず、どうにも違和感がある。

 制服に着替え、通学鞄と〈副脳〉ケースを持ち階下へ移動。両親に挨拶をして顔を洗い、朝食を食べて家を出る。いつも通りだ。


「いってきます」

 外は昨夜の雨のおかげか、それほど気温は上がっていない。しかし初夏の強烈な日差しが濡れた道路をすぐに乾かし、すぐに肌を焦がすようになるだろう。


 少し早足で学校への道のりを歩く。

 時間がないわけではない。ただ、部活動をしていない慎一郎は時折、無性に身体を動かしたくなることがあるのだ。そして、今日はそんな気分だった。


 抜けるような青空、まぶしい朝日を反射する雨露。いつもの通学路だが毎日少しずつ異なるそんな風景を見ながら早足で歩いていたのが問題だったのかもしれない。

 住宅街の狭い曲がり角の向こうから人影が出てくることに気がついたときはもう遅かった。


「ひゃん!」

 どん、という鈍い音と同時に数歩後ずさる。


 あまり大きな衝撃ではなかったが、相手にとってはそうではなかったようだ。

 曲がり角の向こうで女の子が尻餅をついて痛そうに顔をしかめている。


「ごめん、よそ見してて……。大丈夫だっ……た……」


 慎一郎の言葉が尻すぼみになったのはある一点に目が釘付けになったからだ。

 紺色のミニスカートの中からすらりと伸びる白い太股、そして更にその奥にある白とピンクのしましまパンツ。その中心部分は少し盛り上がっているが、更に一部分は数字の“1”のような縦にしわが寄っていた。


 女の子は自分の痴態に気がついたらしく、すぐに足を閉じてスカートを押さえた。その勢いは『ばっ』と音が聞こえてきそうなほどであったが、それは慎一郎の脳裏にはしっかりと焼き付けられていた。


「み、見た……?」

 若干顔を赤くして上目遣いに聞いてくる女の子。年の頃は慎一郎と同じくらいだろうか。大きな目に筋の通った鼻梁。少し丸顔だがそれが愛らしさを演出している。そして短く切りそろえたショートカット。全体的に清潔感を覚えさせる女の子だ。


