変わりゆく幼なじみ6

 その〈念話〉がかかってきたとき、いつもの定時連絡だと思っていた。だから、いつもの調子で軽く返事をした。


「もう、先輩、遅いです。待ちくたびれました。ずっと待ってたんですよ。お昼はいかがなさいますか? いつものお弁当でしたら、私、買ってきますよ」

 しかし、楓の軽口に帰って来るであろう先輩の言葉はない。


『はぁ、はぁ、はぁ……』

「……? 先輩? もしもし、先輩?」

『今井! 今すぐ開けて!』

「あの……先輩? 先輩ですよね? どうされたんですか? 巡回は終わったんですか?」

『いいから、早く!』


 〈念話〉越しの先輩の声は荒く、走っているように思えた。一部の簡単な魔法やスクリプト化されていて一瞬で詠唱が終わる黒魔法はともかく、〈転移ゲート〉の魔法はスクリプト化していてもそれなりの時間がかかる。まして走ったまま〈転移ゲート〉の魔法だなんて――


「え、でも先輩どうされたんですか? 走ってるんですか? 落ち着いてください。まずは息を整えて……」

『そんなことしてる場合じゃ……きゃぁぁぁぁっ……!』

「先輩? 先輩!」


 〈念話〉は相手の声は聞こえるが、それ以外の環境音や近くの人の声は全く聞こえてこない。だから楓にも先輩に何かが起こっていることはわかっても、それが何で、どれくらい深刻な状況なのかは伝わりづらかった。


『うぐっ……うぅ……。あ、開けるわよ。合わせて』

「え、でも……先輩、何が……?」

『お願い……お願いだから開けて……開けてぇ!』


 それから、どうやって恐慌状態にある先輩とタイミングを合わせて〈転移門ゲート〉を開けたのか覚えていない。気がついたら今まさに目の前に光る門が現出するところであった。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」


 今まで〈念話〉で話していた先輩が叫びながら門から出てきた。朝はきれいに洗濯されていた白い胴着が泥で真っ黒に汚れ、髪はボサボサに乱れ、そして彼女の顔は血まみれになっている。


「せ、先輩!?」

 楓が慌てて先輩に駆け寄ろうとする。しかし先輩は楓から少しでも距離を取ろうと狭い部室の隅で身体を小さくしてガタガタと震えている。


「あいつが、あいつが……あいつが、来る!」

「どうしたんですか、先輩? しっかりしてください!」


 などと言っている間にも他の部員たちが次々部室に駆け込んでくる。そのどれもが泥まみれ、血まみれだ。中には意識がないのか、二人に肩を担がれて運ばれてくる生徒もいる。


「今井、まだ向こうに、何人か……。お願い、助けて!」

 荒い息で先輩のうちの一人にそう言われたので、楓は〈転移門ゲート〉をくぐった。


 そこはまさに、地獄であった。


 木々の間に血まみれで倒れている部員たち、その間を縦横無尽に駆け抜けるはその一匹一匹がどれも楓の背丈よりも大きい上に何十匹と群れをなして狂乱のるつぼにいる。


 まだ立ち上がれる何人かの部員たちは倒れている部員を守るように輪になり、果敢にウマに向けて攻撃しようとしているが、ほとんど全ての矢はウマに軽々かわされて当たりもしない。


「部長! 門を開きました! 早く部室へ……!」

 楓は門から二十メートルほど離れた部員たちの所まで走って助けが来たことを告げた。しかし、そこにいる生徒たちは彼女には目もくれずにウマに攻撃をし続けている。残りの矢も少ない。


「動けない子たちを先に運んで!」

 ウマに狙いをつけながら部長の三年生が楓の方を見ずに指示を出した。楓はそこに倒れている部員を別の一年生とともに運び出す。その一年生も足の骨が折れているのか、歩くたびにうめき声を上げるが、今は構っていられない。


 それを二往復。幸い、ウマには襲われなかった。部長や、残った先輩たちが懸命にウマたちを牽制してくれたからだ。彼女たちの胴着も例外なく血まみれになっているというのに。


