変わりゆく幼なじみ5
聖歴2026年8月19日(水)
「ららら~らららら~♪」
弓道部の部室は体育館の隣にある弓道場の脇にある。
弓道場に併設されているためそれほど広くはない部室は今、楓が一人残っているだけなので狭さは感じない。
北校弓道部は女子だけの部だ。別に入部を女子だけに絞っているわけではないのだが、どういうわけか毎年女子生徒しか入部してこない。
四月に行われる見学会で女子しかいないとわかれば男子には入りにくいものがあるのだろう。
そういう事情なので、弓道部の部室は実に女子らしい。
あちこちに無造作に掛けられているまだ洗っていない胴着とか、袋を開けっぱなしにして中がしけってしまっている賞味期限切れのポテチとか、飲みかけのまま何日も経過しているコーヒーとか。
しかし、部室の一角に立てかけられている予備の弓だけは例外だ。毎日毎日しっかりと手入れをしてきちんと並べられている。
道具に感謝する心を忘れない。封印前から顧問から口を酸っぱくして言われていることだ。それは北校封印後に顧問と離ればなれになった今でも弓道部の文化として根付いている。
今日の“居残り”である楓もそうだ。北高に入って一ヶ月、弓道部で顧問の教えを受けて半月ばかりで封印騒ぎに巻き込まれてそれ以降顧問とは会っていない。それでもその文化は楓の血となり骨となってその後の彼女の部活動を支えていた。
「るるるーるるるるるるる~♪」
上機嫌の楓が磨き上げたばかりの弓に弦を巻いていく。この弓は高校に入学して弓道をすると決めたときに買ってもらった大切な弓だ。
自他共に認める箱入り娘である楓が高校に入ってから弓道をやりたいと両親に申し出たとき、両親は驚きながらも娘の決定を大歓迎してくれた。
弓道で使う弓は非常に大きいので、弓の片側を床に置いて足の指で押さえながら手を上に伸ばして弦を巻いていく。
短いスカート――これも、封印されてから短くするようになった――からは白い下着が丸見えになっているが、楓は気づかない。封印前では考えられなかったはしたない格好だが、この三ヶ月間で楓自身、ずいぶん変わったと感じるようになった。
「ふふんふふ~んふふんふ~ん♪」
楓はこの作業が好きだった。わずか四ヶ月とはいえ、愛用している弓が新しく生まれ変わる瞬間だ。自分の心も新しく、初めて弓を持ったあの日を思い出す。
しっかりと巻いた弓を引いてそのできばえを確認する。問題なし。
今日は居残りの〈
スターをやっつけるんです!
生まれ変わった愛弓を構え気合いを入れる楓。もっとも、弓道部の担当は〈竜海の森〉なので、いつもモンスターがいるわけではないのだが、そこは考えないことにした。
〈
〈
二点間の術者がタイミングを合わせて同時に魔法を唱え、二点を魔術的に結合させる。これが北校生たちが使用する〈
この魔法は高校生でも失敗することなく使うことができるが、入口側と出口側に人員を配置してタイミングを合わせなければならないという短所も存在する。
ゆえに、部室へ戻るときは誰か一人は出口側に残って〈
弓道部の〈
〈
だから、ヒマだ。とてつもなくヒマだ。
弓の手入れも終わってしまった椿もやはりヒマを持て余していた。家庭科部が作って販売している好物のお団子もさすがに食べ飽きてしまった。半分くらい残した皿はそのまま机の上に置きっぱなしである。
「はぁ……」
今日何度目かわからないため息が出た。まだ昼にもなってないのにただひたすら待つだけの時間はとても長く感じられる。
先輩達が出て行ってすぐなら弓道場で練習しててもいいのだが、もうそろそろ戻ってもいい時間だ。練習中に〈念話〉の呼び出し音が鳴っても気づかないことがあったので、先輩から定時連絡一時間前からの練習は禁止されていた。
弓道部の巡回は日に二回行われる。午前中の巡回に行って昼食を校内でとり、午後再び同じメンバーで繰り出すのだ。
ちらと時計を見る。椿の脳内にインストールされている時計アプリの表示だ。
「あれ……? 先輩たち、もう戻ってもいい頃合いだと思うんですけど……」
確かにいつもならもう戻ってもおかしくない時間だ。
「モンスターでも出たんでしょうか。いいなぁ……」
最近、〈竜海の森〉には地下迷宮に繋がる穴が多く見つかっている。それをいち早く見つけ出し、出てきたモンスターを狩るのが弓道部の役割だ。
木が生えているとはいえ地上は地下よりも見通しが良く、遠距離からの先制攻撃が有効なこともあってこの役割を弓道部が担っている。
実際、今まで敵を逃したことも、先制攻撃を許したことさえなかった。県大会上位の常連校ならば、それくらいはできて当然だ。
おそらく今日もモンスターが地上に現れて先輩たちが華麗な弓捌きでこれを狩っているのだろう。
「私も先輩たちの射る姿を見たかったです」
腕を枕に机にうつ伏せになりながらそんな独り言を言う。
楓はまだ弓道を始めたばかりなので、当然先輩たちには実力面で全く追いついていない。フォームもまだまだで、いつも先輩たちの射る姿を見てはそのあまりの美しさにため息をついていつかは自分もと密かに発憤材料としていたのだった。
「こんな感じで、ばびゅーん、と」
立ち上がり、火を持たずに弦を弾いた。自分の理想とする姿勢と、先輩たちのフォームを頭に浮かべて、少しでもそれに近づけるように、背筋を伸ばして美しく見えるように。
その時、脳内を魔法音が響いた。
「ひゃっ!」
思わず気の抜けた声が出てしまったが、〈念話〉の着信音だ。相手はいつも楓が居残りの時に連絡をくれる二年生の先輩。
巡回が終わったのかなと指をこめかみに当て、〈念話〉に出る。
「はい、今井でございます――」
その時電話の相手は、楓が思いも寄らぬ状況に陥っていた。
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