 女の子の問いに慎一郎は少しの間逡巡する。どう答えるのがベストなのだろうか。

 そして、少ない経験から導き出した答えを発する。


「み、見てない……かな……?」

「嘘つき」


 女の子はそれだけ言うと、小走りに去っていった。短いスカートで走るのだから、足を上げるたびにちらちらと白い太股が目に入って精神衛生上、大変よろしくない。

 慎一郎は彼女が見えなくなってしばらくの間、ぼーっと突っ立っていた。




 余裕を持って家を出ていたにもかかわらず、教室に着いたのは朝のホームルームぎりぎりの時間だった。


「よう、珍しいな。慎一郎が遅刻ぎりぎりなんて」

 肩で息をしながら机の脇に鞄と〈副脳〉ケースを掛けていると前の席に座る徹に声を掛けられた。


「まあ、いろいろあって」

 自他共に認める“女の子好き”な徹に今朝の出来事を話しても面倒なだけなので、曖昧に答えた。


「へぇ、いろいろ、ねぇ……」

 机の上に肘をつき、ニヤニヤと笑いながら慎一郎の方を見上げてくる。こういう時の徹はろくなことをしない。


「もしかして、女の子がらみとか……?」

「なっ……!?」

 どうして知ってるんだ、と言いそうになったのをぎりぎりのところで呑んだ。しかし、徹にはそこまで言わずとも通じてしまったようだ。


「マジで? どこの誰? 何があった? 美人だったか?」

 がばりと立ち上がって慎一郎に詰め寄る徹。肩を掴んで問い詰めるように顔を近づけてくるから、慎一郎は必死に顔を遠ざけるしかない。


 男に言い寄られているような形になっている慎一郎を救ったのは、教室の扉を開ける音だった。


「静かにせい。ホームルーム始めるぞ。委員長」

 入ってきたのは銀髪緑眼の、小学生にしか見えない小柄な小柄な人物――慎一郎の一年F組の担任、だ。


 とても先生には見えないが、怒らせると非常に怖いことはこの三ヶ月で皆身にしみて理解しているので、先生が入ってくると教室は波が引くように静かになった。

 委員長の号令で礼をした後、先生は教卓の前に立つ。そのまま立つと顔が教卓に隠れてしまうので、専用の台の上に乗っている。


「休みはいるか? いたら返事せい」

 当然誰も返事をしない。かなりいい加減な先生だが、教育熱心で生徒達には慕われている。


「よし。皆おるようじゃな。今日は皆に大ニュースがある。心して聞くが良い。特に男子、喜べ」

 大ニュース? と、教室がざわめく。しかしメリュジーヌはそれに動じることなく今し方自分が入ってきた扉の方を向き、声を掛けた。


「ルリよ、入ってこい」


 扉が開かれ、入ってきたのは一人の女子生徒。ショートカットがよく似合う、スマートな女の子だ。楚々とした足取りでメリュジーヌの隣まで歩いてくる。

 先ほど以上に教室がざわめいた。主に男子達が。特に徹が。


「今日からこのクラスのメンバーになる、マツサカルリじゃ。自己紹介せよ」

 少女は「はい」と小さく頷いてから黒板に文字を書いた。そこには控えめで、かつ上品に『松坂瑠璃』と書かれていた。


 そして回れ右をしてクラスをぐるりと見渡してから口を開く。


「みんなー、松坂瑠璃まつさかるりです☆ よっろしくね――♪」

 それまでの上品なたたずまいとはまるで異なるその自己紹介に、徹を含めた全員がずっこけた。


「ま、まあ、大変元気でよろしい。席は、そうじゃな……あそこじゃな」

 そう言ってメリュジーヌが指さしたのは慎一郎の隣の席。


「はぁ~い、わっかりましたぁ☆」

 瑠璃はスキップしながらメリュジーヌに言われた席――慎一郎の隣へと移動する。そのスカートが短いので、白い太股が見え隠れして目に悪い……。


(あれ? どこかで……?)

 慎一郎がそう思うとき瑠璃と目が合った。すると瑠璃はスキップしていた足を止め、まじまじと慎一郎を見る。そして彼の方を指さし、


「あーっ、あんたはスカートめくり魔!」

「……!! な、何言ってるんだ!」

「だって今朝、私のスカートの中見たじゃない!」

 思い出した。この転校生――松坂瑠璃は今朝登校時にぶつかったあの女の子だ。


「違……あれは」

「おい慎一郎! どういうことだ? 俺の瑠璃ちゃんと知り合いなのか?」

 徹が突然振り返り、慎一郎の机をどんと叩いた。


「えー、誰? 私キミのこと、しらなーい☆」

「ま、まってくれ! 誤解だ!」

「えー、でも、私のパンツ見たのは本当じゃない。とってよね、セ・キ・ニ・ン♡」


「慎一郎~~~~~!」

 ついに徹が慎一郎につかみかかった。襟首を押さえ、締め落としにかかる。


「や、やめ……」

「俺より先に、こんな女の子と!」

「ねえ、子供は何人欲しい? やっぱり、サッカーができるくらい? ねえ、ア・ナ・タ♡」


「た、助けて……」

 慎一郎をつかむ徹と慎一郎にしなだれる瑠璃。その大混乱に終止符を打ったのはやはりこの人物であった。


「いい加減にせんか!」

 メリュジーヌの一喝でたちまち成熟を取り戻す教室。徹も瑠璃もいそいそと自分の席へ戻る。慎一郎も徹に掴まれた上着のシャツのしわを伸ばして席に着こうとしたとき、メリュジーヌがとどめの一言を放った。


「シンイチロウ、放課後職員室に来るのじゃ」

「な、何でおれが……」

 目の前が真っ暗になる。






                        聖歴2026年9月1日(火)


「……………………」


 目を覚ましたとき、まだ辺りは暗かった。視界の隅に表示されている時計アプリの表示を見ると、まだ午前四時だった。


 まわりは暗くてよくわからないが、近くで徹の寝息と斉彬のいびきが聞こえてくることから、ここは慎一郎がいつも寝ている〈竜王部〉の部室だろう。意識を集中させると魔術的に接続された〈副脳〉でメリュジーヌが眠っているのもわかる。


(最近、変な夢をよく見るな……)

 そんなことを考えながら、再び慎一郎はまどろみの海の中へと潜っていく……。

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