「みなさんを回収しました! 部長たちも早く!」

 楓が門から顔だけを出し、まだ森の中でモンスターに牽制し続けている部長をはじめ、数人の生徒たちに声を掛ける。


「あなた達は先に行きなさい! 私は最後に!」

 部長の指示に、部員たちは一斉に扉の方へと駆け出した。足を引きずり、走ることもままならない生徒もいたが、楓は門から飛び出し、そういう部員に対して肩を貸してやってなんとか門まで連れてきてやった。


「部長、全員脱出しました! 部長も早く!」

「わかったわ! きゃっ……!」

「部長!」


 部長がほんの一瞬、楓の方に注意を向けた瞬間を見計らってウマのモンスターが部長に激突して部長が大きく跳ね飛ばされる。


「部長!」

 楓は慌てて門の向こうへ飛び出そうとした。しかし、それは横合いから突然門に飛び込んできた影に阻まれる。




「あ、あいつが来たんです……。あいつが、あいつが……。きゃぁぁぁぁぁぁっ……!」


 それまで淡々と、気丈に話し続けていた楓の感情がついに反乱を起こした。頭を抱えてブルブルと震え、意味のわからない言葉を叫んでいる。

「いやぁぁぁっ、こ、来ないでください……! あ、あああああっ!」


 楓が激しく暴れ出したので、慎一郎と斉彬は二人がかりで楓を押さえつけるしかなかった。その背中に触れたとき、小刻みな震えを感じ取った。それは楓の恐怖そのものであった。


 数分が経ち、少し落ち着きを取り戻した楓に、徹が温めたミルクを差しだした。バレー部まで行って分けてもらってきたらしい。こういう所には気が利く男だ。


「辛いなら、もうやめた方がいいんじゃないか?」

 徹が言うと、楓はふるふると首を振った。その動きに遅れてついてくる彼女の髪は皮肉にも馬の尻尾の名を与えられている。


「ごめんなさい。でも、最後まで話させてください。私、どうしても部長や先輩たちの仇を取って欲しくて……。そのために役立てるなら、これくらい……」

 泣きはらして目を真っ赤にした楓の顔色は悪かったが、決意は固そうだった。慎一郎は頷くと、「お願いします」と促した。


「私が部長を助けようと〈転移門ゲート〉から出ようとしたとき、あいつが門の中に飛び込んでこようとしたんです……」




「今井、危ない……!」

 二年生の先輩が咄嗟に引っ張ってくれなかったら楓は串刺しになっていただろう。楓が飛び出そうとした魔法の扉からは黒い巨大な影が飛び出してきた。


「きゃぁぁぁっぁっ!」

 部室が阿鼻叫喚に包まれる。扉に突っ込んできたのは巨大な黒いウマ。その他の馬よりもさらにふたまわりほど大きな、信じられないほど大きなウマで、そのこめかみには二本の鋭い角が生えていた。


 ウマは皮肉にもその巨体のせいで完全にこちら側へやってくることはできず、首だけを突っ込んだだけでそれ以上こちらには入れないようだ。

 しかし、力任せに入ろうとしているのか激しく首を振り、狭い部室内をかき回すように暴れている。


 最初は叫び声を上げていた部員たちも、余りの恐怖のために今は声を上げることすらできない。部室の隅でお互いの身体を抱きしめあって、ただ災厄が去って行くのを待つしかなかった。


「今井、扉を閉めて……お願い……」

 逃げてきた部員の一人が絞り出すように楓に懇願した。


「で、でも……まだ部長が……」

 そうだ。まだ門の向こうには部長が残っている。彼女は部員たちを逃がすために今も一人向こう側に残ってウマの群れと対峙しているのだ。


 しかし、そうしている間にもこちら側で黒いウマは首を振り続けている。自分たちの胴体ほどもあるその頭は部室の中を暴れ回り、二本の鋭い角が床も壁もお構いなしに切り刻んでいく。

 あれに少しでも触れればただでは済まない。


「はやく、早く閉めて!!」

「できません! 部長をおいてなんて……!」


 〈転移門ゲート〉が閉じる方法は二つある。ひとつは時間。数分経てば門は自動で閉じるが、まだしばらくかかりそうだ。そして意図的に閉めるためには門を開けた術者――この場合は部室側の扉を開けた楓――でなければ閉めることができない。


 その時、扉の向こうから「おぉぉぉぉぉぉぉぉ」と雄叫びが聞こえたかと思うと、鈍い音がした。


 ――ヒィィィィィィィィン!!


 部室の中に首を突っ込んでいたウマが苦しそうな声を上げるとこれまで以上に暴れ出した。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 部室が再び恐怖に包まれる。


 しかし、そこまでだった。どういうわけか、ウマは首を引っ込め、門の向こうへと戻っていった。諦めたのだろうか?


「…………?」

 楓はウマの動きに不審を覚えて門から顔を出した。先ほど大きな黒いウマのモンスターがしていたのとちょうど逆の形だ。


「…………!! 部長!」


 そこには、大きく暴れる黒いウマと、その背に必死に捕まっている部長の姿があった。よく見ると馬の背には矢が一本、深々と突き刺さっている。部長は〈転移門ゲート〉に首を突っ込んだウマめがけてこれを直接手で持って突き刺したのだ。


「部長! 早く! こっちです! あとは部長だけです!」

 〈転移門ゲート〉から楓が手を伸ばす。しかし部長はウマにしがみつくのに精一杯で、とても返事をする余裕がない。

 加えて暴れ回るウマは少しずつ〈転移門ゲート〉から遠ざかっていく。


「部長! 部長!」

 叫ぶ楓をあざ笑うかのようにウマは遠ざかっていき、やがて〈転移門ゲート〉はその制限時間を使い果たして消えた。


 門が消えるときに部室内に弾き飛ばされた楓は背中を打ったが、そんなものは怪我だらけの部員たちの中にあって無傷に等しかった。




「お願いします。部長を……助けてください」

 楓は教室の中で椅子に座り、スカートの裾を強く握りしめながらそう言った。肩が細かく震えているのは先ほどとは異なり、悔しさ故だろう。


 その拳の上に涙の雫が落ちたのを、慎一郎は見なかったことにした。

『まさか地上におったとはな……。見つからぬはずじゃ』

 メリュジーヌが先ほどと変わらぬ姿勢で腕を組んでいるが、その表情は難しい。


「このウマは前から〈竜海の森〉にいたんですか?」

 慎一郎の問いに楓は首を振る。


「少なくとも私の知る限り、そこには何もいませんでした。そもそも、何かいたら駆除するのが私たちの仕事ですから」


 「そりゃそうだ」と徹が楓の説明に同意する。


『普通ならば新しい迷宮の入り口ができて、そこから迷い出たモンスターということになるのじゃが……』

「“うま”の〈守護聖獣〉……」

 慎一郎の呟きに徹も斉彬も表情を厳しくする。


『何故、今まで影も形も掴めなかった〈守護聖獣〉が突然地上に現れたのかは謎じゃが……』


「一刻も早く行かないといけないよな」

 徹の言うとおりだ。まだ〈竜海の森〉には弓道部の部長が取り残されている。〈竜王部〉が探索の途中で呼び戻されたのはそういうわけなのだ。


「今井さん――だっけ? どうもありがとう。あとはおれ達に任せてくれればいいから。みんな、準備を」


「おう」「わかった」

 徹と斉彬は慎一郎の指示で空き教室を出て各々準備に向かう。


 慎一郎も部室に戻って探索――この場合は討伐だが――の準備をしようと教室を出かけたとき、背後から声を掛けられた。


「あの、浅村さん……」

 振り向いたその先には、先ほどまでに怯えた今井楓の姿はなかった。


 代わりに決意に燃えた表情で決意を述べる

「お願いがあります!」

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